日本女性史koki版① 原始の女性史Ⅰ
男と女の区分がなかった
時代区分と史観
(弥生時代の女性(出土した骨格から再現した画像))
日本の女性史をふりかえり。ざっと時代区分を以下のように分けてみました。
原始→縄文、弥生、古墳
古代→飛鳥、奈良、平安
中世→鎌倉、室町、安土桃山
近世→江戸
近代→明治、大正、昭和(第二次大戦まで)
(日本の時代区分)
故安倍(晋三)さんとか改憲派(自公維国)議員たち、それを支える宗教保守ネットワークの人たちは、明治から戦後までの政治、社会、文化を「伝統」「美しい国」と持ち上げていますが、日本女性が存在したのはほぼマンモスがいた時代からで、1万年以上もこの国に住みついて男性と共に一途に生きて、文明、文化を形成してきた。
ところが学校で習った歴史、ほとんど重要語句の暗記科目で、しかも少数の男性の支配の歴史でした。
女性が出てきても、皇族、貴族、武士階級で、半分興味半分のスーパーウーマンか悪女か。その他の女性はまったく無視。
そんな男目線なんてちっとも面白くないから、歴史に興味をもつ女ともだちなんてほとんどいなかった。最近「歴女」といわれる歴史好き女子が増えてとてもうれしい。歴女がけっこうディープで多様である豊かな日本の歴史や文化を発信してくれるといいな。
私は、宗教保守ネットワークの人たちが軽々しく「伝統」といいながら皮相な解釈で憲法を貶(おとし)め、歴史を変えようとしているのにめちゃ怒っています。ジェンダーの視点で自分なりに女性史を検証してみたい。もちろん研究家ではないし、たいした史観も持ち合わせていない。
でも、やるからには、最初に私なりの史観を。
日本人は自分たちでどうにかしないで、なにかにつけて「黒船」が来たら、これまでのこだわりもなく、コロッと豹変する。これが愛すべき国民性(と、私は思っています)。そしてコロッと変わったらもう「伝統」なんて気にしない。天皇制じゃなくなったら、もう天皇の時代を復活させてうまいことやろうなんて考えないのがフツーの日本人の価値観。
私は男性の紀貫之が女性のふりをして「男もすなる日記というものを、女もしてみむとてするなり」と、かなで土佐日記を書き、それを突破口として女性たちが仮名日記を好きなだけどんどん書くようになる。すごいなと思う。和漢も飛び越え、男女も跨(また)いだアクロバティック。中国人もその文字の柔らかさにびっくりしたという。
トランスジェンダーなんてこの時代からあった。「伝統だ、日本民族は男女別姓なんて許さん」なんて、笑っちゃうね。 「美しい国」? 国なんて美しいはずないでしょ。新自由主義?なんじゃそれ? マネーに振り回されるのは日本人のスタイルじゃない。欧米的な合理主義にもなじまない。
等々、かなり偏屈な史観ですが、ちゃんと研究者の本や論文を読んで、想像力を広げて書いていきたいと思います。女性だけでなく被差別階層、遊民、任侠などの非支配者側にも翼を広げたい。女性は男性と同じ数だけいた。その女性の歴史、まず原始時代から。
では、日本女性史 koki版 始めます。
縄文時代
(土偶)
日本はかなり古い国。日本に人類が定住するのは、3万年以上前の中期旧石器時代。最終氷河期時代。地球の気候はほぼ現在と同じ。マンモスに代わって中小型動物が生息するようになり、広葉樹の森がしげるようになる。
もちろん日本の歴史の最初から女性はいた。もちろん共働きで男子が狩猟や漁、女子は木の実や貝などの食物採取や貯蔵などの役割分担を受け持っていた。原始共産制という。
日本の文献(2千年前の日本書紀や古事記)では共産制や母系社会は否定されているが、考古学や人類学のほうが正しい。貝塚からは、獣や魚の骨、人骨(食べた跡)、石器や土器が見つかっている。成人男女と子どもの組み合わせで竪穴式住居に住んでいたが、家族かどうかは不明? そのころの出産は命を落とす危険が大だったので母子だけでなく男の同居人は必要。必ずしも血縁家族とは限らないし、平均寿命は短かったから2世代同居の可能性は低い。
