goo blog サービス終了のお知らせ 

隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1425.烏女

2013年12月29日 | サスペンス
烏女
読 了 日 2013/12/12
著  者 海月ルイ
出 版 社 双葉社
形  態 単行本
ページ数 323
発 行 日 2003/12/20
ISBN 4-575-23487-7

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

年もいよいよ残すところ、今日を含めて3日となった。毎年この時期になると、何か遣り残したことがあるのではないかと、心中穏やかではなくなる。役立たずの年寄りにそんなことは何もないのだが、生来の貧乏性のためだろう。いつも何かに追い立てられているような気になるのだ。
それと言うのも、実は押し詰まった27日の1昨日になって、ヤフオクにCDと処分せずに残してあったサイン本を出品したのだ。CDはその前にBOOKOFFで幾らくらいで売れるだろうかと、持って行ったら11枚で950円だと言う。僕は内心まあそんなものだろうと、売らずに持ち帰ってネットオークションに出すことにしたのだ。
サイン本のほうは、東京創元社のネット販売でポツポツと買っておいたものが7冊ほどあったので、こちらははなからBOOKOFFでは値段がつかないだろうと思い、同じくネットに出品することにしていた。
BOOKOFFなどでの処分は買い取り価格は安いが、まとめて処分できるのがメリットだ。ネット販売では高く売れるが、一度には売れないからどちら良いかは、そのときの判断だ。

 

 

と言うようなこともあって、押し詰まってから出品したものだから、2―3落札の通知などもあり、慌ててメール便で発送手続きなどをしている状態なのだ。
クロネコメール便は近くの7イレブンで済むが、ゆうメールは近くの特定郵便局は閉まっているから、少し離れた本局まで行く必要があって、少しばかりせわしない思いをしている。明けてからゆっくりやればよかったと、後悔しても遅い。

以前ネット販売に入れ込んでいた頃は、もう少し手際がよかったのだが、しばらくやってなかったので、要領が悪くなった。歳をとったせいもあるのだろう。
歳のせいといえば、近頃は割りと得意だと思っていた数独を解くのに、かなりの時間を要するようになった。頭の回転はもともと速い方ではないが、気力の衰えが脳の働きにも影響するのか?体の動きにもそれは現れる。イメージと少しずつずれて行くような気がして、心もとない。
何の話をしてるのかわからなくなってきた。今年最後の無駄話だ。

 

 

分しばらくぶりの著者の作品だと思って、記録をたどったら前回「京都祇園迷宮事件」を読んだのは、2011年の12月だった。2年ぶりとなる本書はホラーを思わせるようなタイトルと表紙だ。
僕の中では「サスペンスの名手」という認識を著者に対して持っているから、このタイトルと表紙の絵には少々違和感があった。そのため、実はこの本はかなり前に買ってあったにもかかわらず、読むのが遅くなっていたのだ。(と、思っているが、単に僕の気まぐれと言える)
そこいら辺が読書人としては、有ってはならないところなのだが、まあ、これも僕の性分だから仕方がないか?
自分では意識してないが、僕の中にはいろいろと拘りがあるようで、人に対してはそれほどでもない(と自分では思っている)が、自分に対しては拘りというより変なところで完全主義なのかもしれない。

著者の海月ルイ氏は「子盗り」で、もうかなり前になくなったサントリーミステリー大賞の大賞と読者賞をダブル受賞した。2002年のことだから、もう10年以上前のことだ。
感情移入の激しい僕はその「子盗り」を読んで、胸の痛くなるような不安感に襲われて、サスペンス作家として海月氏を強く意識するようになった。だが、僕が好きになる女性作家には寡作な人も多く、海月氏の作品もそれほど多くはないのだ。
多分此の作品で、僕は氏の作品を全部読んでしまったのではないだろうか?
本作は期待したほどのサスペンス性はなかったが、会談めいた部分もあって、それなりに楽しんで読んだ。 子育てや主婦業をこなしながらの著作は楽ではないだろうが、また胸の痛くなるようなサスペンスを期待している。

ここに書くのも今年はこれで最後になった。年々1年の過ぎるのが早く感じられるようになっている。来年はどんな年になるのだろう?
僕のつたない文を読んで下さった皆さん、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えになってください。そして、また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1402.ヒルダよ眠れ

2013年10月21日 | サスペンス
ヒルダよ眠れ
No Tears for Hilda
読了日 2013/09/30
著 者 アンドリュー・ガーヴ
Andrew Garve
訳 者 宇佐川晶子
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 373
発行日 2008/09/15
ISBN 978-4-15-073354-4

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

説以外にミステリーに関する文献や評論などもたまに読んでいるので、このタイトルも著者の名前も以前から知っていたような気がする。いや、若しかしたらどこかでその年のミステリーベスト10などという記事を見たのかもしれない。
情報の出所はともかく、頭の隅に著者の名前の記憶があったので、BOOKOFFの文庫棚で背表紙のタイトルが目に付いて、買って来た。なんだかんだ言っても、105円という価格の魅力と誘惑に勝てない。物の本によれば、そういう金の使い方が貧乏生活から抜け出せない要因なのだそうだ。
言われてみれば思い当たることもあり、確かに僕は金の使い方が下手だと自覚している。もっと有効な使い方をしていれば、今頃もう少しましな生活をしているのかもしれない。それほど長い先行きとは思えないが、遅まきながら少し心を改めて・・・といったって何をすればいいんだ??

 

 

まだサラリーマン現役の若い頃、年をとって暇になったらじっくりと、古典的なミステリーベストテンや、古今東西の名作ミステリーなどを片っ端から読破したい、などと思っていた。60歳還暦を機に始めたこのミステリー読書は、若い頃考えていた方向とはいささか異なる方へと向かっているようだ。
ミステリー小説の動向も時代とともに変化して、いろいろと種類も増えて新しい情報が次から次へと入ってきて、気が多いというか、移り気な僕の気を惑わす。何か強迫観念に取り込まれているような、じっくりと読書などとは程遠い日々をすごしているのが現状だ。
単なる娯楽のための読書なのだから、もっとユッタリとした気分で楽しもうと思いながらも、残り少ない人生を考えて数をこなそうという方に向かってしまうのだ。

 

 

ョージ・ランバートというのが本編の主人公だ。彼は、公務員の仕事を終えて帰宅すると、台所にガスが充満しており、妻のヒルダが倒れているのを発見する。彼には何がなんだかわからなかったが、どうやらヒルダは自殺らしい。ヒルダとの間にはジェーンという17歳になる娘が居るが、躁うつ病で入院していた。
警察の調べが進むうちに、死体の状況から自殺ではなく、殺人の可能性が出てきて、あまつさえランバートにその疑いが向けられた。そして彼は拘束されることに・・・・。
知らせを受けたランバートの親友・マックス・イースターブルックは、ランバートの無実を信じて独自に調べ始める。
イースターブルックが調べ始めると、ヒルダはランバートの言うような良妻とは正反対の、誰からも嫌われていたことがわかってくるのだった。だが、尋ねてきた友達もなく、近所との付き合いもなかったヒルダを誰が殺そうと思ったのか?
アイリッシュ氏の「幻の女」を思わせるような、五里霧中の中をさまようがごときイースターブルックの調査は、ランバートの無実を証明することが出来るのか?

