「在宅療養を支える。」
私たちはよく言いますが、本当にそれが支えなのかどうかは、支えられる側に人にしかわからないんじゃないかと思います。
だから、自分たちで支えたつもりりでいても、本人たちにとっては、何ということもなかったり、返ってお節介だたりすることもあるんじゃないかと思うのです。
支えたかどうか、あるいは支えるかどうかは、意外と些細なことだったりもするんだなと、最近よく思います。
たとえば、
何だかケアマネや主治医に勧められて、あんまり嬉しくもなかった訪問看護。
お風呂にだって十分私が入れられたのに、危ないからって看護師が入れる事になった・・
身体の事やら、いろんなことに口を出して正直うっとうしいかも。
そんな雰囲気を醸し出していた奥様ですが、ある夜夫が便秘で苦しみだしてしまった。
出たくても出ない便。苦しむ夫。便秘で救急車はいいのかしら??
そんな時、
思い出した訪問看護の緊急電話にかけたら、夜だと言うのに飛んできて、浣腸かけてお尻に指まで入れて便を出してくれた。
とたんに、お父さんすっきりニコニコ。
その日から、訪問看護師はうっとうしい訪問者から、助けてくれる人に格上げされてしまいました。
そうかと思えば、一生懸命ひどい糜爛のストマを交換し、あれこれ工夫して何度も緊急出動して時間をかけても、「お金がかかってしょうがない」サービスになってしまったりします。
挙句、やっと御自分でもできるケアを工夫して指導して、皮膚がきれいになったとたん、これなら来てもらわなくてもできるから終了にしてください。とかいわれてしまったり・・
一生懸命工夫して頑張った割に、支えにはなれなかったのかと、がっかりしてしまったり。
(考えようで、自分でできるようにしたんだから、支えになったと言えるのかもしれないけど、じゃあおしまいね。はちょっとさみしい・・)
いろんなことが毎日あります。
その都度喜んだりがっかりしたり・・
認知が進んで、もの取られ妄想全開のおばあさん。
独居だし障害があるし、何とか支えてあげたいと東奔西走している担当看護師件ケアマネに向かって、「あのヘルパーは泥棒だ!信用できない!いったい何をやってるの!」
そんなことの繰り返し・・・
家の中は、誰にも触らせないゴミの山。何が埋もれているのやら・・
思い込みと勘違いともの忘れで、しょっちゅうケアマネを呼び出しけんか腰。
家族ですら、及び腰で今以上の面倒は無理と・・・
結局施設を探すしかない状態に・・・
支えたい気持ちが、届かない悔しさにがっくりの担当者。
じゃあゴミをどんどんかたずけて、相手の間違いを全部指摘して、盗まれたはずの腐ったお惣菜を並べたら・・それは、何の解決にもならないですよね。
独居でCOPDで、苦しくて苦しくて何度意識消失しても、絶対家で過ごしたい患者さん。
労作が酸素濃度をますます下げるから、1階で寝ましょうと言っても、絶対に2階で休む。
同じ病気で亡くなったお母さんの部屋には、どうしても寝たくないらしい。
(それはやっぱり、死への恐怖なのだろうか?)
何度もヘルパーさん増やそうと言っても、看護師さんの回数増やそうと言っても絶対ノ―。
お風呂も絶対一人で入るって言ってた人が、やっと今日「本当はお風呂、入れてもらいたいけど、苦しくて入れないんだよ。」と、担当看護師にぽつりと言ったとか…
それでも、入院は絶対しないと宣言。
支えたいと思ってるんだけれど、支えさせてもらえるのだろうか・・?
思いがかみ合えば、それが支えになるんだけれど。
それでも、やっぱり「支えたい思い」は、伝えていかないとだめなんです。
私たちは、あなたの力になりたいんだと。
私たちはよく言いますが、本当にそれが支えなのかどうかは、支えられる側に人にしかわからないんじゃないかと思います。
だから、自分たちで支えたつもりりでいても、本人たちにとっては、何ということもなかったり、返ってお節介だたりすることもあるんじゃないかと思うのです。
支えたかどうか、あるいは支えるかどうかは、意外と些細なことだったりもするんだなと、最近よく思います。
たとえば、
何だかケアマネや主治医に勧められて、あんまり嬉しくもなかった訪問看護。
お風呂にだって十分私が入れられたのに、危ないからって看護師が入れる事になった・・
身体の事やら、いろんなことに口を出して正直うっとうしいかも。
そんな雰囲気を醸し出していた奥様ですが、ある夜夫が便秘で苦しみだしてしまった。
出たくても出ない便。苦しむ夫。便秘で救急車はいいのかしら??
