壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」  (2)心のたね

2011年01月08日 21時04分02秒 | Weblog
 では、『ささめごと』の本文を読んでいきましょう。原文は省略し、原文の変人訳を掲げることにします。

      世の中の、取るに足りない打ち明け話の折々、もともと仏道修行に
     専心すべき僧侶の身のこととて、和歌・連歌の道に関しては、その事
     情によく通じていない。
      だが、黙っておれない質の私が語りだすこの話は、非実用的で意味
     ないことなのだが、これは、小さく粗末な家の中での、ひそひそ話とも
     いうべきものなので、人に聞かれることを心配する必要もない。
      人は、一夜のうちに八億のことを思うということだから、わが胸中  
     に去来する和歌・連歌に関する思いの丈を、根拠のないこととして、
     つれないさまを装うのは、かえって罪深い行為であろう。
      私がこれから語ろうとすることは、かたわらの人の身の上話といっ
     たものではない。ただ、仏道を行く私と、和歌・連歌の道を踏み迷い
     ながら行く私とが、互いのおぼつかなさを、さらけだしたまでのことで
     ある。(『ささめごと』・序)

 ――神奈川県伊勢原市三ノ宮。伯母様橋の傍らの丘陵を北へのぼると、「三の宮高区配水池」の門があります。そのすぐ手前に小山があり、心敬塚古墳と呼ばれています。かなり大きな円墳で、樹木に覆われています。この古墳の傍らに心敬が葬られていると言います。

 権大僧都心敬(1406~75)は、室町中期の歌人・連歌師で、鋭い感覚と際やかな表現の文学的な才にも秀でた、たぐいまれな作家でもあります。
 敬虔な仏道修行者として、極度に妄言をなすのを恐れながら、しかも、かつては狂言綺語(きょうげんきご)と目され、罪悪視された文学に関して、あえて一言述べようと思い立ったのです。これは、より深く激しい自己の表現意欲にかりたてられ、その意欲の存在を素直に是認することこそ、真実があると感じたために他なりません。
 こうして心敬は、歌道仏道一如観を形成し、「ふるまいをやさしくし、人の情けを忘れず」と説いて、人々を広く教化したのです。

        をのづから 心のたねも なき人や
          いやしき田井の 里に生まれし    心 敬


 心敬は1406年、紀伊国名草郡田井庄(今の和歌山市)に生まれ、三歳で都に上りました。このことは、彼が故郷の田井庄宮に詠進した「百首和歌」に、「田井庄のいやしい生まれで、和歌の天分もない」と詠じ、「三歳で京へ出てきた」履歴を、自注として付け加えていることでわかります。
 幼いときは、身体が弱い子であったらしく、病弱の子によくある例にもれず、神経質で非常に頭がよかったようです。身体が弱かったせいか、小さいときから宗教に憧れることが多く、このように利発で、病弱な子の進む道として、寺に入ることはごく自然なことでした。


      寒夕焼 電柱ワルツ踊りだす     季 己