10日柳ジョージさんが、亡くなったとニュースで聴きました。
とてもショックです。
横浜の横浜らしさを、もの悲しくも美しく歌った人でありました。
彼の歌うR&Bは、切なく優しく横浜を歌います。
フェンスの向こうのアメリカを、私たちも子供のころから見ていました。
フェンス越しの広い芝生は、こんなにも近いのに、遠い国の遠い街でありました。
みずほ埠頭のBAR「スターダスト」に行くと、すぐ目の前にあるフェンスの前には、アメリカ兵が立っていて、夜の港にオレンジ色に光る灯りは、どこか違う国の港に迷い込んだようでした。
そんな横浜の片隅にある切ない物語が、本当に大好きでした。
でも、柳ジョージと言う人を知っている人は少ないです。
歌に至っては、もっと知られていなくて、時々カラオケで「青い瞳のステラ」を歌っても、未だかつて知っている人はほとんどいませんでした。
私が独身の頃、南区の蒔田と言う街に住んでいました。
一階がペンキ屋さんで、私の部屋は3階でした。
角の路地を曲がると、スーパー「いなげや」があって、たしか柳ジョージさんはそこか、その隣のマンションに住んでいました。
同じマンションに、研修医のドクターが住んでいて教えてくれました。
私は、看護学生のころから彼が大好きで、何回かコンサートにも行ったことがあります。
本当に、遠い昔の話です。
最近は、すっかり忘れていたメロディーですが、今日は聴いてみたいと思います。
柳ジョージさんのご冥福を、心よりお祈りします。
とてもショックです。
横浜の横浜らしさを、もの悲しくも美しく歌った人でありました。
彼の歌うR&Bは、切なく優しく横浜を歌います。
フェンスの向こうのアメリカを、私たちも子供のころから見ていました。
フェンス越しの広い芝生は、こんなにも近いのに、遠い国の遠い街でありました。
みずほ埠頭のBAR「スターダスト」に行くと、すぐ目の前にあるフェンスの前には、アメリカ兵が立っていて、夜の港にオレンジ色に光る灯りは、どこか違う国の港に迷い込んだようでした。
そんな横浜の片隅にある切ない物語が、本当に大好きでした。
でも、柳ジョージと言う人を知っている人は少ないです。
歌に至っては、もっと知られていなくて、時々カラオケで「青い瞳のステラ」を歌っても、未だかつて知っている人はほとんどいませんでした。
私が独身の頃、南区の蒔田と言う街に住んでいました。
一階がペンキ屋さんで、私の部屋は3階でした。
角の路地を曲がると、スーパー「いなげや」があって、たしか柳ジョージさんはそこか、その隣のマンションに住んでいました。
同じマンションに、研修医のドクターが住んでいて教えてくれました。
私は、看護学生のころから彼が大好きで、何回かコンサートにも行ったことがあります。
本当に、遠い昔の話です。
最近は、すっかり忘れていたメロディーですが、今日は聴いてみたいと思います。
柳ジョージさんのご冥福を、心よりお祈りします。
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