あこくその心も知らず梅の花 芭 蕉
風麦(ふうばく=昨日の拙ブログ参照)への挨拶として、その変わらぬ友情を詠みあげたものである。わざわざ紀貫之を「阿古久曾(あこくそ)」の幼名で言ったのは一種の俳諧化で、主人風麦と芭蕉とは幼なじみで、長じた今も幼名で呼ぶ仲だったかとも考えられる。
『三冊子』などによれば、切字(きれじ)を入れるために苦心した句であるという。この句では『ず』が切字である。貞享五年一月の作。
「あこくそ」は、『倭訓栞(わくんのしおり)』に、
「源氏物語の抄に貫之が童名内教坊のあこくそといへり」
と見え、古くから貫之の幼名と伝えられるものである。
この句の「心も知らず」は、貫之が初瀬に泊まったときの、
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける
によったものであることは明らかであるから、貫之の幼名と考えてよいだろう。
蕪村にも、
阿古久曾のさしぬきふるふ落花かな
の作がある。
季語は「梅の花」で春。
「自分はいま故郷に帰ってきたが、梅は昔のままに咲き匂っている。
昔、紀貫之は
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける
と詠んだが、それはどんな心であったのだろう。自分の場合は、眼
前に梅が昔のままに咲いているように、故郷の人の心も昔のとおり
であると思われるのだが……」
冬ぬくくスジャータ村の話かな 季 己
風麦(ふうばく=昨日の拙ブログ参照)への挨拶として、その変わらぬ友情を詠みあげたものである。わざわざ紀貫之を「阿古久曾(あこくそ)」の幼名で言ったのは一種の俳諧化で、主人風麦と芭蕉とは幼なじみで、長じた今も幼名で呼ぶ仲だったかとも考えられる。
『三冊子』などによれば、切字(きれじ)を入れるために苦心した句であるという。この句では『ず』が切字である。貞享五年一月の作。
「あこくそ」は、『倭訓栞(わくんのしおり)』に、
「源氏物語の抄に貫之が童名内教坊のあこくそといへり」
と見え、古くから貫之の幼名と伝えられるものである。
この句の「心も知らず」は、貫之が初瀬に泊まったときの、
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける
によったものであることは明らかであるから、貫之の幼名と考えてよいだろう。
蕪村にも、
阿古久曾のさしぬきふるふ落花かな
の作がある。
季語は「梅の花」で春。
「自分はいま故郷に帰ってきたが、梅は昔のままに咲き匂っている。
昔、紀貫之は
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける
と詠んだが、それはどんな心であったのだろう。自分の場合は、眼
前に梅が昔のままに咲いているように、故郷の人の心も昔のとおり
であると思われるのだが……」
冬ぬくくスジャータ村の話かな 季 己