ようやく落ち着いた?

2009-03-06 | 社労士日記
か、どうかは微妙ですが・・・ひと山は越えたかな

そんなわけで、これから事務作業と相談案件の検討を・・・思ったより早く取り掛かれて助かった



一昨日の記事に少し関連して、プロとは何ぞや的な記事を

***** 日経PLUS1(9/20)「子どもと伸びる」より ここから *****
『プロ意識と使命感』

いまから20数年前、教師になったころ、研修会や先輩の助言でいやなものがあった。それは、「教師は、プロです。新任といえども、教壇に立てば先生と呼ばれます。まずそのことを自覚してください」。だから、研究授業をしたあと、厳しい指摘が相次いだ。自分なりの思いもあるので、それを言うと、「あなたの意見を聞くつもりはありません、言うなら事実のみ報告してください」とピシャリと言われた。指摘の意味もわからない上に、あまりの高圧な態度に、すごく反発した。

ところがこの間、ある先生の指導をしている途中、私は知らず知らず同じことをしゃべっていた。「君の意見を聞いている時間はない。重要なのは事実だ」。何をどう思おうといいが、授業で評価されるべきは、子どもの事実なのである。

あの厳しい先輩の指摘は、一種のトラウマなのだが、二度とああいった意見を聞きたくないとか、先輩を見返してやりたいとかいう思いがエネルギーとなって、今の自分があることにそのとき気がついた。

では、あの新任の時代と今では、私の何が変わったのか。それは、個人の思いで教育するのではなく、使命に基づいて教育をするようになったことである。

思想信条の自由は、あくまで個人の生き方の問題である。組織的に動き、ある期待される一定の結論を求められる仕事のやり方には、当てはまらない。自由に仕事がしたいなら、起業するしかないが、それとて今度は、市場の論理にしばられる。つまり、仕事に必要なのは目的意識と使命感だ。

ここを勘違いしている教師は多い。私は彼にそのことを伝えた。その後、最後に何かいいたいことはあるかと聞くと、「すみませんでした。しかし、私の努力は認めてください」と言った。

これで説教のやり直しだ。なぜなら、努力で評価されるのはアマチュアだ。プロは結果がすべてだ。短時間にさほどの苦労もなく、高度な仕事ができるならそれが最高であり、全力をあげてだめなのは最悪である。どうも、教師が子どもに対して行う評価軸を、自分に当てはめてしまっているらしい。

かつてない学校批判の末できた新しい指導要領は、周知徹底のため教職員全員にこの夏配られた。しかし、恐ろしいほど読まれていない。教師のプロのレベルが今問われている。
(立命館大学教授 陰山英男)
***** 日経PLUS1(9/20)「子どもと伸びる」より ここまで *****
ある意味、自営業はプロ意識が自然に高まるような・・・誰も過程など見てないからね


はいつ止むんだろうか

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