壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

瀬田の橋

2010年06月29日 22時36分17秒 | Weblog
        五月雨に隠れぬものや瀬田の橋     芭 蕉

 実際の風景に触れての感懐であろう。
 茫乎とした五月雨の中に一切が消え去って、瀬田の長橋一つが横たわっている大景を大きく詠嘆したもの。現代俳句には見られぬ、大まかな味わいである。
 手法としては、後の「五月雨の降り残してや光堂」の先駆をなすものといえよう。貞享五年、大津あたりに芭蕉が居た折の作であると考えられる。

 季語は「五月雨」で夏。「五月雨」が何もかも降りかくすという点を土台として、瀬田の橋がそれにかくれぬものとして、長さを強調されている。

    「茫々と煙る五月雨によって、湖も寺も森もみなかすんで見えなくなっている。
     その中で、百九十六間のこの瀬田の長橋だけは、さすがに延々と横たわっ
     ていて、五月雨にも降り隠されぬ眺めである」


      骸骨は進化の系譜 五月雨     季 己