半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

礼に始まり礼に終わる

2012年08月01日 07時52分15秒 | 日記
五輪の柔道の試合を見て感じたことを書く。
小生も中学・高校と柔道をやっていたので、多少の心得は
あるものの近年の柔道は、ルールもさることながら柔道その
ものの有り様も変わってしまった気がする。
かつては一本勝ちか技ありで勝敗が決せられていたけれど、
今は、如何にしてポイントを稼ぐかという、言わば点取り
ゲームに変質してしまい、道着を着たレスリングと化し、柔
道本来の醍醐味が消え失せてしまった。

そして何より気になるのは、礼(お辞儀)の仕方である。
小生が柔道を習っていた頃は、先ずは、礼の仕方から教わった。
礼をする時は、上体を約30度傾けると同時に両手の平を体側
から太ももに滑らせるようにしたものである。
礼がしっかり出来る人を見て、子ども心に美しく格好が良いと
思ったものである。
試合が終わった後は、勝者も敗者も相手を尊敬の念を持って敬
礼をしたものである。
今の五輪の柔道の試合を見ていると、まともに敬礼(立礼)が
できている選手はおらず、辛うじて日本選手ぐらいであろうか。

最初に柔道を海外に伝えた人は、相手を打ち負かす勝負のこと
よりも先ず、この敬礼の大切さとその意味を伝えなかったのだろ
うか。勝負に勝ったとしても、負けた相手に対する惻隠の情の大
切さを。それが、柔道の神髄だと。
これは、何も日本だけのことではなく、宗教にも関係なく弱者や
敗者対する思いやりは、万国共通のものであるはず。

勝者は、黙っていても讃えられるだろう。しかし敗者の心境に
思いを致す心の余裕を持つことが真の武道家ではないだろうか。
ましてや、投げ飛ばした相手に馬乗りになってのガッツポーズな
どはもっての他である。畳から下りてから喜べば良い話である。