ランバートは妻と娘の間に、問題があったことも、妻・ヒルダの本当の姿にも目を背けていたのかもしれない。そうしたことが徐々に判るにつれ、事件の真相が見えてくるのだが・・・。
ここに描かれているシチュエーションは、後のミステリー作家に多くの影響を残していると思われる。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1400.黒い樹海

2013年10月15日 | サスペンス
黒い樹海
読了日 2013/09/27
著 者 松本清張
出 版 社 講談社
形 態 文庫
ページ数 470
発行日 1973/06/15
分類番号 0193-311768-2253-2

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

月、2013年11月2日が僕の74歳の誕生日で、それを前に1,400冊を読み終えて、どうやら年100冊という目標を達成することが出来た。60歳から始めた此の読書記録も来月2日で丸々14年を経過することになる。
当初は右のサイドバーにも表示しているように、60歳から70歳までの10年で500冊を目標としていたことから見れば、よくここまで続いたものだという感慨もあるが、たいした病気もせずにこれまで来れたことは、幸運だったと言える。
此のペースを維持できれば、当面の目標である75歳―1,500冊も達成できそうな感じだ。せいぜい健康に気をつけて、好きなな読書を続けたいものだ。

昔から「継続は力なり」などと言われて、一つことを継続することの意義を称えている。僕の場合は何の力にもなっていないが、ささやかな目標を持って読書を続けていることが、生きる力になっているのかもしれない。加齢による小さな身体の不調―視力の低下や、体力の衰えなど―はあるものの、そうしたことも年齢相応のものだと思って、気軽に受け入れられるのもその一つか。

目的もなくBOOKOFFの文庫棚を眺め回して、これと言って欲しい本がない時は、昔夢中で読んだ松本清張氏や、高木彬光氏の名前を無意識のうちに捜している。
BOOKOFFのようなチェーン展開をしている古書店では、一見動いてないようで実は棚の商品は、目まぐるしく変わっている。だから時により、古くからの作家の作品が多くあったり、逆に1冊も見当たらなかったりするところがあって、そうしたことを見たり感じたりすることも、こうした店に来る楽しみの一つでもある。
そうは言っても、僕だって毎回棚の隅から隅まで見ているわけではないから、そんな動きを把握しているわけではない。それに店側としたって、近隣の顧客からの買い取りだけで棚を埋めているのではなく、古書市場での仕入れだってあるだろうから、商品の入れ替わりもその時々で、大きく変わるのだろう。
もうこの読書記録で何度となく書いてきたが、僕はその昔仲間と一緒に郊外型の書店をチェーン展開する目的を以って起業したことがあった。そうした過去の経験から意識しなくても、まったくの素人ではない目で書店や古書店を見ているのかもしれない。

 

 

そんなことを考えていると、またいつか神田の古書店街をじっくりと見て回りたい欲望に駆られる。
毎回見ている書評番組の一つ、BSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」でたまにやる“東京古本散歩”と言うコーナーがある。「本の雑誌」の編集長・浜本茂氏と古書収集家・北原尚彦氏の二人が、都内の古書店の集まる町を歩いて、収集家の間で知られる古書店を訪れて店主と話したり、古書を買ったり、あるいは手持ちの古書を売る、といったなかなか興味をそそる企画で、紹介された場所の古書店に行ってみたくなる。
だが、「暇はあれど金はなし」の状態の僕には交通費を使っていくことは無理だから、見るだけで満足するしかない。
かつては木更津市にも古くからのいわゆる古本屋さんが何軒かあったのだが、郊外型の大型古書店チェーンの進出に伴い、そうした小さな古本屋さんは経営が成り立たなくなって、今ではほとんど見られなくなってしまった。流通業界の変遷は、多くの業種に見られる時代の趨勢だ。

 

 

て、1400冊目となるこの作品も、BOOKOFFの棚を見ていて見つけた本だ。これを最初に読んだのはいつ頃だっただろう。多分、高校を卒業した後の昭和30年代の半ばだったと思うが、僕のあやふやな記憶では、そのころ僕が読んだ清張作品は光文社から刊行されているカッパノベルスが多かったので、此の作品もそうではないかと思うが、定かではない。
多くの清張作品がテレビドラマになっており、此の作品も例外ではない。それどころか幾度となくドラマ化されているのではないかと思う。それだけ此の長編ミステリーがドラマチックだということだろう。
僕の中での清張作品の特徴の一つとして、スタートにおける事件を予兆させる描写だ。初期の作品「ゼロの焦点」がその典型的な例だ。何の変哲もなくごく普通の暮らしをしている人が、突然事件の渦中に巻き込まれるといったストーリー展開に、僕は何度読んでも胸のざわめきを抑えることが出来ない。
ことによったら、そうした感覚を覚えるために僕は、清張作品を読み返すのかもしれない。

二人暮らしの姉妹の姉・笠原信子が仙台への一人旅に出かけたはずが、静岡県浜松市のバス事故の犠牲になったという知らせが、妹・祥子のところに入る。
バス会社からの電報でそれを知った祥子は、とるものもとりあえず夜行列車で浜松に向かう。仙台に行っているはずの姉が、何故浜松に?どんなことでも妹の祥子に話してくれた姉・信子が、祥子にも秘密にしていたことがあったのだろうか?
そんな思いと不安を抱えて列車で浜松へと向かうまでの描写が、僕の中に清張作品の真骨頂だという感覚を再び蘇らせるのだ。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1391.心の中の冷たい何か

2013年09月18日 | サスペンス
心の中の冷たい何か
読 了 日 2013/0829
著  者 若竹七海
出 版 社 東京創元社
形  態 単行本
ページ数 340
発 行 日 1991/10/25
I S B N 4-488-01258-2

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

ン読本の消化、第2弾だ。
発行日が1991年だから、僕がこの読書記録を始めるずっと前のことだ。多分手に入れたのはそれより後で、古書店で買い求めたものだろう。最初に著者の本(ぼくのミステリな日常)を読んだのが2002年なので、その年かあるいはその翌年くらいだろう。
となると、ずいぶん昔のことになるが、まあ、積ン読本となるのはそういうことだ。つまりいつ買ったかも覚えていないから、忘れ去ってしまうのだ。僕が面倒くさいデータの整理などするのも、そうして忘れてしまった手持ちのタイトルを、思い出して消化するという目的もある。先月から今月にかけてそうした作業を続けているうちに、ほんの少しではあるが本を購入した当時のことを思い出すこともあって、改めて1冊ずつを手に取ると、何か不思議な感覚を呼び覚まされる。
著者の本はこれまでに、長編6冊、短編3篇を読んでいる。それほど少ない量ではない、にもかかわらず僕はいまいちこの著者の作風というか、作品の傾向を理解していないようだ。

 

 

本書の語り手で、主人公は著者と同名の若竹七海。彼女が気まぐれの一人旅を思い立って、出かけた電車の中で知り合った女性が、後に自殺未遂でこん睡状態になったことを知る。
気になった若竹七海は、彼女が到底自殺などしないような人柄に思えたことから、独自に調べ始める。
大筋から言えば僕の好きなタイプの話だと思えたが、なぜだろう?読み終わるのに4日もかかってしまった。原因の多くは僕の理解不足(なのだろう)が、飲み込みが悪いというか、それと、主人公である若竹七海にどうも共感出来なかったことにもある。

 

 

