壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

松飾り

2011年01月01日 00時42分46秒 | Weblog
     新年おめでとう
        ございます 

      
      本年もよろしく
        お願い申し上げます


   平成辛卯  元旦

                   武田 季己       




        幾霜に心ばせをの松飾り     芭 蕉

 掛詞を用いているため、中七の句意があいまいであるが、心のはずみは、かなり出ているように思う。
 芭蕉を、わが庵の門松として見立てよう、という意にも解される。しかし、幾霜に節操をかえない松の意で、そこに自己の節操を託したものであろう。過去の手法をかなり色濃く残存している。

 「幾霜(いくしも)」は、幾年も霜を受けること。何年もの年月。
 「幾霜に」は、幾たびとなく霜にあってもの意で、幾たび霜や雪を経ても、節操変わらぬ松の緑を裏にひそませている。
 「心ばせを」は、「心ばせ」つまり「心ばえ」の意と、「ばせを(芭蕉)」とをかけたもの。
        いささめに 時まつまにぞ 日はへぬる
           心ばせをば 人に見えつつ  紀乳母(きのめのと)
 という歌が『古今集』にあるが、この歌が遠くから匂っているようでもある。

 「松飾り」が季語で春(新年)。

    「幾霜を経ても変わることなき心ばせを見せている、わが芭蕉庵の
     松飾りである。それを見ながら、私は今、新たな年を迎えている」


 ――今年は「兎の登り坂」の精神、つまり、もっとも得意とする場所で、力を振るいたく思います。

      元朝の坂登りくる白うさぎ     季 己