壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

五月雨

2010年06月14日 20時23分46秒 | Weblog
        五月雨に御物遠や月の顔     桃 青(芭蕉)

 「御物遠」という、疎遠をあらわす日常語が笑いを呼んでいるわけで、例の自然の人事化による発想である。『続山井』所出なので、寛文七年(1667)以前の作。

 「御物遠」は、当時の手紙などに用いられた言葉で、御疎遠・御無音というのと同じ気持で、ここでは、しばらく月の顔を見なかったことを指す。

 季語は「五月雨」で夏。長く続くものという前提のもとに使われている。

    「降り続く五月雨のために、月の顔もしばらく御疎遠になってしまったことだ」

――今日から東京も梅雨入り。そこでもう一句サービス。

        降る音や耳も酸うなる梅の雨     桃 青

 「口が酸っぱくなる」という慣用語がある。同じ言葉を幾度も繰り返すさまにいう。また「口を酸っぱくする」ともいう。
 これと同様に、聞き飽きることを俗に「耳が酸っぱくなる」という。これも「梅の雨」という名称が縁語として「耳も酸(す)うなる」と発想を促している作である。
 なお、これより先、万治三年(1660)刊の『境海草(さかいぐさ)』には、
        「音聞くや耳もすうなる梅の雨  玄良」
 という句がある。
 「降る音」の句も『続山井』所出なので、寛文七年以前の作。

 「梅の雨」が季語で「梅雨(つゆ)」のこと。梅が熟するころ降るのでいう。夏季。

    「毎日じめじめと降り続いている梅雨の音を聞いていると、その名の『梅』の酸い
     ように、耳も酸っぱくなるような感じだ」


      国会の見ざる聞かざる梅雨に入る     季 己