壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

粒粒辛苦

2010年06月07日 22時29分54秒 | Weblog
          農を憫(あわ)れむ     李 紳
        禾(いね)を鋤(す)いて日(ひ)午(ご)に当たる
        汗は滴(したた)る禾下(かか)の土
        誰(たれ)か知らん盤中の餐(さん)
        粒粒(りゅうりゅう)皆(みな)辛苦(しんく)なるを

        「稲の手入れの雑草取りをしていると、真昼時の太陽が照りつける。
         吹き出る汗が、稲の下の地面にしたたり落ちてゆく。
         誰が知っていようか、この盤(はち)の中の飯の、
         一粒一粒が皆、厳しい農民の労苦の結晶であることを。」

 人が三度三度、食事ができるのは、農民の苦しい労働の結果なのだ、という教訓の詩であろう。
 じりじり照りつける太陽、ぽたぽた滴(したた)り落ちる汗。農民の汗を吸った土が、稲を育てる。
 起句・承句二句は簡潔だが、土と格闘する農民の姿を、カチッととらえた見事なデッサンになっている。
 転句・結句二句は、そのデッサンの画賛。日ごろ何気なく食べているご飯の一粒一粒が、実は農民の汗の一滴一滴の化身ではないか、という問いかけが鋭い。
 「粒粒皆辛苦」の五字は、耳にも目にも強烈、舌になめらかに響く。いかにも教訓の詩らしく暗誦しやすい。

 「粒粒辛苦」(こつこつと苦労を重ねて努力すること)という言葉の出典として有名な詩である。この詩は、もと二首連作の第二首目の詩。第一首とともに読むと、味わいがいっそう深刻になろう。

        「春に一粒の籾(もみ)を播(ま)いておくと、
         秋には幾万粒のもの実になる。
         国中のどこにも遊ばせている田はないが、
         それでもなお、農夫は餓死してしまうのだ。」

 農夫が餓死するのは何故か。表向きには、詩は何も語らない。だが、重税のためなのは確かだし、重税は、為政者の贅沢(ぜいたく)な暮らしのためである。中国には古くから、為政者は贅沢をおさえ、農民をいたわり、その労苦を思うべきだ、という人道主義的な政治観があった。この詩も、そうした人道主義をうたった詩である。


      地に寝かす刈りたる草のしめりかな     季 己