人探偵の執念めいた調査のエネルギーがどこから湧いてくるのか?その必然性に疑問を感じると、もういけない。ついていけなくなるのだ。
そうした人の迷惑顧みずといったキャラクターのストーリーは従来もいくつも読んできたが、ちょっとした性格破綻者(に思える)のような設定?は、著者と同姓同名だから、少し謙遜の意味を込めているのかとも思ったが、少しやりすぎではないかと言う感じがした。
世の中広いからこうした人物は珍しくないのだろうが、生理的に好きになれない人物はいるもので、あくまで僕の偏見は本編の主人公もその一人と認識したのだ。

設定は僕の好みでもある、幻の女の変形版ともいえるので、もし後々時間が有ったら読み返してみるとまた印象が違ってくるかもしれない。そんな機会が来るかどうかわからないが、そのときを期待しよう。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1388.名残り火

2013年09月09日 | サスペンス
名残り火
読 了 日 2013/08/21
著  者 藤原伊織
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫
ページ数 458
発 行 日 2010/06/10
I S B N 978-4-16-179501-5

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

ブタイトルに「てのひらの闇Ⅱ」とあるが、 残念ながら僕は前に読んだ「てのひらの闇」の内容をまったく覚えていない。記録をたどると、2006年の12月に「てのひらの闇」を読んでおり、 きっかけはドラマを見たことだった。
ドラマは一部キャスティングの年齢差に違和感を感じるところもあったが、総体的には主人公を演じた舘ひろし氏のキャラクターがマッチして、よく出来ていた。
僕は著者の作品が好きだった。と過去形で書かなければならない状況を悲しく思う。どちらかと言えば寡作だった著者が残した作品はそれほど多くはない。 刊行されているものでまだ読んでないものは、2-3冊のはずだ。
氏の作品を読むのは本書で8冊目だが、本当はもっともっと増えていくはずだった。2007年に59歳という若さで癌のためこの世を去った、当人にしてもまだまだ傑作を残すことが出来たはずだと、心残りだったのではないか。ファンとしても残念でならない。
それでも何冊かは未読の作品があるので、順次図書館でも利用することにしたい。

 

 

前作の「てのひらの闇」の内容をすっかり忘れているので、本書のスタートが幾分唐突と言う感じで読み始める。しばらく読み進むうちに、GMSとかCVS、あるいはフェイス、ラインエクステンションなどと言う単語が飛び出して、勢い物語に引き込まれる。
現役のサラリーマン時代に引き戻されたような感じだ。僕の居た流通業界では日常交わされる会話で、常にそうした単語が飛び交っていたからだ。もう大昔の話だが、一時期アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪を引く、などという比喩が用いられた。流通の業態が次々と日本に上陸したり、アレンジされた店舗が国中を駆け巡ると言う状態が、その後まもなく来たのだから、流通業界にとっては単なる比喩とはいえないかもしれない。
日本のGMS(本国アメリカの業態とは若干異なるが)と言われるイトーヨーカドーがCVS・7イレブンやCFS・デニーズと提携し、全国展開を図ったのをはじめとして、アメリカでチェーン展開をしていた業態が次々と日本中に広まっていったのだ。

 

 

は読書の途中で、時折作家の博識さに驚くことがある。やはり一つの物語を紡ぎだすためには、それ相応の取材や、資料調べをするのだろうが、作家諸氏のすごいところはそうして得た知識をストーリーに組み立ててしまうところだ。あたかもその道のエキスパートであるがごとく。
それが僕の知っている業界などに関するストーリーであれば尚更のことなのだ。作中オーバーストアに触れる記述が少しあるが、僕が盛んにチェーンストアに関する知識を習得していた頃は、そんな状態が来るとは思ってもいなかったので、時代の変化と大いなる流れを感じる。

本書も、前作「てのひらの闇」で活躍した主人公・堀江雅之が、そのままスライドして、もう少し過激さを増しながら?一層の活躍を見せる。一応サラリーマンではあったが、出身が特殊な世界であるため、時折暴力的な対応を取ることがあって、それはそれでカタルシスを感じさせるところで、その辺も此の作品の魅力の一つだ。
今回はかつて同じ職場で競い合った親友とも言える、エリート社員・柿島隆志が何者かに暴力で殺害されると言う事件が発端となる。
堀江企画として各種調査を生業としている彼は、鋭い勘と、執拗な調査で事件の真相を追い求める。そんな彼に、物心両面から手を貸す人物が二人。一人は前の職場のときからの、着かず離れずの関係が続く若い女性・大原。彼女は今でも堀江を課長と呼んでいる。
そしてもう一人は食品会社・サンショーフーズの社長三上照和だ。以前堀江が名の通った業界誌に書いていたコラムを読んだ三上社長が堀江の調査や、業界に精通しているところに惚れ込んだと言う形だった。面白い小説には、いろいろと要素があるものだが、その他には行きつけのスナックバーや、ドゥカティを乗り回す女性店主のナミちゃんとか、舞台装置は整っているのだ。

僕は途中で、若しかしたら未亡人の菜穂子は、何か事件への関わりがあるのでは?などと柄にもなく推理したのだが、それではまるでチャンドラー氏の「さらば愛しき女よ」になってしまうではないか、と考えを改める。
親友が何故殺されなければならなかったのか?ただただその思いだけで、真相を探り続ける堀江のストイックなかっこよさは、フィリップ・マーロウの上を行く?
だが、これが著者の遺作とは悲しいではないか。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1387.二流小説家

2013年09月06日 | サスペンス
二流小説家
THE SERIALIST
読了日 2013/08/16
著 者 デイヴィッド・ゴードン
David Gordon
訳 者 青木千鶴
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 562
発行日 2013/01/25
ISBN 978-4-15-179501-5

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

回見ているわけではないが、書評番組の一つとして見ているのが、Axnミステリーの「早川書房ブックリエ」という番組だ。これは早川書房がベテラン編集者を本(ブック)のソムリエ、ブックリエと呼んで、それぞれの担当している中からその月のお勧め本の紹介をするというものである。
いつの放送だったか忘れたが、文庫の発行日から多分昨年末か、もしくは今年に入って直ぐだったのではないか。ブックリエの一人が紹介していたのが本書だったと思う。
残念ながらどんなことを言っていたかは忘れた。その後、他のところでも、好評であることを知り、どんな内容なのか気になっていた。

話がそれるが、僕は昨日隣街の君津市の図書館へ行ってきた。僕は読み終わってすぐにBOOKOFFへ持って行って、処分してしまったから、本書の内容を再確認する必要が生じても、図書館を利用するしかない。
木更津市の図書館は貸し出し中だったので、仕方なく君津市まで足を伸ばした次第。ところが文庫棚を探しても見当たらない。ネットで検索したときは貸出可になっていたのにおかしいな、と思いつつ係員に訪ねたら、場所が違っていた上に、文庫ではなくポケミスだった。
僕が読んだのが文庫だったから、図書館の本もてっきり文庫だと思い込んでいた。

 

 

そんなこんなで、中身を確認した上で、今(9月5日)これを書いているのだが、読んだそばから内容を忘れて行くので、読後何日かは本を手元に置いておくのだが、今回は本書に限らずほかにも必要な本を間違えて処分してしまったのだ。早とちりやうっかりミスは日常茶飯事で、余分な時間と費用をかけてしまう馬鹿さ加減が嫌になる。

僕がミステリーを読む楽しみの一つは、特に本格推理などの場合には、思いもかけない結末が示されることだ。だから、読む前に出来るだけ解説や、紹介文は読まないようにしている。そうすると当然のことながら、内容を知ることなく読み始めることになる。そうして読み始めてから、好みではないストーリーと向き合うことは少なくない。ミステリー小説の宿命とでも言おうか、いや、そんな大げさなことではなく僕だけの問題か。
まあ、しかし今回は期待を裏切られることもなく、途中ホンの少し退屈する箇所もあったが、最後にはだまされるところもあって・・・・。

近頃、また翻訳ミステリーにご無沙汰が続いていることも、本書を手にした要因の一つだ。
もちろん僕が買うのは古書だ。文庫とはいえ定価1,000円もの本はなかなか新刊では買えない。こうして次々新しい本を追いかけることは出来るだけ止めようと思いつつ、続くのは僕の心の弱さだ。タバコを止められない人を笑えない。比較対象が少しずれているか?

