壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

残暑

2010年09月21日 22時47分23秒 | Weblog
          残 暑
        夏かけて名月暑き涼みかな     芭 蕉

 即興風な詠みぶりであるが、深い寂寥の中に沈んでゆくようなものが感じられる。
 この句は元禄六年八月十五日の作であるが、この前後の書簡は、句の背景を理解する上で参考になる。たとえば、
    「当年めきと草臥れ増さり候」(十月九日付、許六宛)
    「夏中甚暑に痛み候ひて、頃日まで諸縁を絶ち、初秋より閉関、病閑保養
     にかかづらひ、筆をも執らず候故、心外に打ちすぎ申し候」(十一月八日
     付、荊口宛)
    「当夏暑気つよく、諸縁音信を断ち、初秋より閉関、……夏中は筆をもと
     らず、書にむかはず、昼も打ち捨て寝暮したるばかりに御座候」(十一月
     八日付、曲翠宛)
 など、心身の疲労を伝えている。

 「夏かけて」は、夏を心に置いて、夏を思わせての意。「梅が枝に来ゐる鶯春かけて啼けどもいまだ雪は降りつつ」(古今集・春上・詠人知らず)などにもとづく措辞かと思う。この「春かけて」は、冬から春にかけてと解するのが通説であるが、心にかける意に解される可能性は十分にある。
 なお、「夏かけて」は、夏を兼ねてと解する説もある。あるいはまた、夏を含めての意で、夏このかたずっと今にまでひきつづいて、ほどの意か。

 季語は「名月」で秋。前書の「残暑」も秋の季語。「暑さ」・「涼み」は夏の季語。

    「今年の仲秋の名月は、残暑なお去りやらず、まるで夏を思わせるような
     暑さで、この月見の座も、一方で納涼の趣があることだ」


      愛といふ粒ぎつしりの葡萄賜ぶ     季 己