須磨の海士の矢先に鳴くか郭公 芭 蕉
『笈の小文』に、
「東須磨・西須磨・浜須磨と三所に分かれて、あながちに何わざするとも見えず、
『藻塩たれつつ』など歌にも聞こえ侍るも、今はかかるわざするなども見えず、
きすごといふ魚を網して、真砂の上に干し散らしけるを、鳥の飛び来たりてつか
み去る。是を憎みて弓をもておどすぞ、海士のわざとも見えず。若し、古戦場の
名残をとどめて、かかる事をなすにやといとど罪深く、なほ昔の恋しきままに、
鉄拐(てつかい)が峯に登らんとする」
云々とあって、この句を記している。
この紀行本文によると、芭蕉が心に描いてきた
「わくらばに 問ふひとあらば 須磨の浦に
藻塩垂れつつ わぶとこたへよ」
と、罪により遠方に流された行平が詠んだ面影はなく、古戦場の名残か、鳥を弓で脅すなどの殺風景なことが見られるのみであるのを、心に嘆じての作である。
「矢先」という語も、古戦場であるところからひきだされた語である。
「矢先に鳴くか」という表現は、弓でねらったその矢先を郭公(ほととぎす)が鳴きすぎる刹那の把握で、気合いのこもった表現である。
古典に出てくる須磨の海士(あま)は、ゆかしいものであるが、現実の海士には優しげなところがない。現実の味気なさが、芭蕉の心をとらえた刹那、時鳥(ほととぎす)の鋭い声が天の一角を横切り、両者相響いて刹那の微妙な感じがとらえられている。
季語は「郭公(ほととぎす)」で夏。「ほととぎす」は、「時鳥」・「子規」・「杜鵑」・「蜀魂」・「杜宇」・「郭公」と書き、芭蕉もこの六種の文字を折によって使い分けて書いている。字面・他句との関連などを考慮しているのであろう。「郭公」は現在「カッコウ」に用いるので、使用を避けた方がよいと思う。
「須磨の浦に来てみたが、この土地の海士たちは、弓で干魚とりの鳥をおどしていた。
折しもその矢先の空の一角を、時鳥(ほととぎす)が鋭い声を残して翔(か)け過ぎた
ことだ」
翡翠の来て川音のとがり出す 季 己
『笈の小文』に、
「東須磨・西須磨・浜須磨と三所に分かれて、あながちに何わざするとも見えず、
『藻塩たれつつ』など歌にも聞こえ侍るも、今はかかるわざするなども見えず、
きすごといふ魚を網して、真砂の上に干し散らしけるを、鳥の飛び来たりてつか
み去る。是を憎みて弓をもておどすぞ、海士のわざとも見えず。若し、古戦場の
名残をとどめて、かかる事をなすにやといとど罪深く、なほ昔の恋しきままに、
鉄拐(てつかい)が峯に登らんとする」
云々とあって、この句を記している。
この紀行本文によると、芭蕉が心に描いてきた
「わくらばに 問ふひとあらば 須磨の浦に
藻塩垂れつつ わぶとこたへよ」
と、罪により遠方に流された行平が詠んだ面影はなく、古戦場の名残か、鳥を弓で脅すなどの殺風景なことが見られるのみであるのを、心に嘆じての作である。
「矢先」という語も、古戦場であるところからひきだされた語である。
「矢先に鳴くか」という表現は、弓でねらったその矢先を郭公(ほととぎす)が鳴きすぎる刹那の把握で、気合いのこもった表現である。
古典に出てくる須磨の海士(あま)は、ゆかしいものであるが、現実の海士には優しげなところがない。現実の味気なさが、芭蕉の心をとらえた刹那、時鳥(ほととぎす)の鋭い声が天の一角を横切り、両者相響いて刹那の微妙な感じがとらえられている。
季語は「郭公(ほととぎす)」で夏。「ほととぎす」は、「時鳥」・「子規」・「杜鵑」・「蜀魂」・「杜宇」・「郭公」と書き、芭蕉もこの六種の文字を折によって使い分けて書いている。字面・他句との関連などを考慮しているのであろう。「郭公」は現在「カッコウ」に用いるので、使用を避けた方がよいと思う。
「須磨の浦に来てみたが、この土地の海士たちは、弓で干魚とりの鳥をおどしていた。
折しもその矢先の空の一角を、時鳥(ほととぎす)が鋭い声を残して翔(か)け過ぎた
ことだ」
翡翠の来て川音のとがり出す 季 己