初心に帰るです

2010-09-20 | 社労士日記
そんなわけで箱根どころかどこにも繰り出さず

ひと足早くシーズン終了した感じ・・・ではでは、ひと足早く来年に向けてガンバロ




仕事はこんな感じだよね


喜び半分、辛さ半分・・・喜びが半分を上回っていることが、明日への心配を乗り越える活力となるってか


喜びもマンネリ化することもあるのかな


そうすると辛さしか見えなくなってくるかもね…喜びもあるはずなのに


喜びを素直に喜ぶ・・・それが初心か


***** 日経朝刊(9/20)「挑む」より ここから *****
『学生、学校でボランティア  「喜び、辛さ」初心忘れずに』

学校で働く、ボランティア学生が増えている。教員志望の学生が、教育実習とは別に、小学校の教室で子供たちの面倒を見たり、中学校で休日に勉強を手伝ったりしている。

背景には、都道府県の採用基準の変化がある。東京都では、教員採用試験の提出書類の一部に、学校や塾で児童・生徒に教えた経験を記入する欄があり、面接では「あなたは、その経験を今後、どう生かしていきたいか」などと聞かれることがあるという。

筆記試験と、決まりきった内容の面接だけでは、教員にふさわしい資質を持った人物なのか、見極めることが難しいのだろう。一方で、現場は即戦力を求めているから、ボランティア経験者は歓迎される。学生自身も活動を通して、教員の仕事とはどんなものか、理解を深めることができる。

だが、経験を積むことイコール技能の向上とは、必ずしもいえないことを当の本人たちもよく知っている。

先日、私が手伝っている高校で、土曜講習のボランティアをしている学生と食事を共にする機会があった。「教えてみてどう?」と尋ねたら、「学校の教室で教えることのできる喜びが半分、生徒にうまく教えられない辛さが半分」と、口々に言う。

どんな職業でもいえることだが、同じ仕事を長く続けていると、自然に身につく“得意技”のようなものが必ずある。私の場合だと、質問のために部屋に入ってきた生徒が、何を聞きたいのか、あらかじめ当てることができる。経験が人を育てるのだ。だが、同時に、それが麻薬のように働いて、マンネリとか惰性という思わぬ落とし穴に落ちることがある。

教員という仕事は、どんなに技が上達しても、「教えることができる喜びと、教えきれない辛さ」という原点を忘れてはならない。「今の気持ちをなくしたらダメ先生になるからね」。突っ込みを入れながら、目の前の学生たちが立派な教員になれるように、微力ではあるが力を尽くそうと思った。
(平)
***** 日経朝刊(9/20)「挑む」より ここまで *****


スポーツも同じか・・・練習は楽しくもあり辛くもあって


オリンピック選手などは4年間の辛さが半分で、一瞬の大きな喜びがその辛さを上回るから頑張れるわけで…やはりすごいな
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