子の日しに都へ行かん友もがな 芭 蕉
久しぶりで故郷の春を満喫した芭蕉。故郷の田舎びた春の中にあって、早くも、都の子の日の遊びにあこがれそめた心のあらわれが、この句となったもの。ゆったりとしたくつろぎが、声調の上にただよっている。貞享二年、伊賀での作とされている。
「子の日」というのは、正月初子の日に野に出て、小松を引く遊びのことで、宇多天皇の御代に、天皇が北野雲林院に行幸し、子の日の宴を行なったことに始まるという。王朝的な優雅な遊びである。今は「ネノヒ」と清音で読むが、昔は「ネノビ」と濁って読んでいる。
ちなみに今年の「子の日」は、新暦では一月九日、陰暦では一月十二日(新暦、二月十四日)。
「友もがな」の「もがな」は、願望をあらわし、…があるといいなあ、…であるといいなあ、の意。友がいればいいなあ、の意。
「子の日」が季語で春(新年)。
「子の日の遊びをしに都へ行きたいのだが、その風雅の旅を共にする
友があるとよいのだが、残念ながら誰もいない」
長芋を千六本に三日かな 季 己
久しぶりで故郷の春を満喫した芭蕉。故郷の田舎びた春の中にあって、早くも、都の子の日の遊びにあこがれそめた心のあらわれが、この句となったもの。ゆったりとしたくつろぎが、声調の上にただよっている。貞享二年、伊賀での作とされている。
「子の日」というのは、正月初子の日に野に出て、小松を引く遊びのことで、宇多天皇の御代に、天皇が北野雲林院に行幸し、子の日の宴を行なったことに始まるという。王朝的な優雅な遊びである。今は「ネノヒ」と清音で読むが、昔は「ネノビ」と濁って読んでいる。
ちなみに今年の「子の日」は、新暦では一月九日、陰暦では一月十二日(新暦、二月十四日)。
「友もがな」の「もがな」は、願望をあらわし、…があるといいなあ、…であるといいなあ、の意。友がいればいいなあ、の意。
「子の日」が季語で春(新年)。
「子の日の遊びをしに都へ行きたいのだが、その風雅の旅を共にする
友があるとよいのだが、残念ながら誰もいない」
長芋を千六本に三日かな 季 己