壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ほととぎす

2010年06月15日 23時00分55秒 | Weblog
        しばし間もまつやほととぎす千年     桃 青(芭蕉)

 当時、芭蕉の親しんだ北村季吟の指導書『山之井』などに、「ほととぎすについて声をまつにはしびりをきらして……」とある、そのままの発想である。「しびり」は「しびれ」の意。ことわざにも「待つ身は長いもの」といわれる。
 句では、「まつ」は「待つ」と「松」との掛詞。その松の縁で、松の齢(よわい)の「千年」が呼び出されている。
 松の変わらぬ色は「千年の色」という表現で、謡曲とか『朗詠集』とかにあり、当時の人の耳に親しい表現であった。いかにもうれしそうに、師の季吟に教えられた通りを実行している芭蕉の姿が見られよう。
 これも『続山井』が出典なので、寛文七年以前の作。

 「しばし間も」は、「しばしの間も」の意。
 「ほととぎす」の「す」には「数(す)」が掛けてある。この手法の先例としては、『鸚鵡集』所収の信徳の「筆の道や人にをしゆるつくつくし」(「つくつくし」つまり「土筆」と「つくづく」との掛詞)とか、「秋の風にのこり有りてもわづ蚊哉」などが参考になる。

 季語は「ほととぎす」で夏。

    「今鳴くか今鳴くかと、ほととぎすを待っていると、しばしの間も、松の樹齢の千年を越えて、
     何千年も経たかと思うほど、長く感じられることよ」


      道ひとつ抜けて子規庵 梅雨晴間     季 己