このような住居が数軒まとまりで集落を形成していた。生産が共同で行われ、その猟や漁の道具は共有財産。貧富の差はなく、階級も未成立。男女の区分もとくになく、男も女も平等の人間。
男女ともに身体的能力の高い人材がアイドル。説話集や全国各地に「力男」、「力女」のエビソードが多数ある。男女間に身体の差があまりなかったようだ。
また、一対の男女が結婚するのではなく、兄弟姉妹による「群婚」が行われ、女性の元に男性が通ってくる母系制だと考えられていたが、それもどちらでもなく同じ相手と添い遂げるという規範もないから、今ではかなり流動的な双系制だといわれている。近親婚。「オヤ」という古い言葉は母親を指すという。
私は長いこと、母系制で土偶の豊満な形をみれば女性が尊敬されていたことは一発でわかると思っていたが、土器の制作は主に女性の仕事だったから、土偶の作者は女性の確率のほうが高い。
今では土偶のヒト型は妊娠した女性ではなく、食べていた植物の精霊をかたどったものだと博物館の展示で学んだ。
「土偶=植物の精霊」説、このブログでも紹介されていたね。
「土偶を読む」を読む 土偶の正体がわかった? - 住みたい習志野
(土偶のモデルとなった植物 オニグルミ、シバグリ、トチノミ)
あの火焔土器も女性縄文人の表現だとすれば、岡本太郎はもっと驚いただろう。フエミニストになっていたに違いない。祭祀を司るのが巫女(みこ:女性)だったから使う火焔土器も女性が作ったのかもしれない。当時の女性は布、衣服、装身具、身の回りの道具から食器まで、なんでもかんでも作った。すごい生活力。現代の女性のひとりキャンプ、ルーツは縄文時代?
(火焔土器)
弥生時代 古墳時代
やがて、稲作が大陸から伝わり、稲作が始まる。弥生時代というやつだ。柳田國男によると、日本人は山人、海人、常民、遊民で構成されている。山人は狩猟や採取をし、海人は今でいう「アマ」で、塩を全国に運んだのも海人。常民というのは定住し、農作物をつくっている日本人のコアとなる生活者で、里暮らしをしている。
中国では直播きをしていた稲を手間をかけて苗に育て水田に移し替えるのがジャポニカ米。これを作り出したのが古代イノベーション。このイノベーションは女性がやった。稲作を完成させたのは女性。日本書紀には、オオゲツヒメという食物の神は女性で、この死体から、稲、粟、麦、小豆、蚕が生まれたとある。これを栽培したのがアマテラス大神。天皇復活派は天皇の祖先が人民の食物を下さったとこじつけるが、オオゲツヒメでしょ。
(オオゲツヒメ)
酒造りも女の仕事だった。巫女と結びついた酒造は神聖な女の仕事。
女性を穢れたものとし、酒蔵が女人禁制になったのは江戸時代以降。女性を穢れたものとするのは月経の由来による。鎌倉時代の仏教僧が女性への煩悩を振り払うためにこじつけた理由とも言われる。
今は、女性杜氏(とうじ:酒造りの職人)の活躍を耳にすることが多くなった。もう大樽で作る時代じゃないから、力がなくても非力な男性でも酒造りはできる。原始の女性たちは毎日精一杯働いて、祭りには自分たちで作った酒をたらふく飲んだにちがいない。
(半数以上が女性杜氏の西山酒造)
女性を土俵から締め出す相撲協会はその理由を、「土俵に女性を上げないのは、女性が不浄だからではなく、土俵は力士が勝負をする神聖な場所だから。伝統文化を守りたい」と理事長が説明しているが、ここにも「伝統」のうさん臭さ。
原始時代では、女性は神と交わる神聖な存在であり、神事は巫女が執り行っていた。女力士も男性と同じくらいいた。 相撲協会の「伝統」は男女差別の「伝統」ちゃいますか?
