壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

あこくその心

2011年01月22日 22時51分59秒 | Weblog
        あこくその心も知らず梅の花     芭 蕉

 風麦(ふうばく=昨日の拙ブログ参照)への挨拶として、その変わらぬ友情を詠みあげたものである。わざわざ紀貫之を「阿古久曾(あこくそ)」の幼名で言ったのは一種の俳諧化で、主人風麦と芭蕉とは幼なじみで、長じた今も幼名で呼ぶ仲だったかとも考えられる。
 『三冊子』などによれば、切字(きれじ)を入れるために苦心した句であるという。この句では『ず』が切字である。貞享五年一月の作。

 「あこくそ」は、『倭訓栞(わくんのしおり)』に、
        「源氏物語の抄に貫之が童名内教坊のあこくそといへり」
 と見え、古くから貫之の幼名と伝えられるものである。
 この句の「心も知らず」は、貫之が初瀬に泊まったときの、
        人はいさ心も知らずふるさとは
          花ぞ昔の香ににほひける

 によったものであることは明らかであるから、貫之の幼名と考えてよいだろう。
 蕪村にも
        阿古久曾のさしぬきふるふ落花かな
 の作がある。

 季語は「梅の花」で春。

    「自分はいま故郷に帰ってきたが、梅は昔のままに咲き匂っている。
     昔、紀貫之は
        人はいさ心も知らずふるさとは
          花ぞ昔の香ににほひける
     と詠んだが、それはどんな心であったのだろう。自分の場合は、眼
     前に梅が昔のままに咲いているように、故郷の人の心も昔のとおり
     であると思われるのだが……」


      冬ぬくくスジャータ村の話かな     季 己