壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (12)捨てる   

2011年01月24日 21時21分39秒 | Weblog
 「むかし、をとこありけり」という、しゃれた心憎いばかりに洗練された書き出しで始まる『伊勢物語』の名誉の半ばは、その表現・文体に与えられるべきでしょう。
 『伊勢物語』は、主人公の名前、年齢、身分あるいは人物の容貌や服装といったこと、さらには、話の題材となった出来事が、いつどこでのことなのかについてさえ、一切言及しないのを原則としています。このことは、『伊勢物語』が、歌の成立の説明のために必要なものだけに的をしぼり、人物の名前その他はすべて無用のものとして、思い切りよく捨てていることを意味します。歌の成立に関与する要素だけを例外として、他の一切の外面的要素を捨てる道を選んだのです。
 それは出来事のありのままなる写実を捨てることでもありました。写実は文章の魅力の一つであり、可能性の一つですが、それをあえて捨てたのです。
 けれども、捨てることは貧しくなることではありません。むしろ『伊勢物語』は、外面的写実を捨てることにより、内面への肉薄という道を獲得したのです。
 登場人物たる「男・女」は、何某という社会的存在から離れて、男の心の持ち主、女の心の持ち主という、象徴的存在ともいうべき高い位置を獲得したのです。また、題材としての恋は、何某と何某との恋愛事件といったゴシップ的興味のレベルを離れて、男と女の心との間の恋なるもの、ともいうべき象徴性を獲得したのです。

 『伊勢物語』の各章段が、短く切れる文を積み重ねる手法で書かれている事実も、見逃してはなりません。むしろ、一文一文の短さは、『伊勢物語』の文章の大きな特徴というべきであり、文を短く切ろうとしているようです。
 たとえば、『伊勢物語』四段と、同じ歌について説明する『古今集』詞書とを比べ合わせてみれば、このことは一目瞭然となるでしょう。

     むかし、ひむがしの五條に、大后の宮おはしましける、西の対に住む人
    ありけり。それを、本意にはあらでこころざし深かりける人、ゆきとぶらひ
    けるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。ありどころは
    聞けど、人のいき通ふべき所にもあらざりければ、なほ憂しと思ひつつ
    なむありける。又の年の正月に、梅の花ざかりに、去年を恋ひていきて、
    立ちて見、居て見、見れど、去年に似るべくもあらず、うち泣きて、あばら
    なる板敷に、月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる。
       月やあらぬ春やむかしの春ならぬ
         わが身ひとつはもとの身にして
    とよみて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣くかへりにけり。(『伊勢物語』四段)

     五條の后の宮の西の対に住みける人に、本意にはあらでもの言ひわた
    りけるを、正月の十日あまりになむ、ほかへかくれにける。あり所は聞き
    けれど、え物も言はで、またの年の春、梅の花さかりに、月のおもしろか
    りける夜、こぞを恋ひてかの西の対に行きて、月のかたぶくまで、あばら
    なる板敷にふせりてよめる。
          在原業平朝臣
       月やあらぬ春やむかしの春ならぬ
         わが身ひとつはもとの身にして  (『古今集』巻十五)

 内容の量からいって、この詞書と『伊勢物語』四段とはほとんど等しい。それを『古今集』は二文にまとめ、『伊勢物語』はそれを、六文に分断しています。これは当然の結果として、『古今集』の詞書の一文一文を長からしめ、『伊勢物語』のそれを短くさせています。
 『伊勢物語』は、あえて短い文に分断して、出来事を語っているのです。短く切ることによって、『伊勢物語』の文章は、力動的な盛り上がりのある文章となったのです。
 また、『伊勢物語』の、「去年を恋ひていきて、立ちて見、居て見、見れど、去年に似るべくもあらず」は、『古今集』詞書に、ただひとつ見当たらない描写であることは、注目に値します。

 『伊勢物語』は、すべてを人物の内面にしぼりながら、直接に内面を語ることをせず、内面に深く交わるような外的行為・外的状況を厳しく選ぶ態度を取り、それに内面追求を賭けたのです。
 したがって、感情そのものを示す単語、「憎し、憂し」のような情意性形容詞の類さえも、非常に少ないのです。『伊勢物語』では、登場人物の盛り上がりを語るのに、感情そのものの直接描写に頼らず、登場人物の行為や周囲の状況だけを語る。それでいて、ありありと人物の内面が伝えられている、という点に注意しなければなりません。


      根深汁きざむ母の手おぼつかな     季 己