原題の「The Serialist」(多分この場合は連続殺人機の意味だろう)を“二流小説家”としたのは、訳者-青木千鶴氏-の名訳だろう。本文中では売れない小説家ということになっている、主人公で語り手のハリー・ブロックは、そっちこっちにSFやら、ポルノ小説を書き散らしている作家だ。
そんな彼にも少ないながら固定ファン-カルト的なファンが付いていて、どうにかその日暮らしを続ける程度の収入にはなっているようだ。だが、もう少しマシな生活をと、家庭教師のアルバイトをすることになり、最初の顧客に恵まれることになった。クレア・ナッシュという裕福な家庭の高校生の少女を教えることになるが、どうもハリーはこの少女から逆に教えられることが多かった。クレアはほかの少女の家庭教師の口をハリーに世話するなど、自らをハリーのビジネスパートナーと名乗るのだ。
まあ、この高校生の逞しさには国民性の違いもあろうが、主人公のハリーと同様、圧倒される思いを抱く。
そうした中、4人の女性を残虐な手口で殺害した、連続殺人犯で死刑判決を受けて、収監中のダリアン・クレイから告白手記の書き手としてハリーが指名されたのだ。

 

 

はその小説を読むことで、関連書物への―いや無関係でも―他の書物への興味を抱くことがままある。
特に面白く読んでいる時にそういうことがあるのだ。それとは全く関係ないことだが、車のグラブコンパートメントなどという単語が出てくると、こちらでは普通、グローブボックスと言ってるが、正式にはそう言うのか、などと余分なことが頭をかすめる。

また、少女・クレアが「トイズラーズ」の棒キャンディーなんぞをしゃぶって・・・という描写があると、この企業が何年か前に日本に進出してきたときは、確か「トイザラス」と言っていたが・・・。
僕が、現役の頃(昭和50年代後半)チェーンストアのセミナーで渡米した時の現地での呼び名は「トイズラス」と言っていた。巨大な倉庫様の建物に背の高いスティールラックを使った店舗に、ぎっしりと玩具を並べていた企業が、将来日本に来るとは思ってもいずに見ていたことを思い出す。

ハリーはなぜ自分がダリアンに指名されたのか不審に思いながらも、ダリアンへの面会に刑務所に通うことになるのだが、ダリアンの手口と同じ殺人事件が発生する。模倣犯か?それともダリアンの他に真犯人が?

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1385-3.ソロモンの偽証 第Ⅲ部 法廷

2013年08月31日 | サスペンス
ソロモンの偽証 第Ⅲ部 法廷
読 了 日 2013/08/11
著  者 宮部みゆき
出 版 社 新潮社
形  態 単行本
ページ数 722
発 行 日 2012/10/10
I S B N 978-4-10-375012-3

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者 の作品一覧へ移動します。

日で8月も終わりだ が、まだまだ暑い日は続くのだろう。此のところ気のせいか、朝晩は割と涼しいような気がして、それほど寝苦しいようなこともなく 、過ごせるのはありがたい。
しかし、西日本や北陸から東北、北海道にかけては、集中豪雨の被害で大変らしい。そこへ行くと僕の住む千葉県は天候による被害が 少ないばかりでなく、温暖な気候に恵まれている。サラリーマン現役の頃、TOPからよく言われたものだ。「だから君たちはのんびりし て、仕事をはじめ、何事にも欲がないのだ」
ちなみに、TOPは京都方面の出身だった。脱サラで起こした企業を東証一部に上場するまでに発展させた当時のTOPも、すでにこの世の 人ではなく、月日の流れは過酷な一面をも見せる。
今これを書いている時刻は朝の7時30分だが、僕の感傷を知ることもなく、朝から強い日差しが容赦なく照りつけて、今日も暑い一日に なる予兆を示している。

 

 

此の作品を読んでから20日も過ぎて、 もうすでに半分くらいは忘れているが、それでも第Ⅲ部の法廷は思い出すだけで、胸の高鳴りと興奮を蘇らせる。
実は、悪ガキ三人組による執拗に暴力的ないじめを受けた女子生徒が、反撃のために彼らを陥れる文書を作り、特定の人物・三人に送 りつけたのだ。柏木卓也の投身は大出俊次の三人組が手を下したものだという内容だ。だが三通の内の一通、担任の新人女教師に送り つけた文書は、ある人物による悪意から、学校教育方針に疑問を抱き、関連するいくつかの報道番組を手がけた記者の手に渡ったのだ 。
そうした背景があって、再び三人組や、学校側の情報隠しへの疑惑が持ち上がる。

藤野涼子をはじめとする良識的な生徒たちは、自分たちの手で事件の真相を明らかにするための、裁判を実施することにしたのだ。裁 判は外部に対して非公開とし、傍聴は保護者や学校関係者に限った。

 

 

判は欧米の陪審員裁判形式を踏襲することになり、被告・大出俊次をめぐり、検察と弁護側と別れ、それぞれ証人を喚問して、その証言により、陪審員に判断させるというものだ。
判事役、検事と検察事務官、弁護人とその助手等々により、進行される裁判の模様は、とても子供たちによるものとは思えないほど、本格的な形式で進められ、手に汗握る展開を示していくのだ。

テレビやインターネットが当たり前の時代の子供たちにとって、テレビドラマやミステリーから得た知識で、本物そっくりの裁判劇を進めることなど、わけもないことなのか。
証人には捜査に当たった女性刑事なども喚問されて、検察、弁護側双方から鋭い質問をされる場面も。
途中「しかるべく」などということばも出て、思わず笑いが込みあがる場面も。
暑い夏休みを利用した、熱い裁判から浮かび上がったのは?

学校中を、周辺地域を、あるいはマスコミをも巻き込んだ学校裁判にかかわった生徒たちは、やがて分別をわきまえた大人に成長していくのか?彼らは裁判の終わりとともに、暑い夏の終わりを迎える。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1385-2.ソロモンの偽証 第Ⅱ部 決意

2013年08月30日 | サスペンス
ソロモンの偽証 第Ⅱ部 決意
読 了 日 2013/08/09
著  者 宮部みゆき
出 版 社 新潮社
形  態 単行本
ページ数 715
発 行 日 2012/09/20
I S B N 978-4-10-375011-6

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

の作品は新潮社の月刊誌「小説新潮」に、2002年(平成14年)10月号から2011年(平成23年)11月号まで、実に9年1ヶ月という長期間に及び連載されたあと、第1部が刊行されるまでさらに9ヶ月を経ているから、おおよそ10年という長い年月をかけた一大エンタテインメントだ。

ところで、この長い年月をかけた長い物語は、その長さに比例した長い年月の物語ではない。城東第三中学校の2年生の生徒・柏木卓也の落下死体が発見された1990年の冬から翌1991年の夏休みまでの8―9ヶ月間の出来事を事細かに描いたストーリーなのだ。
多くの要素を含んだ作品なので、僕はどのカテゴリーにしようかと迷ったが、一番無難な学園ミステリーにしてある。

