壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

紫陽花

2010年06月24日 19時51分53秒 | Weblog
        紫陽花や帷子時の薄浅黄     芭 蕉

 紫陽花の変化する微妙な色合いが、軽やかな帷子(かたびら)の着心地の感触につつまれて把握され、みずみずしさの出た作である。
 「帷子時(かたびらどき)」は、帷子を着る時節の意。帷子は、生絹(すずし=生糸の織物で、練っていないもの)や麻布で仕立てたひとえもの。
 「薄浅黄(うすあさぎ)」は、「薄浅葱(うすあさぎ)」に同じ。薄い葱(ねぎ)の葉の色の意で、薄い青色。水色。「浅葱帷子、黒子袖」といって、浅黄色が帷子の上品な色合いとされていた。

 季語は「紫陽花」で夏。「帷子」も夏の季語であるが、「紫陽花」がより夏の季を生かしている。

    「紫陽花が、折からの帷子を着る時節にふさわしく、帷子の色の薄浅葱に咲き匂っているよ」


――宮坂通信Web版を見ていたら、わたしのことが書かれていた。
        ……東京の「3度の武田」さんには、買う買わないは別にして是非行って
        もらいたい展覧会ではあるが(中略)
         『三人三様展』はもう二度と銀座では見られないから、是非にも行って
        欲しい……

 『三人三様展』は今、仙台「晩翠画廊」で好評開催中とのこと。
 『三人三様展』の『三人』とは、小嶋悠司・深沢軍治・菅原智子の三先生のことである。三人とも私の大好きな先生である。小品ではあるが、小嶋先生と菅原先生の作品は数点所有している。自分では、すべて名品であると、うぬぼれて?いる。もちろん全作品、画廊宮坂で購入したものだ。
 この三人に共通して言えることは、たとえサインがなくとも作家名がすぐ分かることだ。だが世間では、どこの誰が描いたか分からない作品に、○○と目立つようなサインがあると、ウン百万円で売れるのである。そう、世の中で最も美しいものは「絵はがき」なのである。この三人の作品は「絵はがき」ではなく、心に染み入る作品、つまり芭蕉いうところの「蟬の声」だと思う。

 いったい、どんな作品が展示されているのか知りたくて、「晩翠画廊」のHPをのぞいてみた。
 ある、ある、ある! なつかしい作品たちが、きらきらと輝いている。毎週1~2度、画廊宮坂でコーヒーをごちそうになっている変人ゆえ、「心の画集」の中にしっかりとインプットされている。
 それでも仙台まで出掛けて、再会したい作品も多数ある。特に、「身辺整理、身辺整理」と呪文を唱えなければならない作品が、四点あるのには参った。
 「もう二度と銀座では見られないから」ということは、売れ残った作品は、いわゆる、画商の交換会か、オークションに出品するつもりなのであろう。だから、その前に「是非にも行って欲しい」、十二分に名残を惜しんで欲しい、との宮坂さん一流のやさしい心のあらわれなのだと思う。
 しかし、正直言うと、行きたくない気持の方が強いのだ。理由は簡単、「晩翠画廊」のHPの中に、「雨が降っても画廊の仲(ママ)は癒しの空間」とあったからだ。変人は「癒し」、ことに「癒されたい」という言葉が大嫌い。
 だから旅番組は見ない。また、番組の中で「癒し」が出てきたら、即、チャンネルを変えるか、テレビを消すかする。それほど嫌いなのだ。
 晩翠画廊は、「癒しの空間」ということなので、そんな大嫌いな空間には、一秒たりとも居たくない。これが、癒し以外の空間なら、喜んで飛んでゆくのだが。やはり、わたしは変人。

      紫陽花の彩ふつふつと蕎麦処     季 己