廿六日、小松歓水亭、雨中也
ぬれて行くや人もをかしき雨の萩 芭 蕉
雨中の句会に臨んでの、挨拶の心がこめられている。
雨の萩のさまに興を起こし、ぬれてゆく人のさまも、萩の傍らでなかなか捨てがたいものであると、属目の景に発想したもの。
古歌によるという説があるが、それよりは即興的なところを、味わいとる必要があるのではなかろうか。女人の姿の彷彿する句である。元禄二年七月二十六日の作。
「歓水亭」は、「観水亭」・「観生亭」などともあるが、真蹟懐紙・『随行日記』により、「歓生」亭と考えるべき、という説に従う。歓生は小松の俳人、別号は「亭子」。
季語は「萩」で秋。「萩」の情趣が生かされた使い方。
「雨に濡れそぼつ萩の趣は、なかなか興味深いが、その花を賞して、
濡れながらこの亭の庭を往来する人も、風情捨てがたいものがある
ことだ」
山萩のなだるるを日の照り翳り 季 己
ぬれて行くや人もをかしき雨の萩 芭 蕉
雨中の句会に臨んでの、挨拶の心がこめられている。
雨の萩のさまに興を起こし、ぬれてゆく人のさまも、萩の傍らでなかなか捨てがたいものであると、属目の景に発想したもの。
古歌によるという説があるが、それよりは即興的なところを、味わいとる必要があるのではなかろうか。女人の姿の彷彿する句である。元禄二年七月二十六日の作。
「歓水亭」は、「観水亭」・「観生亭」などともあるが、真蹟懐紙・『随行日記』により、「歓生」亭と考えるべき、という説に従う。歓生は小松の俳人、別号は「亭子」。
季語は「萩」で秋。「萩」の情趣が生かされた使い方。
「雨に濡れそぼつ萩の趣は、なかなか興味深いが、その花を賞して、
濡れながらこの亭の庭を往来する人も、風情捨てがたいものがある
ことだ」
山萩のなだるるを日の照り翳り 季 己