 

 

第1部事件で発生した落下死体は、葬儀の際の父親の発言からも、警察の見解も自殺ということで落ち着きそうだった。だが、若しかしたら大出俊次率いる三人組が関係しているのではないかといううわさが校内を駆け巡る。そんな渦中の三人組が他校の生徒を恐喝して傷害を負わせたということで、強盗傷害の容疑で三人組は警察の取調べを受けることになった。 だが、手広く不動産業を営む会社社長である俊次の父親・大出勝は、すばやく顧問弁護士を立てて、被害者との示談を済ませて、事件への発展を阻止視野のである。というあたりまでが極々簡単に言ってしまうと、第1部までだ。

 

 

際には700余ページにも及ぶ内容が、もちろん、そう簡単に片付く話ではなく、落下死体事件は次々と派生的に問題を引き起こし、学校内の教師の勢力図から、PTAの問題、生徒たちの家庭の問題等々へとストーリーを展開させるのだ。
様々な憶測、うわさが飛び交う中、第Ⅱ部は事件から7ヵ月後の夏休みの前から始まる。
第1部で死体で発見された柏木卓也の同級生だった生徒たちは3年生となった。
夏休みを前にこの物語の主要人物の一人で、柏木卓也のクラスのクラス役員を努める藤野涼子は、講堂での生徒集会で、多くの疑問を投げかけた事件の真相を、自分たち自身で解決しようという提案をする。
彼女は警視庁捜査1課に所属する刑事の父親と、司法書士の母親を持ち、クラスでも頼られる存在だったが、そうした行動に反対する教師と衝突するのだった。衝突はは、教師の思いもかけぬ藤野への手出しで、逆に彼女たちの退転の決意を固めた。

昨日も書いたが、ここに登場する中学生たちをみていると、僕は無駄に歳をとった自分が恥ずかしくなるほどの思いを抱くとともに、引き換えに大人顔負けの考え方や、自分たちの主張を堂々と示す生徒たちに拍手を送りたい気持ちだ。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1385-1.ソロモンの偽証 第Ⅰ部 事件

2013年08月29日 | サスペンス
ソロモンの偽証 第Ⅰ部 事件
読 了 日 2013/08/08
著  者 宮部みゆき
出 版 社 新潮社
形  態 単行本
ページ数 741
発 行 日 2012/08/25
I S B N 978-4-10-375010-9

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

書が出たのはつい この前だという感じがしていたが、もう1年が過ぎようとしていることに、少なからず驚きを感じる。出版業界が不況だと言われていることが嘘のように、次々と新刊が出てくることに、僕などは目まぐるしいほどの思いに駆られる。
書店に山積みされた3巻組みの分厚い単行本は、圧倒的な存在感を示しており、いつかは読んでみたいという思いだけで、横目でにらみながら書店を後にするということが続いていた。古書店に安く出回るのはもう少し時間がかかるだろう、そんな思いもどこかに持ちながら。
図書館で借りられればそれが望ましいのだが、人気の図書は予約がいっぱいで、近隣の図書館を検索しても、貸し出し中ばかりだ。

ところがAmazonの案内を見ていたら、第Ⅰ部、第Ⅱ部は割りと安くなっていることがわかり、思い切って2回に分けて購入した。そして、その後念のため第Ⅲ部だけの出品を、ヤフオクで検索したら1件だけあって、競争相手がなく難なく落札することが出来た。ということで、時にはこうしたラッキーに恵まれることも・・・。
そんなこんなで思いのほか、早く読むことが出来た。

さて、著者の作品は時々このような分厚い作品がある(例えば「理由」とか、「模倣犯」や最近作では「小暮写眞館」など)が、これはその中でも別格ともいえる長さで、そのボリューム感に圧倒される。
歳をとって読書のスピードが一段と遅くなっているから、これは全巻読み終わるのに1週間以上はかかるのではないかという懸念を抱きながら読み始めた。ところが、著者の作品は今まで同様に流れるような文章は、平易で読みやすく延べ5日(6日から読み始めて11日で終わる)で3冊を読み終わった。
ここには、3日に分けて1冊ずつについて書いていく。といっても僕は本の解説を書くわけではないから、別に分けて書く必要もないのだが、サブタイトルに従っていくことにしよう。

 

 

この1冊目の第Ⅰ部「事件」は、都内の城東第三中学校を舞台として幕を開ける。
雪の朝、二年生の野田健一は遅刻しそうになり、正門からでは間に合わないと、通称遅刻門と呼ばれる通用門から入ろうと施錠された門をよじ登ったが、バランスを崩し植え込みに落下した。そして彼が落ちた直ぐ脇に、クラスメイトの柏木卓也の死体があるのをを発見したのだ。事件の始まりである。

この読書記録を始めた当時、宮部みゆき氏の本を初めて読み始めた頃から、キャラクター造詣のうまさに感じ入っていたが、特に子供の描写については、普段からよく観察していることをうかがわせるものがあった。
先に書いたように本書は、都内の城東第三中学校とその周辺を主な舞台として展開する物語だから、多くの中学生がそれぞれキャラクターの特色を発揮しながらストーリーを展開させる。
長く時に複雑さを見せるストーリーには、学校の生徒たちだけでなく当然のごとく教師や、生徒の保護者である両親なども登場するから、カバーの折り返しにはストーリーに見合った登場人物たちの相関図が示されている。

僕は読書の折、内容の複雑さの度合いに関わりなく、途中で混乱しないようにわかった時点で自分なりに登場人物の名前や職業といった事柄をノートにメモしながら読むことにしている。
若い頃はそんなことをしなくともすんなり頭に入っていたのだが、歳をとるにしたがって物覚えが悪くなっていき、メモが欠かせなくなる。

だから本書のように長いストーリーには、掲載された人物相関図は読者にとってありがたいものなのだ、が、本書に限って言えば、そんな心配はまったく無用で、著者の巧みなストーリー運びと、キャラクター造詣のうまさが僕のお粗末な脳にも、すんなりと登場人物たちの名前、位置関係を理解させるのだ。

 

 

はこのような学園ミステリー、あるいは青春ミステリー、つまり若くて大人になる一歩手前の年代が活躍するストーリーを読むと、自分の同年代の頃を思い浮かべて、今の子ははるかに大人だという思いに駆られるのだ。
ところで、どこの学校でも似たような生徒の一人や二人いると思われるような、典型的なガキ大将、というよりこの城東第三中学校では、手の付けられない暴れ者・大出俊次が率いる3人組の不良がいた。彼らのいじめや暴力により被害をこうむっているものは男女を問わず複数いたが、死体で発見された柏木卓也ともトラブルがあった。
はたして俊次とのトラブルが原因の死だったのか?

