こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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我が家に年寄りがいるという事。

2010-10-23 23:17:22 | 家族のこと
うちには、89歳のおじいちゃんと、85歳のおばあちゃんがいます。

おじいちゃんは今だに、ほぼ毎日カラオケ、民謡、老人会、ダンス、たまに詩吟と忙しく出歩いています。
自転車に乗って、かなり遠くまで行ってしまい、転んだことも数知れず・・。
さすがに最近は、なるべくバスや徒歩で移動するようになってきましたが、それでも気が付くと自転車で出かけて行ってしまいます。
おじいちゃんは、戦時中将校として南方の最前線(スマトラ)に長いこと行っていました。
その時になぜか英語を覚え、終戦まで前線にいて、帰国後はいち早く米軍に就職し定年まで勤め上げました。

若いころから米軍で働いていたので、ますます英語も達者になり、自宅で英語塾なども開いていたそうですが、初めての内孫だった我が家の長男坊に英語を教えたくて、同居と同時に毎日レッスンを始めました。
まだ、年長さんか1年生ぐらいでしたか、その教え方はかなりしつこくて旧式だったため、息子はそれが苦痛でチック症状が出るようになったため、かなり勇気がいりましたが、私からやめてもらうようにお願いしました。
その時は、かなり憤慨していたようですが、おじいちゃんはもともと人格者で温厚な人柄なので、あまり尾を引くこともなく、学習面での口出しはしなくなりました。
でも、その時のおかげで英語に関しては、息子もあまり苦手意識を持つことなく今まで来ているようです。

下の娘が3歳の時に、転勤先の大阪から戻り同居したのですが、早いものでもう13年もたってしまいました。
最初の数年間は、とにかく大変でした。

世にいう、嫁姑問題ってやつですか。

おばあちゃんは、すごく気性の激しい人で、しかも専業主婦しか知らない人なので、働きながら主婦と子育てをすると言う事が、どんなものかを知りませんでした。

夫も親にはずいぶん迷惑をかけたことがあり、何も知らないで嫁に来た私は、結婚前の夫の所業(笑)で、事あるごとに嫌味を言われたりしました。

おじいちゃんが優しかったので、なんとか我慢してきましたが、ある日あまりの辛さに家を出ることを決心しました。
夫もそうしようと言ってくれたので、アパートを探し始めたことがわかると、大騒ぎになり兄弟も含めて家族会議になったりもしました。
結局、おばあちゃんは一気にトーンダウンして、おじいちゃんは「家を出る必要なんてないよ。」と言ってくれたので、そのまま頑張ることになりました。

今にして思えば、生活環境やしきたりや、いろんな意味で価値観はちがうし、ゼネレーションギャップはあるしで、そんなに簡単にうまくいくはずはないんですよね。

自分なりに良かれと思ったことが相手にはうれしくなかったり、相手の望むことをこちらが気ずかず、気のきかない嫁であったり・・・

わざと聞こえるように嫌味を言われると、それに反応して過剰に動いたりしていて、一時は毎日子供を連れて家を出ることばかり考えていました。

でも、時間は少しずつ私たちの間を埋めていってくれました。

いやなことはいやと言う事。
地雷がどこにあるかを理解して、そこは踏まないようにすること。
見ざる言わざる聞かざる。
大根の切れ端でも捨てないこと。
何があろうと、おなあちゃんお部屋には入らないこと。(治外法権と呼んでいます。笑)
頼まれたことは、誠意をもってすること。
おじいちゃん、おばあちゃんを立てること。
必ず声をかけること。

いろんなことがわかってくると、多少のいざこざはいつものこととして流せるようになってきます。
なんと言われようが、いい意味で図太くならなくちゃ。

ただし、絶対に意地悪や無視だけはしないことが鉄則。

そうして、他人だった私はいつのまにか家族になりました。

子供たちも、それを見ながら育ってきてるので、おじいちゃんやおばあちゃんの性格はよくわかっているし、年を取っていろんなことが難しくなってきていることをよく理解しています。

私の母が喘息で弱っていって、入退院を繰り返した末に亡くなる過程も見ていますので、人の晩年というものを見ています。
うちのおじいちゃんとおばあちゃんは、私が母の介護に毎日通う事に、一言も嫌なことを言いませんでした。
それどころか「早く行ってやりなよ。こっちは大丈夫だから。」と言い続けてくれました。
それは本当にありがたかったです。

母が退院すると、子供たちと車いすに乗せて、よく買い物に連れて行ったり、食事に連れて行ったりもしました。
入院中は、娘と一緒に頭を洗ったり足浴や手浴をしたりしました。

母が死んだとき、5年生と3年生だった子供たちは小学校の校長室で、私が迎えに行くまで大きな声で泣いていたそうです。

そんなこともあり、今ではおばあちゃんの外出には、娘が車椅子を率先して押してくれます。
孫娘の押す車椅子に乗ってるのが、一番安心なのだそうです。
「アー楽ちんだった。今日は楽しかった。ありがとうね。」今日のお買いものは、たっぷりお金を出してくれました。
そのうちの2000円は娘のお駄賃なのだそうです。

クイズ番組を一緒に見て、おじいちゃんの話し相手になっている息子や、おばあちゃんの車椅子を押している娘を見るにつけ、家に年寄りがいるって事は、結構ありがたいことなんだと思ったりするこの頃です。

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