壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

蒔絵書きたし

2010年09月19日 22時32分54秒 | Weblog
        あの中に蒔絵書きたし宿の月     芭 蕉

 『更科紀行』本文に、
        「いでや、月のあるじに酒振舞はん」といへば、盃持ち出でたり。
        よのつねに一めぐりも大きに見えて、ふつつかなる蒔絵をしたり。
        都の人は、かかるものは風情なしとて、手にも触れざりけるに、
        思ひもかけぬ興に入りて、せいわんぎょくしの心地せらるる所がら
        なり。
 とあって掲出。貞享五年(1688)八月作。

 月に蒔絵をしたいという感じは、前文がないと少し唐突で、ことさらめいた風流が感じられる。しかし、都の人なら手に取りそうもないふつつかな蒔絵の盃を傾けている際であるから、酒興に乗じて、その盃の縁で、あの月に蒔絵をしたらと思いつくことはさして不自然ではない。「宿の月」といったのは、そうした田舎の家を感じさせるための配慮なのであろう。要するに、酒興にはずんだ即興の句と見てよい。

 「蒔絵」は、漆で絵を描き、金や銀の粉を蒔きつけ、乾かしてから磨いて光らせるもの。高蒔絵・梨地・研出(とぎだし)などの種類がある。
 前文の「せいわんぎょくし」は、青い碗と玉のように美しい盃。

 季語は「(宿の)月」で秋。この月の扱い方は、談林の見立てに似た手法であるが、ここではもっとずっと虚心の興じようなのである。

    「空に明るく澄みきった月がある。じっと見ているとどこか盃に似た形であり、
     あまりに明るいあの月に、ふと蒔絵でも描いてみたいと思った」


      昼月や根津のたいやき売切れて     季 己