壺中日月

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「俳句は心敬」  (4)照干一隅

2011年01月10日 20時01分26秒 | Weblog
 恵心僧都源信は、顕教、密教を兼ね備えた大学者でした。宮中から数々の恩賞にあずかりましたが、いっさいの栄達を断り、横川の恵心院に隠棲して、経論討究と修法と著述に専念しました。
 そのひとつである『往生要集』は、当時の人々に大きな衝撃と感動を与えました。また、源信は止観業を伝えて、恵心流の祖となっています。
 心敬の『ささめごと』に底流するものは、止観業の系統に属するもので、さすがに鋭い思索を示しています。歌僧時代の心敬の号が「心恵」であったのは、恵心僧都追慕の情があったからだと思います。

 ――叡山に「照干一隅此則国宝」と書かれた石柱が立っています。これは、最澄が比叡山に天台宗を開き、その宗旨を明らかにし、修行規定を確立するために著した『山家学生式』の中に見える一句で、天台宗の大切な教えのひとつです。
 ふつう、「照干一隅(一隅を照らす)」といわれていますが、一時、「照干一隅」か「照千一隅」かで論争を呼びました。「干」か「千」かで、意味が違ってしまうのです。
 「一隅を照らす」は、従来の読み方で、「片隅にあっても全力を尽くす」という意味です。
 「照千一隅」は、中国古典の『史記』などの「照千里守一隅(一隅を守り千里を照らす)」を約した熟字とする新学説で、「一隅を守りながら、千里を照らす者たれ」と訳すべきだとするのです。
 私も、最澄自筆の『山家学生式』を見たことがありますが、たしかに「照千一隅」と読めます。ただ、「一隅を照らす」を、片隅を守るだけで満足せよ、との教えと見るのはあたらないと思います。その灯は、やがては遠くを照らす大きな光の基となろう、と見るべきです。「照千一隅」も、一隅の大切さに変わりはありません。
 いずれにしても、無名の自分の責任を、一隅にあって守ることが、やがては大きな成果をあげる原動力になる、という事実に変わりはありません。

 宗匠という名誉職をもつがず、一隅において指導教化に努めた心敬は、まさに、自己を完全燃焼して一隅を守り、千里を照らした人でもあったのです。


      百病の人のひとこと冬の梅     季 己