壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (16)熊谷守一

2011年01月30日 22時21分15秒 | Weblog
 クマガイモリカズ(熊谷守一)。私の敬愛する画家の一人です。
 彼の晩年の作品は、一見、平明で、詩心あふれた単純な童画に見えます。しかし、決して素朴な童画ではなく、眼に触れ、心に触れた対象(もの)の神髄を、平板な空間に造型するために、骨身を削るような苦心がはらわれているのです。
 花や虫を描くために、彼によって見出された決定的な鋭い描線と、その質感や色を表現するための骨太い筆触には、まさに心魂に徹する緊張感が秘められているのです。
 すぐれた俳人が、十七音の字句の中にぬりこめた無限の想いが、小さなこの画面に充満しています。そして、我々が感じるまぶしいくらいの清潔感は、俗情を絶った、彼の恬淡(てんたん)とした精神生活の反映だと思います。
 クマガイモリカズの絵は、童心が光り、稚気あふれるように見えますが、実は、厳しく激しい絵なのです。

 ところで、百人の俳人がおれば、百人の方法論があります。
 「俳句は心敬」を標榜する私は、ものが持つ色や形の奥にある、確とした「いのち」を表現するのが俳句である、と思っております。そして、その「いのち」をとらえるには、日常の精神生活を高めることが重要だとも……。

 俳句の修業とは、花鳥・自然を通して、その奥にある「いのち」を見極めることです。自然の風物に接して、熱心に凝視のうちに観入して、自己の心境が透明に澄んだ境地こそが尊いので、真の写生の意義もそこにあります。
 しかし、こんなことを初心者に言っても、わからないのが当たり前です。ものには順序があります。階段を使うかぎり、五階に行くには、二階、三階、…と、順に上らなければならないのです。

 初心のうちは、特に、次のようなことを心がけてください。
 俳句は、ものを通じて心を詠い、自然を通じて感慨を表すものです。
 日々、心を新たにし、四方八方にアンテナを張ってください。いろいろなものが見えるはずです。いろいろな音も聞こえるはずです。
 しかし、何を見たか、何を聞いたかではなく、何を感じたかを詠むのが俳句です。ここが大切なのです。
 表現は、決して飾ってはいけません。
 クマガイモリカズのような絵を描くつもりで、そして、歌をうたうようにリズムにのせて表現する。「絵を描くように、うたうように」が、俳句表現のコツなのです。


      風花や届くはがき絵アルバムに     季 己