「平和」について考える
そもそも「平和」とは?
ロシアのウクライナ侵略で、メディアではウクライナの戦争を実況中継のように報道しています。映像で実際にあったことを知ることができても、その映像の周りについては見えません。また、出来事の背景も理解できないことがほとんどです。
メディアには「平和」という言葉があふれています。しかし、そもそも「平和」とはどのようなことでしょうか?とりあえず「戦争」が行われず、武力によって侵害されていなければ「平和」と呼んでもいいようですが、「戦争」は多様化し、複雑になり、「平和」の概念も発達しています。
日本は一見平和なようでも、個々にはさまざまな困難に直面して平穏とはいえない毎日を送っている人も多くいます。
欧米の武器支援が「火に油」をそそぐウクライナ戦争
ウクライナへの支援は当然のように言われても、その支援が「火に油」となっていないか吟味する必要があると思います。武器購入資金を提供したり武器そのものを供与することは、紛争をエスカレートさせることで、戦争を止めることには役立ちません。
平和憲法を持つ日本。非武装で軍隊がないから、ということで侵略された国はない
平和憲法を持つ日本政府は、平和主義の崇高な理念を掲げてロシアやウクライナに迫ることが重要です。世界には30近くの非武装の国がありますが、軍隊がないからと侵略された国はないそうです。侵略戦争に割って入って平和を求めることは困難ではあっても外交力をもって対応していくことが重要です。
バチカン
キリスト教精神を基調とする正義に基づき、武力紛争の回避を提唱する[1]。国としての軍はないが、スイス衛兵と呼ばれる教皇直属の100人規模の警察と軍を兼ね備えた組織を持つ。主な武装は拳銃と催涙スプレーである。
リヒテンシュタイン
コスト面から1868年に軍を解体。国家警察は隣接する諸国の軍と密接な関係を持っている。
コスタリカ
憲法では「恒久的制度としての軍隊を廃止」と常備軍の廃止を規定しているものの、有事には徴兵制を行い軍を組織できることになっている。
「兵士よりも多くの教師を」 軍隊を持たないコスタリカは、なぜ「地球幸福度」ランキング1位なのか?|KOKOCARA(ココカラ)−生協パルシステムの情報メディア
外交を駆使して問題解決を進めるトルコ。「モントルー条約」で軍艦の通航を制限
トルコは黒海沿岸の大国で、黒海の出入り口の支配を国際条約(モントルー海峡条約)で保証されています。トルコのチャウシュオウル外相は、「現在、ウクライナ、ロシア両国からの食糧輸出(小麦、コーン、ひまわり油など)について、トルコ、国連、ウクライナ、ロシアが参加するメカニズムを構築する」と発言しています。ロシアもトルコと敵対することはできません。トルコは原理原則に則って、外交による問題解決を進めようとしています。
一度戦争が始まれば、どんどんエスカレート。「抑止力論」など吹き飛んでしまう
ロシアのウクライナ侵略で明らかになったことは、一度戦争が始まれば、その解決が極めて難しいということです。また、軍事力を競ういあう「抑止力論」が陳腐なものかが明らかになったと言えます。
食料もエネルギーも輸入に頼る日本。戦争が始まったら日本は終わり。「戦争に至らぬようにできる」外交力が問われる
特に日本は戦争が始まれば、食糧やエネルギーの輸入もできなくなり、食糧不足、エネルギー不足で暮らしは成り立ちません。
輸出も滞り、経済は壊滅的な打撃を受けます。最近一部の政治家は「安全保障」を口にしていますが、日本の安全保障を考えるならば、戦争に至らぬようにどうするのかが問題で、戦争が始まったら、日本は終わりというのが実情です。「安全保障」という「戦争準備」には国民の生活を守る正当性がありません。どのように東アジアの平和構築に力を尽くすのか、今こそ外交力が問われています。(近)
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