壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

美しき顔もなし

2010年09月24日 23時36分40秒 | Weblog
        明月や座に美しき顔もなし     芭 蕉

 初案の「児たち並ぶ」も、改案の「七小町」も、ともに月光の幻想美に魅せられた発想で、舞台装置が如何にも絢爛でありすぎる。この頃の芭蕉の心境からいうと、もっと身近なところに俳諧の美が求められていたものと考えてよかろう。
 この句は前二句に比べて、ずっと現実的で、幻想的な美の世界から眼前の世界にかえってきたような味がある。醜い現実の人々の顔を描いて、月の美を思わせたと解する説は行き過ぎだと思う。そうではなく、月に見とれていたさなかに、ふと振り返った人間同士の、何の奇もない顔をもう一度見なおしている、その場の自然な感じであると思う。
 この推敲過程には、この頃の芭蕉の〈高悟帰俗〉の志向がはっきりあらわれているような気がする。

 『初蟬』に、
        翁義仲寺にいませし時に、「名月や児(ちご)たち並ぶ堂の縁  芭蕉」
        とありけれど、此の句 意に満たずとて、「名月や海にむかへば七小町
         同」と吟じて、是も尚あらためんとて、「明月や座にうつくしき顔もなし
        同」といふに、其の夜の句は定まりぬ。これにて、翁の風雅にやせられし
        事を知りて、風雅をはげまん人の教へなるべしと、今ここに出だしぬ。
 と注記して掲出されている。元禄三年(1690)八月十五日の作。

 季語は「明月」で秋。

    「名月を眺めた目で、さて一座の面々の顔をかえりみると、美しい顔などは一つも
     なく、どれも何の奇もない、平々凡々の顔ばかりであるよ」


 ――皆様の励ましのお言葉や、お送りいただいた品々のお陰で、好中球が2170となり、抗ガン剤治療を受けることが出来ました。さらに有難いことには、治療後の現在も、副作用はまったく感じられず、好調そのもの。恐いくらいです。これらも皆様の応援のお陰と、深く深く感謝申し上げます。
 一日一生。日々、楽しく一所懸命、感謝して生きることが大切と、しみじみ感じております。

      あけぼののツリーホワイト曼珠沙華     季 己