こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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救急要請で考え込んだ。

2014-06-25 00:01:03 | 訪問看護、緩和ケア
しばらく前の事。
ターミナルで自宅療養中の患者さんから電話がありました。
痛み止めを飲んで寝てしまい、目が覚めたらお母さんが息をしていないというのです。

読んでも、揺すっても起きないし、息もしていない。
助けて!!

悲痛な声に、私はすぐに彼女の家に向かいました。

私が着くと同時に、お母さんのケアマネさんも到着しました。
救急要請は済んでいるとのこと。

ご高齢で血圧も高かったお母さんです。
最近では足の調子も悪いと聞いていました。

動転している彼女の布団のすぐ横で、籐椅子に座ったままのお母さんは、すでに心肺停止の状態で亡くなっていました。

彼女が眠っているあいだに、おそらく突然に、あっという間に逝かれてしまったのでしょう。

その時点ですでに少なくても30分以上は経過していると思われ、私はそのまま救急隊を待つこととしました。

一瞬蘇生を考えなかったわけではないのですが、警察の介入を考えたときに動かさない方がいいのでは・・とも思いました。

やがて、救急隊がどやどやと入ってきました。

そして、なんのためらいもなく、救急蘇生を始めたのです。
AEDも作動しながら、娘さんに延命措置の希望を聞きました。

彼女は、まだ生きる望みがあるのなら、たった一人の身内なのだから、助けて欲しいと懇願しました。

私は、蘇生をしている救急隊を見ながら「え?私は心肺蘇生をしなければいけなかったの?」と愕然としました。

救急隊は、近くの病院に連絡するとき「死後硬直もなく、紫斑もありません。」と言っていました。

もしかして、これがサイン?
蘇生をするかどうかのサインなの?

そして、お母さんの心臓は、AEDの力でなんと鼓動を再開したのです。


救急車に乗った親子を見送ったあと、蘇生すべきだったのか、しなければいけなかったのか、気持ちがザワザワとして落ち込みました。

在宅では、通常ご自宅で亡くなられると、静かに医師の死亡確認を待つのが当たり前になっています。
もちろん、元気だった人が突然目の前で倒れれば、私だって咄嗟に心臓マッサージを始めますが、このシュチュエーションでいきなり心マをはじめることは、在宅の医療関係者ではしないと人のほうが多いのではないかと思います。

そしてお母さんは、一晩だけ人工呼吸器を付け心臓を動かし、意識を取り戻すこともなく翌日亡くなりました。

娘さんは、かなりの量の麻薬パッチと座薬を使い、IVHのバックを持ちフラフラになりながら病院に行き、家で待機するよう言われ帰宅していました。

搬送の時、救急隊の救急救命士に、娘さんがそういう状態であると告げたとき、「そんな情報はいらない!」と履き捨てるように言われたことも気がかりでした。

案の定、救急車に乗るために慌てて準備をして、両脇を抱えられて階段を降り、車に向かうフラフラの彼女に救急隊は「早くして!」と大きな声で呼びました。
「走れないんです!」そんな声は聞く耳は持たず、「早く乗ってください!!」という声に、ヨロヨロと走りながら乗り込んで行きました。



この状況で、私たちが、するべきことはなんだったのか?

正直、お母さんの年齢や、呼吸停止をしてからの時間を考えれば、たとえ心臓が動いたとしても、植物状態は免れないとも思いました。
そして、その母親を自分の命さえ危うい娘さんがみられるのかといえば、あえて苦しみを増すばかりではないかとも思いました。
けれど、お母さんを思う気持ちや、生きてさえいてれればと思う気持ちが、彼女の支えににもなるとも考えました。
目の前で母を助けてと願う娘さんの気持ちは痛いほどわかります。

でも、呼んでも答えることのない母親の姿を、
呆然と見守るしかないという現実はどうなのだろう。

救急隊は、亡くなった人を乗せるわけにはいかないのだそうです。
でも、蘇生をしながらなら乗せることができるのだそうです。

救急隊が、死亡していると判断するのはいつなのか、現在問合せをしています。
そして、私たちはどうすればよかったのかも。


私たちは、患者さんの急変でもよく救急車を呼びます。

そしてよく感じるのは、救急救命士の中に、時々ひどく不遜で失礼な態度の人がいるということです。

救急救命士は、命の現場で一分一秒を争う仕事だから、そんなことは許されて当たり前だと思っているような、ひどく上から目線の不遜な態度の人。

そんな情報はいらない!

