しばし間もまつやほととぎす千年 桃 青(芭蕉)
当時、芭蕉の親しんだ北村季吟の指導書『山之井』などに、「ほととぎすについて声をまつにはしびりをきらして……」とある、そのままの発想である。「しびり」は「しびれ」の意。ことわざにも「待つ身は長いもの」といわれる。
句では、「まつ」は「待つ」と「松」との掛詞。その松の縁で、松の齢(よわい)の「千年」が呼び出されている。
松の変わらぬ色は「千年の色」という表現で、謡曲とか『朗詠集』とかにあり、当時の人の耳に親しい表現であった。いかにもうれしそうに、師の季吟に教えられた通りを実行している芭蕉の姿が見られよう。
これも『続山井』が出典なので、寛文七年以前の作。
「しばし間も」は、「しばしの間も」の意。
「ほととぎす」の「す」には「数(す)」が掛けてある。この手法の先例としては、『鸚鵡集』所収の信徳の「筆の道や人にをしゆるつくつくし」(「つくつくし」つまり「土筆」と「つくづく」との掛詞)とか、「秋の風にのこり有りてもわづ蚊哉」などが参考になる。
季語は「ほととぎす」で夏。
「今鳴くか今鳴くかと、ほととぎすを待っていると、しばしの間も、松の樹齢の千年を越えて、
何千年も経たかと思うほど、長く感じられることよ」
道ひとつ抜けて子規庵 梅雨晴間 季 己
当時、芭蕉の親しんだ北村季吟の指導書『山之井』などに、「ほととぎすについて声をまつにはしびりをきらして……」とある、そのままの発想である。「しびり」は「しびれ」の意。ことわざにも「待つ身は長いもの」といわれる。
句では、「まつ」は「待つ」と「松」との掛詞。その松の縁で、松の齢(よわい)の「千年」が呼び出されている。
松の変わらぬ色は「千年の色」という表現で、謡曲とか『朗詠集』とかにあり、当時の人の耳に親しい表現であった。いかにもうれしそうに、師の季吟に教えられた通りを実行している芭蕉の姿が見られよう。
これも『続山井』が出典なので、寛文七年以前の作。
「しばし間も」は、「しばしの間も」の意。
「ほととぎす」の「す」には「数(す)」が掛けてある。この手法の先例としては、『鸚鵡集』所収の信徳の「筆の道や人にをしゆるつくつくし」(「つくつくし」つまり「土筆」と「つくづく」との掛詞)とか、「秋の風にのこり有りてもわづ蚊哉」などが参考になる。
季語は「ほととぎす」で夏。
「今鳴くか今鳴くかと、ほととぎすを待っていると、しばしの間も、松の樹齢の千年を越えて、
何千年も経たかと思うほど、長く感じられることよ」
道ひとつ抜けて子規庵 梅雨晴間 季 己