壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

一日一日

2010年06月11日 21時15分07秒 | Weblog
        一日一日麦あからみて啼く雲雀     芭 蕉

 「一日一日」は、「ひとひひとひ」と読む。
 対象に素直に歩み入ろうとする態度が見られ、麦秋の明るいさびしさが生かされている。発想の上からも、同じ『嵯峨日記』の、四月二十三日の条に掲出の
        麦の穂や泪に染めて啼く雲雀 
 の推敲作と考えられる。
 『嵯峨日記』真蹟本に、「麦の穂や」の句の左側に「一日一日麦あからみて啼」と細書きし、末尾の「雲雀」に続くように記載している。「麦の穂や」の句は消されていないが、その再案と見るのが自然であろう。ただし、弟子の土芳などは、別案のメモに過ぎないと見ているようであるが……。

 では何故、芭蕉は改案したのであろうか。
 「麦の穂や」の句には、談林のころの、対象に自己の主観的な解釈を押しつけてゆく手法の、残滓が見えるからではないか。つまり、麦があからむのは、雲雀が泪に染めるのである、ととる点がそれである。発想の古さは覆いがたい。

 季語は「麦あからむ」、すなわち「麦秋」で夏。「麦のあからむ」ことと「啼く雲雀」との間のかかわりが中心で、それが「一日一日」に生かされている。

    「見渡す限りの麦は、一日一日とあからみ熟れてゆく。雲雀はその麦秋のさびしさの
     中にあって、ただ啼きつづけていることだ」


 ――芭蕉の句ではないが、最近は「一日一日」と絶好調に戻りつつあった。それこそ文字通り、薄紙を剥ぐように。それもそうだろう、前回抗ガン剤の点滴を受けたのは、5週間前なのだから。
 今日の血液・尿検査の結果は◎。例の白血球の数値も、基準の1500を超え1800まで回復、その他の数値も全く問題なく、今日はめでたく?GOサイン。

 10時に駒込病院に着き、すぐに血液・尿検査を受ける。そうして主治医の診察が終了したのが、11時21分。廊下のベンチで待つこと1時間10分。12時40分にやっと点滴開始、終了が15時ちょうど。
 この点滴時間中、持参のiPodでNHKの「まいにちイタリア語」のCDを聞きながら、うつらうつらと夢の世界をさまよう。もちろん、夢を見たのか見なかったのかさえ分からないが。
 参考までに、本日の治療費は326,480円であるが、健康保険の3割負担で97,940円であった。

      看護師の声すきとほる麦の秋     季 己