手鼻かむ音さへ梅の盛りかな 芭 蕉
「手鼻かむ音」などは、古い歌の観念では、とうてい生かされそうもない素材である。芭蕉は、和歌・連歌の詠み残したところを、広く俳諧の領域として俳諧化していった。この場合も、その大胆な取材の一つである。
素材をひろげただけではなく、それを俳諧の世界に生かして、新しい美を開拓してゆくのが、芭蕉の意図だったと思われる。
季語は「梅」で春。
「郷里の伊賀は山家であるから、里人は手鼻をかむ。まことにむさ苦しい音で
あるが、折しも梅の盛りのころとて、その手鼻かむ音にも田舎らしい趣が感
じられてくる」
冬日来て大観音とあそびをり 季 己
「手鼻かむ音」などは、古い歌の観念では、とうてい生かされそうもない素材である。芭蕉は、和歌・連歌の詠み残したところを、広く俳諧の領域として俳諧化していった。この場合も、その大胆な取材の一つである。
素材をひろげただけではなく、それを俳諧の世界に生かして、新しい美を開拓してゆくのが、芭蕉の意図だったと思われる。
季語は「梅」で春。
「郷里の伊賀は山家であるから、里人は手鼻をかむ。まことにむさ苦しい音で
あるが、折しも梅の盛りのころとて、その手鼻かむ音にも田舎らしい趣が感
じられてくる」
冬日来て大観音とあそびをり 季 己