新年おめでとう
ございます
本年もよろしく
お願い申し上げます
平成辛卯 元旦
武田 季己
幾霜に心ばせをの松飾り 芭 蕉
掛詞を用いているため、中七の句意があいまいであるが、心のはずみは、かなり出ているように思う。
芭蕉を、わが庵の門松として見立てよう、という意にも解される。しかし、幾霜に節操をかえない松の意で、そこに自己の節操を託したものであろう。過去の手法をかなり色濃く残存している。
「幾霜(いくしも)」は、幾年も霜を受けること。何年もの年月。
「幾霜に」は、幾たびとなく霜にあってもの意で、幾たび霜や雪を経ても、節操変わらぬ松の緑を裏にひそませている。
「心ばせを」は、「心ばせ」つまり「心ばえ」の意と、「ばせを(芭蕉)」とをかけたもの。
いささめに 時まつまにぞ 日はへぬる
心ばせをば 人に見えつつ 紀乳母(きのめのと)
という歌が『古今集』にあるが、この歌が遠くから匂っているようでもある。
「松飾り」が季語で春(新年)。
「幾霜を経ても変わることなき心ばせを見せている、わが芭蕉庵の
松飾りである。それを見ながら、私は今、新たな年を迎えている」
――今年は「兎の登り坂」の精神、つまり、もっとも得意とする場所で、力を振るいたく思います。
元朝の坂登りくる白うさぎ 季 己
ございます
本年もよろしく
お願い申し上げます
平成辛卯 元旦
武田 季己
幾霜に心ばせをの松飾り 芭 蕉
掛詞を用いているため、中七の句意があいまいであるが、心のはずみは、かなり出ているように思う。
芭蕉を、わが庵の門松として見立てよう、という意にも解される。しかし、幾霜に節操をかえない松の意で、そこに自己の節操を託したものであろう。過去の手法をかなり色濃く残存している。
「幾霜(いくしも)」は、幾年も霜を受けること。何年もの年月。
「幾霜に」は、幾たびとなく霜にあってもの意で、幾たび霜や雪を経ても、節操変わらぬ松の緑を裏にひそませている。
「心ばせを」は、「心ばせ」つまり「心ばえ」の意と、「ばせを(芭蕉)」とをかけたもの。
いささめに 時まつまにぞ 日はへぬる
心ばせをば 人に見えつつ 紀乳母(きのめのと)
という歌が『古今集』にあるが、この歌が遠くから匂っているようでもある。
「松飾り」が季語で春(新年)。
「幾霜を経ても変わることなき心ばせを見せている、わが芭蕉庵の
松飾りである。それを見ながら、私は今、新たな年を迎えている」
――今年は「兎の登り坂」の精神、つまり、もっとも得意とする場所で、力を振るいたく思います。
元朝の坂登りくる白うさぎ 季 己