壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

喜び

2010年06月28日 20時35分04秒 | Weblog
          五月三十日、富士先づ目にかかるに
        目にかかる時やことさら五月富士     芭 蕉

 五月富士(さつきふじ)を仰ぎえた喜びなのか、見えない五月富士を思いやっての作なのか、判断に迷う。『蕉翁句集』の、この前書を信じれば、前者として解すべきものと思う。ただし、島田の宿からの五月十六日付曾良宛書簡には、
        「箱根雨難儀、下りも荷物を駕籠(かご)に付けて乗り候。漸(ようや)くに
         三島に泊り申し候。……十五日島田へ雨に降られながら着き候」
 とあり、前書には、この句を性格づけるための虚構のあとが感じられる。
 『野ざらし紀行』の、
        霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き
 に、遠く応ずる気持があったのではないか、という気もする。ともあれ、芭蕉には、これが富士の見納めになったのであった。元禄七年の作。

 「目にかかる」は、目につく、目にはいる。
 季語は「五月富士」で夏。
 なお、「五月富士」は、既成の季語のように芭蕉によって用いられているが、江戸期までの歳時記には、未登録の季語である。現在では、ほとんど雪も消え夏山めいて、新緑中にそびえる富士をいうが、詩歌の伝統では、五月(さつき)は「月見ず月」とか、「五月雨(さみだれ)月」の異名もあり、梅雨の月であって、したがって「五月富士」も、梅雨の晴れ間の富士を思い描く必要があろう。
 『芭蕉句解』には、
        「……雨の晴れ間に富士を眺めたるは、ことさら風流となり。『時や』は
         晴れ間珍しきをいふなるべし」
 とある。ちなみに『伊勢物語』に
        「富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。時知らぬ山は
         富士の嶺(ね)いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん」
 とある。

    「五月は五月雨の空が垂れこめがちで、富士の仰がれる日が少ない。それがたまたま
     晴天に恵まれて富士が望まれるときには、五月富士の名があるのももっともと思わ
     れる。今日わたしは、その五月富士を仰ぐことが出来て、これにまさる喜びはない」


 陶芸家の東田茂正先生のご厚意で、至福の半日を過ごさせていただいた。
 俗事を忘れ、素の心になれる先生の工房で、茶碗を作らせていただけたのだ。もちろん、先生の懇切丁寧なご指導の下に。
 おかげで、実作者の立場としての〈もの作りの楽しさ、難しさ〉も実感でき、非常に為になった。〈もの〉は作るものではなく、生み出すもの、ということもよく理解できた。
 織部茶碗ということで、三碗つくった、いや、生み出したが、はたして結果は。この作品?が、わたしの遺作とならぬよう、日々、身体をいたわり、またチャレンジしたい。
 東田先生、本当にありがとうございました。

      喜雨の中けづる高台 無心とは     季 己