壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ちりぢりに

2010年09月13日 21時24分11秒 | Weblog
        夕露や伏見の角力ちりぢりに     蕪 村

 「伏見の角力」は、「伏見で催される角力」の意味であるが、いかにも穏やかなよい調子である。
 「ちりぢりに」は、近在だけでなく、淀の川船で宇治や京都へ帰ろうとする人々までが、藪の多い伏見のさびしい夕景の中を、小屋を中心にたちまち姿を消すさまが詠まれている。その上、この「ちりぢり」の語は、
        日のちりぢりに野に米を刈る
 と、芭蕉時代の連句の中にも見られるように、夕日の色の褪せた後、夕露が野面に淡く散り広がっているさまをも偲ばせるものがある。

 季語は「角力」で秋。

    「伏見の堤防沿いに仮小屋を建て、相撲が興行されている。沸き立つ
     にぎわしさであったが、夕方とともに打出しになった。もう堤防も野面
     も夕日の色が褪せて、夕露が限りなく置いている。その中を見物人
     は四方八方へ、たちまちの間に引き上げて行ってしまう」


 ――二日つづけて「角力」の句を取り上げたが、大相撲ファンということではない。むしろアンチ大相撲である。昨日から秋場所が始まり、ほかに書くネタがなかったからなのだ。
 今日、母を預けてある妹宅へ行ってきた。おかげさまで母は元気になり、「早く家に帰りたい」と、合宿中の小学生みたいなことを言い出す。妹は、「お彼岸が過ぎるまではダメよ」と言って引きとめる。「暑さ寒さも彼岸まで、というから、そうしようか」と、やっと納得の母。
 これらの会話を交わしたのが、NHKの大相撲中継が放映されていたとき。見るともなしにテレビを見て、思わずうれしくなった。客席が、がらがらなのだ。(相撲ファンの方、ごめんなさい!)
 日本相撲協会が、法人格を返上、株式会社化し、その名も世界相撲協会として新たな出発をする日を、楽しみにしている変人なのである。

      サポーターぶつかり合ひて硬き暑よ     季 己