えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

100歳の父

2021-01-16 02:13:00 | Weblog
18年前に亡くなった父が生きていれば、100歳だ。
昨夜ユーミンがNHKで、お母さんが100歳との話をしていたので、私も父を思い出した。ユーミンのお母さんと私の父は同い年だったのだ。

父が72歳の頃は、まだとても元気だった。
本庄から車を運転してうちに来て、コバちゃんからの頼み事をやっていた。
雨戸の修繕をやってくれたが、その仕事ぶりにコバちゃんは目を細めて喜んだ。

必要な材料をドイトまで一緒に買いに行き、父はまだまだ元気でいてくれると思っていた。

コバちゃんは父より2つ年上だった。

「あたしが片付いたら、お父さんをうちに呼んで一緒に住んで世話したらいいよ」と良く言っていた。

79歳で脳梗塞を起こし、失語症になった時は群馬の病院に週に3回は通い、病院の外に連れ出してタバコを吸うのも許して、2人でコーヒーを飲んだ。
その時コバちゃんは「うちにあたしがいるのに、頻繁にお父さんとこ行くのはどうかと思う。高速代だってかかるだろうに」と言った。

「たった1人の父なんです。そんな嫌なことを言っても、私は行くんですから」と口答えして、さっさと飛んで出かけた。
そしてそのまま、午後からの椿峰のレッスンをこなし、夜家に帰って来た。朝早くに夕飯の支度もしてでかけていたのだった。

その頃はもう子供も24歳、21歳、15歳になっていた。

それから父は3年生きて、長女の結婚式にも列席できました。

3年後、心筋梗塞を起こし入院した。
父が危ないという時、医者はハッキリというべきだと思った。身内のもしものことなど当事者たちは思いもよらないのだ。
看護師はただ「お父さんは寂しいと思いますから顔を見せてあげてください」というだけだった。

「もう危ないのだから、いつ亡くなってもおかしく無い状態です。どんどん来てくださいよ」とでも言ってくれたら、覚悟もできたのに。

妹や弟にはハッキリしたことは言っていたのかもしれないが、私にはまだピンと来てなかった。
ただ「困ったな。今度はだめなのかな」という漠然とした思いはあった。

往復の車の中で、久石譲のサマーとか千と千尋の神隠しの挿入歌を聴きながら通った。
戦争に行き母の亡き後、男手ひとつで私たちを育てた父は小柄な人だったが、母の分も生きたと思う。

82歳だった。

ユーミンのお母さんは100歳でお元気なのだ。

いいなあ…。

昨夜は子供と孫たちが集まった。
私は天ぷらを揚げて待っていた。

「わーい、やったあ!」という孫たちの声を聴くと、こんな幸せいいじゃん!と思う。

夫は便乗して幸せだろうと思うが、食事時以外は自分の部屋でテレビを見ている。

先日私は鍋を真っ黒焦げにした。
「焦げちゃった鍋は捨てるんだ。鍋は安いから買うの」と言った。

「焦がした鍋は捨てるのか?焦げを洗い落とせよ」と、夫。

「コバちゃんがいた時は、そういうのやってたけど今はしないの」

2日ほどしたら鍋の焦げが落ちていた。

「俺が磨いたんだぞ。捨てるっていうから」

「磨かせようとして、そう言ったんだもんね」

「嫌なやつだな、お前って!」

「したたか、でしょう?」

「玄関の外に生協の発泡スチロールの箱の中に、牛乳が入ったまま丸一日置いてあったのも、俺が冷蔵庫にしまったんだ」

「冷蔵庫にしまわせたくて、置いといたんだもんね」

「お前って嫌なやつだな、やっぱり」

毎日寒いですね。
あと1ヶ月半は、我慢ですね。

コロナもまだまだ先が見えません。

気をつけてお過ごし下さいませ。
コメント
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