壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

何喰うて

2010年09月08日 22時50分57秒 | Weblog
        何喰うて小家は秋の柳蔭     芭 蕉

 この句は、元禄十二年刊の『茶の草子』の他には出ていない。したがって年代未詳の句である。
 「何喰うて」という発想の性格からみて、初期や中期のものではないようである。晩年の作と見えるので、元禄六年ごろを想定している。
 「何喰うて」は、決して小家の生活をさげすんだものではない。「秋深き隣は何をする人ぞ」に一脈通じるものがあるようだ。ちなみに蕪村にも、「凩(こがらし)や何に世渡る家五軒」の作がある。
 「何喰うて」の心のたどりゆく筋には、生きてゆくことのあわれさを深く感じているところが見える。

 秋の句。「秋の柳蔭」で秋の季を生かしている。柳には「柳散る」という秋の季語もある。

    「散り初めた秋の柳の蔭に、一軒の小家が忘れられたようにある。
     この侘びしい小家の人は、何をたつきとしているとも見えず、
     ひっそりとしている。いったい何を食い、何をしてその日を送っ
     ているのであろうか」


      散る柳うけていとしむ老夫婦     季 己