(女大関「若緑関」)
卑弥呼、わかっていること
学校の歴史は、卑弥呼以前はほぼ省略の「伝統」。統治側の歴史に偏(かたよ)っているためで、トップバッターの卑弥呼は教科書上、日本で最初の支配者で女性。30カ国からなる倭国連合の宗主国である邪馬台国の女王だが、その証拠は「魏志倭人伝」という外国資料。「魏志倭人伝」ではこう記されている。
「其の国、本亦男子を以って王と為す。住みて七・八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と日う。鬼道に事え、能く衆を惑わす。年巳に長大なるも夫婿無く、男弟有り。佐けて国を治む。王と為りしより以来、見る有る者少なく,婢千人を以って自ら待せしむ。唯ゝ男子一人有り。飲食を給し、辞を伝え居処に出入ず。宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人有り。兵を持して守衛す」。
(安田靫彦「卑弥呼」)
この部分から王卑弥呼は鬼道(まじない)につかえるシャーマン、男たちはそれを助けて、国を治める行政担当と男女二重王権説が説かれてきた。
しかし、日本の記紀や風土記などから多方面の研究の結果、女ー祭祀、男ー行政という明確な分担はなく、相互移動的なものだったと考えられている。男子による万世一系の支配は日本の伝統ではなく、中国の絶対的な王権からきたのだよ。魏志倭人伝には「邪馬台国では男女が集会に参加し、座席順や振る舞いに区別はない」として、多くの女性首長がいて、外交、生産から軍事まで司っていたことは、埋葬品などから判明している。神を憑依させ、託宣によって集団を率いる能力を持った女性は、政治の場所から完全に排除することができない。これもれっきとした女性の政治参加である。
村の女性たちは?
弥生時代は狩猟採集から農業へと軸足を移し、竪穴式住居がいっぱいつくられて、それぞれかまどがあり、寝食の単位はその一戸一戸にあった。数軒があつまり大型住居と倉庫をもち、共同作業をやり経済単位をつくった。
(竪穴住居)
そのなかから、地方豪族ができ、大和王権と同盟や従属関係でむすびつき、貢物や力役を義務付けられるようになる。女性は水田や畑で働き、土器を作り、機(はた)を織り、着物を縫ったが、それは自分たちのためでなく、貢物にもなった。
(米作りの共同作業)
部落間の戦争もトップの女性首長が男女混合の兵士を集め、命運をかけて戦ったという。「日本書紀」や「風土記」に記述がある。
縄文時代には戦争はなかった
(弥生時代の兵)
これで、原始時代はおしまいと思ったが、原始時代続きます。
私は男女の区分がなかった時代から、律令制国家になるまでに興味がある。
どうして階級制社会が始まったのか? 「謎の4世紀」といって4世紀の歴史が不明である。氏族ができ、力を持つようになって、奴隷ができ、女性が家に縛られ、その支配は太平洋戦争が終わるまでずっと続くのである。
そして現代、憲法を変えて、「天皇制民主主義」というわけのわからないものを創り出そうと、岸田内閣が「安倍さんがやりのこしたこと」に不退転の決意だそうだ。賛成する政党、賛成する国民は圧倒的。こういう時代だからこそ、卑弥呼から倭王の承認を得た239年から701年の大宝律令までの日本について知りたい。
もし、中国から律令制という黒船が来なければ、女性は生産から統治まで男性と同等の役割で生をまっとうできたかもしれない。世界の動きから取り残されて、「古代から日本はガラパゴス国家であった」なんちゃってね。しかし、歴史にもしも…はない。
古代史は謎に満ちている。考古学は技術的な進歩を遂げているのに、天皇陵、全国に899基もある陵墓の発掘が、天皇の祖先の墓だからと許可されないまま、崩壊がすすんでいる。
(世界遺産 仁徳天皇陵 立ち入り禁止)
卑弥呼も墓は見つからず、いまだに支配したのが北九州か、近畿か、わからない。
そういうわけで次回も原始時代です。推古天皇からのごちゃっといる女性天皇についても調べています。あんたが天皇になったのは「中継ぎ」指名ですか?それとも兄弟を差し置いてもやりたかったの? いったいどんな顔をしていたかもわからないのに語りかけている暑い夏です。梅雨明けはいつかな?(koki)
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