そんな時、
思い出した訪問看護の緊急電話にかけたら、夜だと言うのに飛んできて、浣腸かけてお尻に指まで入れて便を出してくれた。
とたんに、お父さんすっきりニコニコ。
その日から、訪問看護師はうっとうしい訪問者から、助けてくれる人に格上げされてしまいました。
そうかと思えば、一生懸命ひどい糜爛のストマを交換し、あれこれ工夫して何度も緊急出動して時間をかけても、「お金がかかってしょうがない」サービスになってしまったりします。
挙句、やっと御自分でもできるケアを工夫して指導して、皮膚がきれいになったとたん、これなら来てもらわなくてもできるから終了にしてください。とかいわれてしまったり・・
一生懸命工夫して頑張った割に、支えにはなれなかったのかと、がっかりしてしまったり。
(考えようで、自分でできるようにしたんだから、支えになったと言えるのかもしれないけど、じゃあおしまいね。はちょっとさみしい・・)
いろんなことが毎日あります。
その都度喜んだりがっかりしたり・・
認知が進んで、もの取られ妄想全開のおばあさん。
独居だし障害があるし、何とか支えてあげたいと東奔西走している担当看護師件ケアマネに向かって、「あのヘルパーは泥棒だ!信用できない!いったい何をやってるの!」
そんなことの繰り返し・・・
家の中は、誰にも触らせないゴミの山。何が埋もれているのやら・・
思い込みと勘違いともの忘れで、しょっちゅうケアマネを呼び出しけんか腰。
家族ですら、及び腰で今以上の面倒は無理と・・・
結局施設を探すしかない状態に・・・
支えたい気持ちが、届かない悔しさにがっくりの担当者。
じゃあゴミをどんどんかたずけて、相手の間違いを全部指摘して、盗まれたはずの腐ったお惣菜を並べたら・・それは、何の解決にもならないですよね。
独居でCOPDで、苦しくて苦しくて何度意識消失しても、絶対家で過ごしたい患者さん。
労作が酸素濃度をますます下げるから、1階で寝ましょうと言っても、絶対に2階で休む。
同じ病気で亡くなったお母さんの部屋には、どうしても寝たくないらしい。
(それはやっぱり、死への恐怖なのだろうか?)
何度もヘルパーさん増やそうと言っても、看護師さんの回数増やそうと言っても絶対ノ―。
お風呂も絶対一人で入るって言ってた人が、やっと今日「本当はお風呂、入れてもらいたいけど、苦しくて入れないんだよ。」と、担当看護師にぽつりと言ったとか…
それでも、入院は絶対しないと宣言。
支えたいと思ってるんだけれど、支えさせてもらえるのだろうか・・?
思いがかみ合えば、それが支えになるんだけれど。
それでも、やっぱり「支えたい思い」は、伝えていかないとだめなんです。
私たちは、あなたの力になりたいんだと。
支えるって難しいですよねぇ。
支えようとする側の自己満足にも繋がりかねませんもんね。
一歩先の世界に行きたくて「助けて」と手を伸ばす人。
その手を握って一歩先へ行く。
これって支える理想像ですよね。
一歩先の世界が想像できない人には、
どんなに手を差し伸べても握り返してこないですし、
未知の世界に引き込まれるのではないかとネガティブに考え、
本当は助けて欲しい支えの手すら拒否に繋がることもあると思います。
逆に一歩先の世界があることを知っていても、
そこには進みたくはない、もしくはそれに魅力を感じない時、
支えの手はうっとうしいモノに感じるかもしれません。
支えた(つもりの)先にある世界が、本当にその人にとって価値のある世界なのか、
常に考え皆で共通理解を持つべきだと考えてます。
勿論スタッフ内だけでなく支えられる側も一緒に共通理解が必要と思っています。
例えばお風呂。
「お風呂でさっぱりしましょう」
「お風呂に入って清潔にしましょう」
でもお風呂嫌いな人には入浴は苦痛で、
ましてや他人とお風呂に入るなんてとんでもない・・と考える人も居ます。
実際ゴルフ後の汗だくでも他人と風呂に入るのは嫌だからと、風呂無しで帰る人も居ます。
(想像もできん(ーー))
支えを必要とせず朽ちるように静かに過ごしたい人もいます。
助けての手と支える手が握りあって上手く行った成功体験があるので、
なにかとお節介を焼きがちになってしまいますが、自然体でいいような気がします。
>やっぱり「支えたい思い」は、伝えていかないとだめなんです。
>私たちは、あなたの力になりたいんだと。
きゃーー 暑苦しいーーー ナンチャッテ(^^)
伝えずとも伝わりますし伝わっていますって♪
だって、それだけの仕事してますもん。
「そこのティッシュとって」と「明日お風呂に入りたいんだけど」も
同じテンションで「はいよ♪」って応える(支える)ほうが断然クール!
自分 ウザっーーーーーーm(_ _)m
コメント欄からだと確認しづらくて・・・
本当に、そうだと思います。
でも、支えたい思いを伝えたいのは本当にそう思うんです。
というか、ここにいるよ。
いつでも、手伝うよ。
という意思表示の意味で、です。
うっとうしい人にはなりたくないけれど、知らん顔の人にもなりたくない。
同じテンションで「はいよ♪」って応える(支える)ほうが断然クール!
の、同じテンションにそこにいたいと思います。
利用者さんが本当に困ったときに手を差し伸べられれば、そこに手があることをわかっていてもらえればいいんだと思うことにしています。
時がくれば、その時に手を伸ばしてもらえるように、いつでも手を差し伸べておくんです。
でもなぁ、その手を払いのけられることも・・・
押してもだめなら、引いてみな。
って言葉もあるので、一旦引いてみたりして。
じっくりじわじわそばにいたら、何となく認めてもらえるようになったり・・・
そんな時のうれしさは、ひとしおですよね。
結局、私たち現場の人間は、関わっている事が好きなんですね~。