65歳、66歳くらいまではまだ元気だった。
そのあと信頼してる人がそうでなかったり、何かに巻き込まれたり股関節が痛かったりし始めた。
昨年から体調不良になったり、今年に入って夫が何度も骨折したり、仕事に行かれなくなった。するとその仕事で定年があるので、あと半年しか働けなくなったりコロナの問題が広がってきた。
全て意味があるのかもしれない。ついやりすぎるから、ブレーキをかけられたのかも。
あと半年の仕事は、辞めるべく仕組まれていた。会社にというより、私にとっては辞めたほうが良いのかもしれない。
もっと言えば、私が
、辞めたかったのかもしれない。
次の仕事の話が2つ3つ出てきた。音楽の仕事と、介護の仕事と整体の仕事。
音楽以外の仕事はまだ進んでない。滞っている。
これも意味がある。そこに縁はないようだ。
コロナの問題は私の人生に限ったことでなく、全世界の問題だが、本気で体を休めろと、本気で音楽だけにしろと。
残り少ない人生を、悔いのないようにと。
老後らしい過ごし方を真似てみたらと。
誰かが言っているのかもしれない。
誰かな?
父かな、母かな?妹かな?ふきこさんかな?早苗さんかな?しのさんかな?ゆうこかな?高倉健かな?ジョンウェインかな?
コバちゃんはいないようだ。
今夜、そんなことに気がついた。
なるようにしてなっていることだ。
だから人を恨むこともなく、悔いることもなく、恥ずかしがることもなく、お山の大将で小さくなった教室をやっていれば良いのだな。
それで昨年師匠と連絡をとったのか。
今はコロナがあるが、少し落ち着いてワゴンRが手に入ったら、師匠のところにも車で行ける。妹とも車で会える。
車の運転はまだ暫くはしていて良いでしょう?
今までの嫌な失敗も意味があると考えれば、自分に恥ずかしくないものだな。
ちっとも恥ずかしくなくなって来た。
私、顔の皮と心臓の皮が厚いの。笑笑
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