旅寝して我が句を知れや秋の風 芭 蕉
旅寝によって、秋の風の深く身に沁みる趣を解し得た。そうして成った自分の句を、人にも旅寝を味わった上でわかってもらいたい、と呼びかけた発想である。
芭蕉の俳諧は、生活の余技としてのそれではない。芭蕉は、生活は生活として営み、俳諧は俳諧として営んだという人ではなかった。身心一如、旅を通し、旅を生活し、その中に俳諧を生活しぬいたのである。そういう俳諧の心を、やはり、行ずることによってわかって欲しかったものであろう。
『野ざらし紀行絵巻』の真蹟跋に、
「此一巻は、必ず紀行の式にもあらず、ただ山橋野店(さんきょう
やてん) の風景、一念一動をしるすのみ。ここに中川氏濁子(じょ
くし)、丹青をして其の形容を補はしむ。他見恥づべきもの也」
としてこの句がある。濁子は大垣藩士。
季語は「秋の風」。実感が身にひびき、それが契機となって、我が句について述べている発想である。取合わせて置いたものではない。
「秋風が身に沁みわたる旅寝をして、自分の句は成ったものである。
人々よ、旅寝をして、この秋風の身に沁む境涯を味わって、我が句
を知ってもらいたい」
秋の風しばし薬師のふところに 季 己
旅寝によって、秋の風の深く身に沁みる趣を解し得た。そうして成った自分の句を、人にも旅寝を味わった上でわかってもらいたい、と呼びかけた発想である。
芭蕉の俳諧は、生活の余技としてのそれではない。芭蕉は、生活は生活として営み、俳諧は俳諧として営んだという人ではなかった。身心一如、旅を通し、旅を生活し、その中に俳諧を生活しぬいたのである。そういう俳諧の心を、やはり、行ずることによってわかって欲しかったものであろう。
『野ざらし紀行絵巻』の真蹟跋に、
「此一巻は、必ず紀行の式にもあらず、ただ山橋野店(さんきょう
やてん) の風景、一念一動をしるすのみ。ここに中川氏濁子(じょ
くし)、丹青をして其の形容を補はしむ。他見恥づべきもの也」
としてこの句がある。濁子は大垣藩士。
季語は「秋の風」。実感が身にひびき、それが契機となって、我が句について述べている発想である。取合わせて置いたものではない。
「秋風が身に沁みわたる旅寝をして、自分の句は成ったものである。
人々よ、旅寝をして、この秋風の身に沁む境涯を味わって、我が句
を知ってもらいたい」
秋の風しばし薬師のふところに 季 己