此の境 這ひわたるほどといへるも、
ここの事にや
かたつぶり角ふりわけよ須磨明石 芭 蕉
発想の契機は、『源氏物語』の「這ひ渡るほど」の語から、蝸牛(かたつぶり)が想い起こされたところにある。初夏の朝、蝸牛がしとどの露の中で、角(つの)ふるさまを実際に目にして生かしたものであろう。
初夏のさわやかな朝、蝸牛が角ふる眼前、左右に須磨・明石の景がひろがっている。つまり、角ふるその方向に須磨があり、明石があるので、「蝸牛よ、須磨・明石へ角ふりわけよ」と興じたくなるのは、ごく自然の気持であると思う。『笈の小文』には、
「淡路島手に取るやうに見えて、須磨・明石の海右左にわかる。
呉楚(ごそ)東南の詠(ながめ)もかかる所にや。物知れる
人の見侍らば、さまざまの境にも、おもひなぞらふるべし」
と情景が描写されている。
制作場所からみて、『笈の小文』旅中、貞享五年四月二十日ごろの作。
前書の「這ひわたるほど」の語は、『源氏物語』須磨の巻の、
「明石の浦はただ這ひ渡るほどなれば、良清の朝臣の入道の
むすめを思ひ出でて、文などやりけれど、返りごともせず」
とある文によったもの。明石の浦が、須磨に近接していることを言いたかったものと思う。
季語は「かたつぶり」で夏。『源氏物語』の「明石の浦はただ這ひ渡るほどなれば」が、この蝸牛の這いわたることと結びついた発想である。
「かたつぶりよ、お前のそのよく動く角を、〈這ひわたるほど〉といわれるぐらい
近接し、ともに景のすぐれた左右の須磨・明石に振り分け、指し示して見せよ」
素通りす夏至の花鳥画世界展 季 己
ここの事にや
かたつぶり角ふりわけよ須磨明石 芭 蕉
発想の契機は、『源氏物語』の「這ひ渡るほど」の語から、蝸牛(かたつぶり)が想い起こされたところにある。初夏の朝、蝸牛がしとどの露の中で、角(つの)ふるさまを実際に目にして生かしたものであろう。
初夏のさわやかな朝、蝸牛が角ふる眼前、左右に須磨・明石の景がひろがっている。つまり、角ふるその方向に須磨があり、明石があるので、「蝸牛よ、須磨・明石へ角ふりわけよ」と興じたくなるのは、ごく自然の気持であると思う。『笈の小文』には、
「淡路島手に取るやうに見えて、須磨・明石の海右左にわかる。
呉楚(ごそ)東南の詠(ながめ)もかかる所にや。物知れる
人の見侍らば、さまざまの境にも、おもひなぞらふるべし」
と情景が描写されている。
制作場所からみて、『笈の小文』旅中、貞享五年四月二十日ごろの作。
前書の「這ひわたるほど」の語は、『源氏物語』須磨の巻の、
「明石の浦はただ這ひ渡るほどなれば、良清の朝臣の入道の
むすめを思ひ出でて、文などやりけれど、返りごともせず」
とある文によったもの。明石の浦が、須磨に近接していることを言いたかったものと思う。
季語は「かたつぶり」で夏。『源氏物語』の「明石の浦はただ這ひ渡るほどなれば」が、この蝸牛の這いわたることと結びついた発想である。
「かたつぶりよ、お前のそのよく動く角を、〈這ひわたるほど〉といわれるぐらい
近接し、ともに景のすぐれた左右の須磨・明石に振り分け、指し示して見せよ」
素通りす夏至の花鳥画世界展 季 己