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1384.書店ガール

2013年08月26日 | サスペンス
書店ガール
読 了 日 2013/08/07
著  者 碧野圭
出 版 社 PHP研究所
形  態 文庫
ページ数 397
発 行 日 2012/03/29
I S B N 978-4-569-67815-3

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

はあまり他の人のブログを見ることはないが、たまにトラックバックのリンクを見て、本書に対する読者の評価が高いことが推測できる。タイトルから書店を舞台としたストーリーらしいが、どんな内容なのだろう?と前からうすうす興味を持ってはいた。が、いろいろと読みたい本が次々と現れるから、少しくらいの興味ではおいそれと手に入れることはかなわない。
といいながら、古書店に行っては時々読みもしない本を買ったりするのが、僕のいい加減なところなのだが・・・・。
それはともかく、このたびようやく読む気になって、Amazonの古書店から取り寄せた。カバー裏(裏表紙)の解説文から、単行本発行時のタイトルが「ブックストア・ウォーズ」だったことを知り、もしかしたら僕の好みから外れる内容か、と不安を抱きながら読み始める。
相性の悪い女性店員同士の諍いに、それがこの本のテーマかと多少気落ちしながらも、読み進むとあるところからにわかに様相が一変する。

 

 

ところで、こうした小説を読んでいるとき、男性と女性とでは多少異なる部分があるだろうが、そりの合わない同士の諍いなどが描かれることが多い。極端な例が警察小説でよく扱われている。フィクションだから誇張されているところもあるのだろうが、これほど多くの作品に描かれるところを見ると、現実もそんなものかと思ってしまうのだ。
僕はサラリーマン現役のころ、何度か転職を繰り返したが、幸か不幸かそのような人間関係の複雑さに遭遇したことはなかった。
若しかしたら一つや二つそうしたこともあったのかも知れないが、幸い僕はそうしたところに巻き込まれることがなかったのだろう。企業小説などで例えば社長派と専務派とにわかれての勢力闘争が行われる、といったストーリーを読んで、僕だったらどうしただろう?などと考えても、すでに現役を離れて年月を経ているからいまいち実感としてわからない。
上昇志向もそれほど強くなかった僕だから、そういう場に当たらなかったのかもしれない。

 

 

、そんな僕でも人並みに経営者の仲間入りをしたい?と思ったかどうか、仲間と起業したことがあった。当時まだ千葉県では珍しかった郊外型の書店チェーンを目指してのことだ。それまで勤務していた会社で培った、チェーンストアの経営についての知識と経験を活かそうと始めたことだった。
そうした経験があって、僕は書店に関するストーリーには人一倍関心があるはずなのだが、今となっては書店に関するものなら何でもいいといったわけではなく、やはり楽しく読めるものがいいのだ。
本書も心を癒すといったストーリーではないが、別の面白さを持った今風の言い方にすれば「お仕事小説」か。がんばる女性たちのアイデンティティーを賭けた戦いの物語だ。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 


1383.殺人鬼フジコの衝動

2013年08月23日 | サスペンス
殺人鬼フジコの衝動
読 了 日 2013/08/06
著  者 真梨幸子
出 版 社 徳間書店
形  態 単行本
ページ数 279
発 行 日 2008/12/31
I S B N 978-4-19-862647-1

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

庫化されてから急激に売り上げを伸ばしたらしい本書を、古書店で買おうかどうか迷っていた。この読書記録を始めたころ、僕はサイコサスペンスにはまっており、よく「目を覆うような惨劇」などと形容される場面には、あまり抵抗なく入っていける。
だが、僕が最も読みたくないのは、陰湿ないじめや、子供が犠牲になる話だ。現実の世界でもテレビや新聞に現れる子供の虐待などは、特に心を痛める話題だ。障害児(僕の息子はもう今年46歳を過ぎたから障碍児でなく障害者だが、僕にとってはいつまでも障碍児である)を子に持つ親の立場として、そうしたニュースにいてもたってもいられない気にさせられる。
先達て、たびたび僕が話題にするBSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」に、本書の著者・真梨幸子氏がゲストで登場した。番組が取り上げた「鸚鵡楼の惨劇」の著者としての出演だった。

 

 

画面の隅には「イヤミスの女王」というフリップがあって、MCの宮崎美子氏から、「イヤミスの女王などと呼ばれてどうですか?」と訊かれて、真梨氏は「うれしいです」と応えていた。彼女は人懐こい感じでMCのインタビューに楽しげな様子で、心地よい雰囲気をかもし出していた。
そこで、こんな著者がどんな内容のストーリーを書くのだろうと、ちょっぴり興味が沸いて、図書館で目に付いた単行本を借りてきた。
図書館に行くたびに、「そうだ、初めて読む作家の本は図書館を利用すべきだ」と思うのだが、そうは言っても目的の本がいつでも読みたいときに借りられるわけでもないから、その辺がネックになっている。
「イヤミス」とは文字通りちょっとイヤな呼び方だが、読んでイヤな気持ちにさせられるストーリーが、読者に好まれるとはどういうことなのだをうと、疑問を感じながら読み始めた。

 

 

み始めてすぐ、やはり図書館で借りたのが正解だった、という思いが湧き上がった。僕が読みたくないと思っていたような、幼児虐待が事細かに描かれるストーリーに、拒絶反応が起こったからだ。
これはフィクションなのだから、感情移入はほどほどにして、冷静に客観的に読もうと、自分に言い聞かせながらも、生理的な嫌悪感はいかんともしがたい。
事実をもとに女性作家が小説に書いたという、二重構造のストーリーとなっていて、主人公のフジコが母親から受けた虐待を自分の子供に繰り返さないように、と思いながらいつしか同じ行動をとるようになっていく過程も、これでもかといった具合にエスカレートする。
ある瞬間彼女の頭に浮かぶ、それまでをリセットするような感覚で殺人に到るところは、もうなんとも言えない。どうにか自分をなだめながら最後まで読んだとき、ざわめいていた心の幾分かを落ち着かせることが出来たが・・・・いやはや。

しかし、いくら僕がイヤだと思っていても、こういうストーリーを好んで読む人もいるのだから、一概に僕の感覚を押し付けようとは思わない。反対に僕がよかったと思う本も強いて人に勧めるといったことは出来るだけ書かないようにはしているが。本はそれぞれ自分の感性で選べばいいのだ。
同様のことは何度も書いてきたが、本は読んで見なければ好みかどうかなんてわからないから、その辺が悩ましいところなのだ。しかも、僕自身のつたない経験からも、時によって本から受ける感じは違ってくるので、イヤだと思った本も時を経て読み直してみるのも悪くない。まあ、僕などは残された時間がそれほど多くはないから、なかなか再読は難しいが・・・・。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 


1370.月下上海

2013年07月20日 | サスペンス
月下上海
読 了 日 2013/07/18
著  者 山口恵以子
出 版 社 文藝春秋
形  態 単行本
ページ数 270
発 行 日 2013/06/25
I S B N 978-4-16-362350-8

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

し前(6月下旬だったと思うが)の夕方、なんとなくテレビのスイッチを入れると、夕方の番組「ゆうどきネットワーク」(NHK総合テレビで、ウィークデイの17:10ごろからの番組、僕は普段テレビはNHKのニュース番組くらいしか見ないからちゃんねるはいつもNHKになっている)をやっており、メインキャスター山本アナの隣にゲストの女性が座って話をしている。
顔立ちや話しぶりから芸能人かと思ったら、どこかの食堂の賄婦をしている女性で、今度松本清張賞を射止めた人だと聞いて驚く。落ち着いてよく見れば、画面の右上のテロップに「松本清張賞を受賞した“食堂のおばちゃん”」とある。


NHKテレビ番組に出た山口恵以子氏

 

本人の話によれば、「食堂のおばちゃんだったからこそ、小説が書けた」という。おばちゃんと呼ぶのはちょっと気が惹けるほどの、知的でスマートな印象を与える容姿だ。
職場の倒産により派遣社員となるなど苦労があったらしく、最終的に社員食堂の賄婦になったことで、精神的にも安定した生活が送れるようになったことが、受賞作を生み出したのだと言うことらしい。
僕が知らなかっただけで、山口女史の受賞は各方面で話題となっているようだ。

