えみこママのブログ

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いつか、世代交代?

2019-01-13 01:10:37 | Weblog
そりゃあいつかは来ることだな。

子供は、どう育てたかで決まってしまう。
まじめに育てたのに、なぜ?
しっかり育てたのに?

私などは3人も産んで、かなり大雑把に育てたと思う。
ただ、元気に明るくと思ったくらい。

学校の成績など、こだわらない。というか、自分の程度を知っているから無理なことは言わなかった。
そしてどちらかというと、生活面や友達とうまくいってるかなどの方が興味があった。

担任の先生のうちの子の評価などが、大切だった。

今思えば、塾にもっと通わせてあげたり、英会話教室などにも行かせてあげればよかったなと思ったりする。

色々反省はあるが、もうそんなこと言ってるよりも老後いかにしっかりしてられるかを考えた方が良いね。

コバちゃんはいつも正直に生きていた。

ある時から頼りなく感じるようになった。
そして認知症になって…。

私が逆にコバちゃんの保護者になったのはその頃だな。

そして92歳の冬に、施設に入った。
入ったのではなく、コバちゃんは入れられたのだった。

その日、ゆっくり家を出たのになんだかスイスイと道が空いていて、約束よりもかなり早く着きそうになったのでコンビニに寄った。
あの辺は気のきいた喫茶店やレストランも無く、あるのはコンビニだった。
コンビニの駐車場に停まって、飲み物を買ってきて私と夫とコバちゃんで飲んだ。

コバちゃんには、どこへ行くとも今日から施設で暮らしてもらうとも何も伝えてなかった。
それを聞いて逆上したり泣かれたり、また怒られるかもしれないとの懸念があった。あとは認知症なので、言っても理解してくれないと思ったから。

私はともかく、夫はどんな気持ちだったのだろう。
以前家で夫がコバちゃんと2人になったとき、コバちゃんの頭をペットボトルやスリッパで叩いたりしたことがあった。

怪物みたいに強いコバちゃんが、子供みたいになったのが受け入れられなかったのかもしれない。
とかいうことよりも、夫も子供のようなものだったのだ。
母親がボケたから可哀想で…なんて殊勝なものではなかった。

コンビニの駐車場で飲み物を飲んでる時、3人とも黙っていた。
まるでこれから母親を姥捨山において来ようとしてる悪い夫婦みたいだった。

とても後ろめたい気持ちだった。

やがて時間が来て、再び車に乗って施設についた。

コバちゃんは「どこなのここは、私どこにきたの?」と言ってキョロキョロした。

「おかあさん、今日からここで糖尿病が良くなるまで入院するのよ」

「そう…」とコバちゃんは言った。

施設に入ってから姉2人と私で、1人1週間に一度か二度顔を見せることにした。


私たちが帰ろうとすると、一緒に帰る、うちに帰るといつも言った。

しばらくしてからは「えみちゃん、私はうちには要らない人間になっちゃったの?」とそのものズバリのことを言って、困らせた。
私も帰りに涙が出たこともあった。
逃げるように帰ってきたものだった。

夫は実の子だから、どんな気持ちだったのかと思う。

私が自分の親だったら泣きたいもの。

世代交代といえばあの頃だったなと、思い出した。

92歳までコバちゃんは、自分らしく主張して生きていたな。
すごい人生だったな。

今日はコバちゃんを思い出した。

これを書いていて、ちょっとだけ目頭が熱くなった。

ちょっとだけね。
コメント
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