壺中日月

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「俳句は心敬」 (14)修行の段階

2011年01月28日 22時47分40秒 | Weblog
   ――定家卿が、和歌の稽古についていろいろ書き記されたものの中に、
      「まず、最初の二、三年は、のどやかで素直な女性の和歌を学んで、
     その後、濃やかなる体、一節の体などを学ぶべきである。さらにまた、
     長高体といって痩古・清冽の体、有心体といって感動深く詩情のこも
     った体を学び、こうした諸体を詠み募った後に、強力体、鬼拉(おに
     ひしぐ)体を学ぶがよい」
    というのがある。
     定家卿は、鬼拉体を和歌の本筋だとおっしゃったという。しかし、
    「これを最上の体と言えば、世間の人はみな、それだけを学ぶだろう。
    だが、未熟な人がそれだけを練習しては、かえって悪い結果になる」
    として、秘密になさったという。
     また、「優しいさまをした地味な句体の、のびのびした歌が秀逸だと
    心得ている人が多い。だが、それは見当違いである」と、たびたび語
    っておられた。

     和歌の道は、「詞の技巧の上に美を求めた歌と、心の上に美を求め
    た歌とを並行して学ぶべきこと」とも、卿は述べておられる。
     『古今集』の序にも、「ものの本質を表現しようとする気持が失せて、
    ただ表現の華やかさばかりに気をとられるようになってきた」とある。
     また、「人が華やかな歌を好むようになってきた」とも言っている。
     「およそ浮薄な美しさを基にしているというのは、歌の本旨を知らない
    ことである」とも言っている。
     いずれにしても、歌道の誠実のなさを非難した言葉である。
     その頃でさえ、そのようなありさまであったので、ましてや今の世には、
    歌の誠のかけらさえも残ってはいない。 (『ささめごと』修行の方法)


 この段は、心敬が、定家の『毎月抄』をひいて、和歌の修行の段階を述べたものです。しかし、定家の名を冠していますが、当時から偽書と断定されていた『三五記』の所説とを、心敬が混同しているふしが見受けられます。
 いずれにしても、心敬においては、あくまで王朝風の優美が、その歌連歌の理想であったのです。
 一方、心敬は、自己の真実を表現するのに、一点の虚偽さえ、とどめることを潔しとしない潔癖な精神の持ち主でした。だからその文学は、一見、優美な様相を示しながら、その本質は厳しく、優美なうちに峻烈な心が通っていたのです。


      初不動 護摩のほてりの貌顔かお     季 己