 

 

こうして隠れていた才能がまた世に出て、多くの読者に読書の楽しさを与えてくれるのは、喜ばしいことだ。
僕は以前からミステリーの文学賞を読書の指針の一部としているが、松本清張賞には縁が薄く、今まで読んだのは横山秀夫氏の作品(陰の季節)くらいなので、今回の山口恵以子氏の受賞についてはテレビを見るまでまったく知らなかった。
それにしてもつい最近、同じく文藝春秋が主宰する芥川賞、直木賞の受賞作が発表されて、受賞者はともに女性だったことからも、文学の世界では女性の台頭が目立っているような気もする。
ここ数年の間に僕が読んだミステリーでも、新たに登場した女性作家が何人もいることからも、女性作家の目覚しい活動が面白いミステリーを次々と生み出してくれることを大いに期待している。
さて、山口女史の作品はどんなものなのだろうと、ネットで見ると大正から昭和初期に見られたような、ノスタルジックなファッションの女性が描かれた表紙とタイトルに、僕はいっぺんで惚れ込んでしまった。読まないうちからおかしな話だが、たまに僕はそういうことがあり、つまりこの本はきっと僕の読みたい好みの内容だ、という予感がしたのだ。
それでも、たまには見事にそれが外れるときもあるから、手放しで喜んでもいられないのだが・・・・。

 

 

をとって読むスピードがめっきり遅くなった僕だが、それでも本書は朝から夕方まで1日で読み終わった。最近では珍しい早さだ。読み始めてすぐにその心地よさに酔いながら、ページを繰っていたが、中盤に差し掛かるや急に雲行きが怪しくなる。いや主人公の女性に暗雲がかぶさってくるのだ。表紙のイラスト通り、この大正から昭和初期のロマンを感じさせる、ファッショナブルな女性が主人公だ。造船財閥・八島海運の令嬢八島多江子である。
昭和17年、船旅を終えて彼女が上海に降り立つところから、ストーリーは始まる。ファッション雑誌から抜け出たような容姿で颯爽とした彼女を迎えたのは、中日文化協会の理事長・織田だ。文藝春秋の菊池寛が保障した彼女の人柄だったが、洋画壇のマーナ・ロイと謳われた彼女の想像を超えた美しさとその人柄に、織田はすぐさま好感を抱くのだった。

(余分なことだが、古い映画ファンならマーナ・ロイはその頃人気絶頂だったハリウッドの映画女優であることを知っているだろう。また、刑事コロンボファンには、往年「黒のエチュード」に、楽団の理事長役で出演して、達者なところを見せていたのでおなじみだ。)

そう、彼女は洋画家だった。わけあって結婚生活を破綻させた彼女は、菊池寛に後押しを要請して、上海にある中日文化協会をはじめとする文化施設での講演や、絵画制作へと旅立ったのである。
織田は上海語が地元民より達者だと言う岸を、多江子の案内役としてつけてくれた。だが、後に彼は岸と言うのは偽名で、槙という名の憲兵であることがわかり・・・。

太平洋戦争真っ只中の上海で、八島多江子の波乱に富んだ半生を描くストーリー。逆境をも前向きに対処して、自己犠牲もいとわず突き進む彼女の姿は、感動的である。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 


1369.森のくまさん

2013年07月18日 | サスペンス
公開処刑人 森のくまさん
読 了 日 2013/07/15
著  者 堀内公太郎
出 版 社 宝島社
形  態 文庫
ページ数 317
発 行 日 2012/08/18
I S B N 978-4-8002-0076-1

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

月(6月)終わりから今月(7月)初めにかけて、少しの間ブログの更新を怠ってしまったから、遅れを取り戻そうと(そんなことをする必要はまったくないのだが、せめて3日に1冊くらいは読んでおこうと言う気があるから)読書ペースを速めたりしたが、そんなことが長続きするはずもなく、すぐに息切れを起こすのでないだろうか、と危惧しているのだが・・・・。
仮に読書のペースをいくらか速めることが出来たとしても、書くほうが追いつかないことは、百も承知しているのに・・・無理な運転はやめましょう。あれ、何の話をしてるんだっけ?
そうだ、そんなわけで、のんびりユッタリの読書をしようと思うのだが、すぐにまたもとのペースに戻って、3日に1冊を続けようなどと思ってしまうのだ。バカだね!

買ってきた本の中から、とりあえず読みやすそうな、理屈抜きで楽しめそうな本から読むことにする。
買ってきた本はすべてそういう本を選んできたつもりでも、たくさんの本を持つとどうしても後回しになる本出てくる。そして積ン読が増えることになる。わかっているのに買い込む悪癖ともいえる行動は、もう直らないのだろう。困ったものだ。

 

 

表紙のイラストも、タイトルも一見心休まるような内容を思わせる本書だが、どっこいタイトルにもうひとつ「公開処刑人」と、穏やかならざる文字がくっついている。これは私刑(リンチ)のストーリーか?
私刑といえばすぐに思い浮かぶのが、もう昔の話になるがクリント・イーストウッド御大の「ダーティ・ハリー」だ。大ヒットシリーズは7作も制作されたが、その2作目が確かそうだったのではなかったか。
警部だか警部補だったか?が親分となり若い白バイ隊員たちを使って、法で裁けない悪人?たちに制裁を加えていくと言うストーリーだった。
法律が罪人に対して誰もが納得する刑罰を与えるとは限らないから、特に被害者側から見れば、刑が軽すぎると言う思いを持つこともよくある話だ。現実の事件の成り行きを見ていても、罪の重さと懲罰とが釣り合わないと感じることは往々にしてある。

 

 

からと言ってリンチをすると言うことになると、それはまったく別の問題だ。つまり秩序が保たれなくなり、大変なことになるのだが、映画やドラマでは時として、日ごろの鬱憤を晴らせるようなリンチのストーリーがもてはやされることもある。今は亡き藤田まこと氏の主演でロングランを記録した必殺シリーズなどがその良い例だ。
そうした点では本書も前半の成り行きでは、ある程度のカタルシスを覚えるのだが、それが中盤以降になるに従い、おかしな方向にそれていく。

本書は宝島社が主宰する「このミステリーがすごい!」大賞への応募作で、選には漏れたがそのまま埋もれさすには惜しいと言う作品を、受賞にいたらなかった要因を修正したり、あるいは筆を加えることを、応募者にさせて世に出そうと言う試みが行われる。
宝島社はそれを「このミス大賞」の隠し玉と称して出版する。そうした作品がベストセラーに名を連ねることもあって、「このミス大賞」の隠し玉は侮れない存在となっているようだ。
と言ったことで、本書の結末も一ひねり効かせた面白い物語となっている。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1365.色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

2013年07月10日 | サスペンス

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
読 了 日 2013/107/02
著  者 村上春樹
出 版 社 文藝春秋
形  態 単行本
ページ数 370
発 行 日 2013/04/15
I S B N 978-4-16-382110-8

