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習志野原今昔物語 10 硫黄島で戦死、2人の軍人 「騎兵の華」注目の的 「バロン西」五輪馬術で金

2021-09-09 15:13:13 | 歴史

(毎日新聞「習志野原今昔物語 10」からの抜粋です)


硫黄島で戦死、2人の軍人 「騎兵の華」注目の的 「バロン西」五輪馬術で金

 太平洋戦争の激戦地・硫黄島の戦いを日本側の視点で描いたハリウッド映画「硫黄島からの手紙」が2006年、公開された。同島守備隊の司令官として防衛の指揮を執った栗林忠道中将を渡辺健さんが演じた。伊原剛志さんが演じた西竹一戦車連隊長は、ロサンゼルスオリンピック(1932年)の馬術金メダリストで、男爵であったことから「バロン(男爵)西」とも呼ばれた。ともに硫黄島で戦死した2人は習志野騎兵旅団に所属経験があり、習志野原と縁の深い人物だ。

 西は1927年に習志野原の陸軍騎兵学校を卒業。同校の教官も務め、32年に第二騎兵旅団(第16連隊)に所属する。

 騎兵旅団在職中は、現在の船橋市東船橋の市立宮本中学校に近い高台にある別荘寄宿していた。一緒に暮らしていたのが、4月に亡くなった俳優、田村正和さんの父で「阪妻」の愛称で知られる阪東妻三郎だ。阪妻は自身のプロダクションの撮影所を遊園地「谷津遊園」(習志野市谷津、1982年閉園)に創設していた。
 
 2人とも長身で、西は「習志野騎兵の華」とも称され、注目の的だったろう。
 
 西は金メダルを獲得した。
 
 一方、栗林は17年に陸軍騎兵学校に入校した。騎兵旅団の鎮守社となる「誉田八幡神社」(同市大久保)の境内にある「皇紀二千六百年記念」石碑に揮毫(きごう)している。
 
 硫黄島では戦争末期の45年2月、米軍が総攻撃をかけた。
 
 激戦の上、同年3月に栗林と西は戦死する。(了)
 
 
 
 
 
(編集部より)
バロン西、阪妻撮影所、栗原中将などについては、「住みたい習志野」の記事もあります。合わせてご参照ください。

(バロン西)

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(阪妻の撮影所)

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(栗原中将)

習志野歴史散歩:騎兵旅団の光と影 - 住みたい習志野

 

 

 

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