救急隊から見れば、いま心肺停止の人が最優先なのはわかるけれど、その家族の状態だって、とてもじゃないけれどわかっててもらわないと困るのです。

今生きている、この人の方が私たちは大事なのですから。

こういう言われ方は、私たちはかなり毎度のことなので、あるステーションでは、救急隊に口を聞かなくてもいいように、用紙を作ってそれに簡単に書き込んで渡すだけということをしていると言っていました。

なんだか、ずっと後味が悪くて、私の気持ちのどこかに、まるで魚の小骨が刺さっているような不快感で、しばらくはザワザワとしていました。
今回のことは、管理者仲間や連絡会やらでみんなに一緒に考えてもらっています。

ほとんどの人は、私と同じ対応をしたと言っていましたし、実際どうすればよかったかを知りたいと言っていました。

さてどんな回答がくるのか、それを待ちたいと思っています。

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3 コメント

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仲間意識って怖い (おおぶた)
2014-06-28 20:31:38
どうしたらよかったのか? 

救急隊に質問するよりも、
娘さんに聞いたほうが確実じゃない?
救急隊はあなたの先生じゃないし。

「みんなに聞いたら、自分と同じ対応したと答えた」
仲間をあつめて自分を正当化したんだよね。
そうやって今後も成長する機会を失っている。

反論をもった人もあっただろうけど、あなたを落ち込ませないように同意したんじゃないかな。

娘さんに確認もせず、ぼぉっと救急隊がくるまで待ってる看護師・・・

権限があったにも関わらず、経験がなく考えがおよばなかったこと 娘さんにとっては残念な環境であったと思われる。

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Unknown (よもちゃん)
2014-06-29 07:19:44
何だか、コメントせずにはいられない気持ちになりました。

訪問看護師さん、究極の厳しい場面に立ち会っておれられるのですね。

当事者に意見を聞いてみるといっても、とても冷静な判断が下せる状況でもなく、刻々と気持ちも変化し、何が本当の意思であるのか、きっと本人にもわからないことが多いのだと思います。

ながらくご本人と家族の物語に付き合ってきた訪問看護師さんと、その場だけピンポイントで現れる救急隊。
「救命至上主義」の役割意識とアドレナリンが、不遜とも感じられるような言葉になって現れるのかも知れませんね。

どうしたら良かったのか・・、結論なんて出ませんが、もしも自分が娘だとしたら、老いた母と、「もしもの場合」について、十分に話し合い、母の意思をとことん知っておくしか、判断の基準はないように思います。

救急要請・・限られた財源と人的サービスを、どう活用することが自分と家族の本当の幸せにつながるのか、日頃から真剣に考えなければならない時代が来たのだなあと実感しています。

心がザワザワすることの多い難しいお仕事・・これからもどうか続けて下さいね。
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コメントありがとうございます。 (こぶた部屋の住人)
2014-07-01 00:03:14
いろいろな捉え方があるのだなあと思いました。

よもちゃんさん、
本当に何が良いのか、結果論になってしまうので、咄嗟にどうするべきか、本当にあれでよかったのか、とても悩みました。

彼女の背負っているものを考えれば、目に見える先の状態が、どれほど彼女に重くのしかかるか。

救急隊が救命至上主義であることは当然として、蘇生の先に待っているものがどういうものかまでは、その場で説明する時間もないですから、よもちゃんさんの言うとおり、普段から家族間での意思の確認は、これから重要になってきますよね。

自然に考えれば、そのまま見送れた時代は過ぎて、何が何でも心臓だけでも動かして生かされる時代なのですから。
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