たーさんの世界(意地悪じーさん)

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今日の一日

2016年07月10日 | Weblog
今日はいつもの様に、いつものルートで散歩をしました。

僕はこの景色が好きなので、毎日ここを見ながら散歩をしています。





ここは宮古市の田老地区にある三王岩と呼ばれる岩で、白亜紀に堆積したモノです。

とてもきれいでしょ

自信

2016年07月10日 | Weblog
人は、ひょんなきっかけて自信を持てる様になります。

僕の場合は、35才位に経験した現場と、ゼネコン時代の最後に体験した警察との係わりです。

僕はこのブログで度々警察の事を書きますが、其は決して武勇伝を書いているのではなく、本心から重要な体験の位置付けとして書いているのです。

つまり、いつ逮捕されてもおかしくない状況に於て、己の判断だけで彼等と戦い抜いた体験は、普通の人は滅多に体験出来ない事なのです。

その時は、言葉はヤクザとあまり変わらなかったのですが、頭は極めて冷静な状態でした。

きっと僕の頭はフル回転しながらも、相手の警官とは、反則ルール無しの実戦の空手の試合にも似た態度で接していたのだと思います。

にらみ合いあり、フェイントあり、蹴りや突きあり、捨て身の連続技あり、受けあり、受け即攻撃あり、間合いを詰めたり離れたり、時には息を抜いたり 等と、有りとあらゆる駆け引きを冷静かつ沈着に行っていたと思います。

火事場のクソ力ではありませんが、普段の自分の力の倍は出していたと思いますが、結果からして僕が勝ったには違いありません。

人には下らない様な事かも知れませんが、その様な体験が今の僕を作っているのかも知れません。



あの事件の捜査には、他府県から刑事が召集され(150人態勢だったと聞く)、NHKも特番を組んで全国に放送された派手な事件でしたが、あんな体験は一回で結構です。

僕を取り調べた二人の刑事の中で若い刑事の中山(名城大学卒)、事件が終わってから捜査一課に配属変えとなったと聞きましたが、きっと僕を落とせなかったからだと思います。

奴も残り三年か四年で、定年退職の年齢になります。


余談ですが、ガサ入れに来た福島という派手な刑事は、収賄でとっくにクビになっています。

小指の指輪

2016年07月10日 | Weblog
僕は、小指に母の形見の指輪をしています。

ですから愛する母は、毎日僕と一緒に居てくれます。

もう一ヶ月もする母の命日が来ますが、母が亡くなった当時の僕は、本当に大変な時期でした。

葬儀の時は、立っているのがやっとでした。

月日の流れるのは早いものですね。

人生は塞翁が馬

2016年07月10日 | Weblog
つくづく人生は塞翁が馬だと思います。

田舎に産まれ田舎でノンビリと育ち、勉強も普通に出来た僕は田舎の進学高校に進み、高校では勉強は殆んどしなかったので大学受験に失敗し、一年間の浪人生活をしました。


運動をしなかった浪人中に身体が弱り、12月から受験まで殆んど寝た状態だったのですが、辛うじて大学に入る事が出来た僕は、やはり人生は健康が一番だと思い、大学の入学手続きより先に空手部に入りました。


此からが僕の人生が大きく変わるきっかけになります。

大学時代も勉強よりも空手の稽古が優先となり、ひ弱だった身体も健康になりました。

又、空手の技術も其なりに上達して、自分に一つの自信の様なものが出来ました。

その自信と体験は、やがて仕事にも影響して、ゼネコン時代の終わり頃は儲け頭にもなりました。

しかし儲け過ぎて仕事をし過ぎた結果、僕は警察沙汰に巻き込まれる結果となります。

警察の取り調べ期間は72日間に及びましたが、僕は警察の脅しに屈する事無かったばかりか、反対に取り調べの警官に対して、上から目線で対応しました。

同様に東京国税の調査にも、警察の時と同じ対応で切り抜けましたが、会社から懲戒解雇を言い渡されました。

その後は地元の企業で働き苦労もしましたが、自分に対するプライドは保つ事が出来ました。

今まで女房に退職金を渡せず、彼女に苦労をかけたので、65歳を過ぎた現在も働かざるを得ないのです。

しかし今の会社では、今まで身体を張って生きてきた自分に対する自信から、若い人に負けない働き方が出来ていると自負していますし、お陰さまで、会社も僕を認めてくれている様です。

会社にも役所にも好き放題に発言しても、相手が近づいて来てくれるのは大いに有り難い事です。

しかも、未だ未だ稼がなくてはならないので、僕は空手の稽古で健康を維持しようとしています。


僕の今は、浪人時代に身体を弱くした事の結果なんだろうかナア。

ただ言える事は、僕は絶えず前を向いて歩いている(又は歩ける状態)事は確かな様です。