夕露や伏見の角力ちりぢりに 蕪 村
「伏見の角力」は、「伏見で催される角力」の意味であるが、いかにも穏やかなよい調子である。
「ちりぢりに」は、近在だけでなく、淀の川船で宇治や京都へ帰ろうとする人々までが、藪の多い伏見のさびしい夕景の中を、小屋を中心にたちまち姿を消すさまが詠まれている。その上、この「ちりぢり」の語は、
日のちりぢりに野に米を刈る
と、芭蕉時代の連句の中にも見られるように、夕日の色の褪せた後、夕露が野面に淡く散り広がっているさまをも偲ばせるものがある。
季語は「角力」で秋。
「伏見の堤防沿いに仮小屋を建て、相撲が興行されている。沸き立つ
にぎわしさであったが、夕方とともに打出しになった。もう堤防も野面
も夕日の色が褪せて、夕露が限りなく置いている。その中を見物人
は四方八方へ、たちまちの間に引き上げて行ってしまう」
――二日つづけて「角力」の句を取り上げたが、大相撲ファンということではない。むしろアンチ大相撲である。昨日から秋場所が始まり、ほかに書くネタがなかったからなのだ。
今日、母を預けてある妹宅へ行ってきた。おかげさまで母は元気になり、「早く家に帰りたい」と、合宿中の小学生みたいなことを言い出す。妹は、「お彼岸が過ぎるまではダメよ」と言って引きとめる。「暑さ寒さも彼岸まで、というから、そうしようか」と、やっと納得の母。
これらの会話を交わしたのが、NHKの大相撲中継が放映されていたとき。見るともなしにテレビを見て、思わずうれしくなった。客席が、がらがらなのだ。(相撲ファンの方、ごめんなさい!)
日本相撲協会が、法人格を返上、株式会社化し、その名も世界相撲協会として新たな出発をする日を、楽しみにしている変人なのである。
サポーターぶつかり合ひて硬き暑よ 季 己
「伏見の角力」は、「伏見で催される角力」の意味であるが、いかにも穏やかなよい調子である。
「ちりぢりに」は、近在だけでなく、淀の川船で宇治や京都へ帰ろうとする人々までが、藪の多い伏見のさびしい夕景の中を、小屋を中心にたちまち姿を消すさまが詠まれている。その上、この「ちりぢり」の語は、
日のちりぢりに野に米を刈る
と、芭蕉時代の連句の中にも見られるように、夕日の色の褪せた後、夕露が野面に淡く散り広がっているさまをも偲ばせるものがある。
季語は「角力」で秋。
「伏見の堤防沿いに仮小屋を建て、相撲が興行されている。沸き立つ
にぎわしさであったが、夕方とともに打出しになった。もう堤防も野面
も夕日の色が褪せて、夕露が限りなく置いている。その中を見物人
は四方八方へ、たちまちの間に引き上げて行ってしまう」
――二日つづけて「角力」の句を取り上げたが、大相撲ファンということではない。むしろアンチ大相撲である。昨日から秋場所が始まり、ほかに書くネタがなかったからなのだ。
今日、母を預けてある妹宅へ行ってきた。おかげさまで母は元気になり、「早く家に帰りたい」と、合宿中の小学生みたいなことを言い出す。妹は、「お彼岸が過ぎるまではダメよ」と言って引きとめる。「暑さ寒さも彼岸まで、というから、そうしようか」と、やっと納得の母。
これらの会話を交わしたのが、NHKの大相撲中継が放映されていたとき。見るともなしにテレビを見て、思わずうれしくなった。客席が、がらがらなのだ。(相撲ファンの方、ごめんなさい!)
日本相撲協会が、法人格を返上、株式会社化し、その名も世界相撲協会として新たな出発をする日を、楽しみにしている変人なのである。
サポーターぶつかり合ひて硬き暑よ 季 己