壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

わりなき

2010年09月02日 20時46分55秒 | Weblog
        痩せながらわりなき菊の莟かな     芭 蕉

 「わりなき」の一語に、すべてがかかっている。痩せながらも時至って、莟をつけずにはいられない菊の姿に、いじらしさと痛々しさを感じたものであろう。ここから、「わりなき」の一語は、絞り出されたように据えられているのである。これは、こういうより何とも致し方のない、「わりなき」である。菊に滲透した芭蕉の、静かではあるが清冽な凝集の力が、じりじり動いてくるようである。

 「わりなし」は、「理(わり)なし」の意で、「他にとるべき方法がない」とか、「やむを得ない」の意にも使う。ここでは、菊が時至って、やむにやまれぬ力で莟を持つに至ったことへの、ゆらいでいる芭蕉の気持ちを表している。

 季語は「菊」で秋。菊に滲透した芭蕉の内にあるものが、滲み出た把握となっている。

    「痩せて花を持つことも出来まいと見えていた菊に、痩せながらも、
     莟がつきはじめた。時至って、止むに止まれぬ力に動かされている
     姿は、痛ましくも切ない感じである」


      秋暁や玄関番に「雨後」掛けて     季 己