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

分が乗らなくて、ブログの更新に間が空いた。
6月29日~30日にかけておよそ1か月ぶりに、いすみ市のお袋を訪ねた。妹たち二人が交代で行っていたので、しばらく僕の出番がなかった。6月26日で満96歳を迎えた母は、それほど急激にというわけでもないが、月日とともに記憶力の衰えが進んでいる。今回は29日の晩のこと、午後7時過ぎに夕食後テレビを見ていた時、「ご飯はどうするの?」と言う。食べたばかりの食事を忘れてしまう、よく聞く認知症の症状かと、ドキッとしたが、「今カレーを食べたじゃないの」と言うと、「あ、そうだったわね」というのでほっと一安心したが、その後テレビを見ながら話すことは、全くおかしなところはなく至ってまともなので、単なる記憶の衰えかと思うが、肉体とともに精神的にも確実に衰えていくことを感じて、寂しくなる。
いずれ症状が進めば、僕だけでもこちらで一緒に暮らさなければならない時期が来るのだろう。

といったところで、そんな状況にもかかわらず、いすみ市を訪れた際のいつものごとく、僕は合間を見て古書店へ足を運ぶのだ。単行本の棚を見たら、本書が並んでおり値段を見ると定価の4割弱だ。つい先だっての本書の出た際のテレビで見たフィーバーぶりを思い出した。その時には全く読んでみようという気にもならなかったのだが、出て間もない本がこんなに安く買えるのなら、読んでみようかと(大体僕の読む本なんてそんなことで決まってしまうのだ)、もう一つ文庫の久坂部羊氏の「神の手」が上下巻バンドルされていたので一緒に買った。この店では千円以上になると1割引きになるのだ。1,179円也という比較的安い価格で、2冊(一つは上下巻だから正確には3冊か)を手に入れることができた。

 

 

著者の作品については、従来まったく興味もなかったから、どんな作品があるのかも知らなかった。ところが2年前の「1Q84」の世間の騒ぎっぷりで、いったいどんな内容なのかと興味を引かれて、単行本3冊もの長い物語を読んだ。
僕の読む本は、中にはミステリー以外のものもあるが、ブログのタイトルにも謳っているように、基本的にはミステリーなので、いわゆるミステリー作家と称される以外の作家には余り目が向かない。それでも文学賞、特に芥川賞、直木賞の選考時期には候補作などが自然と目や耳に入ってくる。
また、折々に話題となっている作家や作品も、新聞やテレビから否応なしに知らされることになって、このように読んでみようかと思わされるという次第だ。著者が国内よりも東欧諸国をはじめとした海外で、高く評価されているのはなぜだろうと、その作品を読んでもいまいち理解できないでいる。
それはただ単に理解力が足りないだけなのかもしれないが、僕のように単純にエンタテインメントとしての読書を続けているものにしては、小説は面白く読めることが第一条件で、それに感動できればなおよろしいというくらいなものだ。まあ、そんな僕が文学賞の受賞作を読書の指針に掲げるなどは、矛盾しているかもしれないが・・・・。

 

 

な理屈っぽい話になった。
タイトルの「色彩を持たない・・・」というのは、二重の意味を持たせた言葉なのだが、中ごろまで読み進むうちにそれはわかってくる。二重の意味を持たせた言葉などという言い方をすると、難しい意味を連想させるかもしれないが、そんなことはなくごく単純な意味だ。
ミステリーやサスペンス小説のように、事件が起こってその謎を解くといった話ではないものの、謎を抱えながらもその謎から逃げていた主人公・30歳代半ばになって改めてその謎に正面から向き合って、真相の解明に動き出すのは、付き合っている女性の助言による後押しだった。

名古屋での高校時代に気の合った男女五人のグループの一員だった多崎つくるが、あるとき突然仲間からの絶縁を言い渡された。そんなことをされる要因はまったく身に覚えのないことだったが、多崎は黙って受け入れて、それ以来30歳代半ばにいたるまで、彼らとは絶交渉を続けていた。
当初は、絶望感から死ぬことばかり考えていたが、小さなころから夢見ていた駅舎を作るという仕事に就くために、鉄道建設会社に入り36歳のときに、知り合った木元沙羅という2歳年上の彼女と付き合い始めた。
そして、先述のごとく沙羅の助言に従う形で、名古屋に向かうのだが・・・・。

前に読んだ「1Q84」とはまったく傾向は違って、現実社会の出来事がごく普通に描かれた物語に、なぜか心を惹かれて次々とページをめくらされる。余韻を持たせて考えさせる最後がいい?

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1362.一九三四年冬―乱歩

2013年06月19日 | サスペンス
一九三四年、乱歩
読 了 日 2013/06/19
著  者 久世光彦
出 版 社 新潮社
形  態 文庫
ページ数 336
発 行 日 1997/02/01
I S B N 4-10-145621-6

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

近と言ってもここ10年?いやもっとかな、ミステリー以外の映画やドラマは見なくなっている。だから、その辺の事情に疎くなったが、昔はドラマなどはミステリーに限らず全般的に好みのものを探してはよく見たものだ。特に脚本家・向田邦子氏の作品はカミさんが好きだったこともあって、付き合ってよく見ていた。
中で印象深く記憶に残っているのに、NHKで放送された「阿修羅のごとく」がある。確かその続編のような形で放送されたのが「あ、うん」だったか?その辺は記憶があやふやだ。もうはるか昔の話だが、台湾での飛行機事故のニュースで、犠牲者の中に「ムコウダクニコ」という名前を聞いた時の驚きが、今も記憶の底に残っている。同名の別人かとも思ったが、彼女であることがわかり、「ああ・・・」と僕は声を出した。何と言えばいいのか、悲しいとかという気持ちではなく、命のはかなさと言えばいいのか、もう彼女の新しい作品は見られないのか、いや、そうした思いはもっと後になってからだったか。
台湾の飛行機事故は1981年だったから、もう32年にもなるのか。思い起こすと今でも切ないような、寂しいような、ちょっと言葉では言い表せない気分が蘇るようだ。

 

 

 

本書を古書店で見つけて買ってきてからかれこれひと月が過ぎようとしている。読みたくて買うのに、手に入れるといつまでも読まずにおくのは、いつもの僕の悪い癖だ。著者の名前を見て、彼とは因縁の深い向田邦子氏を想い出して、長々と書いてしまった。
TBSドラマなどで著者の名前は前から知っていたが、僕は長いこと彼の名前が“みつひこ”だとばかり思っていたら、娘から“てるひこ”だよと訂正されて、光彦と書いて“てるひこ”と読ませることを知った。
彼らの関係を僕はよく知らないくせに、久世氏の名前ですぐに向田氏を思い浮かべるのは、それだけ久世氏が「寺内貫太郎一家」をはじめ多くの向田作品を手掛けてきたからだろう。そんな久世氏が、江戸川乱歩を主人公とした作品で、山本周五郎賞を受賞したことを知った時には、ぜひ読んでみたいと思ったのだ。
が、僕の気まぐれと物忘れは、それっきり今回古書店の棚で本書を見つけるまで、長いこと忘れていた。前回読んだ本が、浅見光彦というルポライターを主人公としたものだったので、同じ名前の久世氏を想い出した、などというわけではない。
「1934年―乱歩」などというタイトルは、古い時代の探偵小説を思わせるようで、僕の読書欲を喚起したのだ、というのは少し大げさか。

 

 

1934年と言うと、僕が生まれる5年も前の時代だ。第2次大戦の始まる前でもあって、まだその頃は社会情勢も落ち着いており、平和な時代だったことだろうと想像する。
僕の中では、明治の終わりから、短かった大正時代、そして昭和の初期といった時代に、何となく憧れのようなものがある。うん、そういえば大正ロマンなどと言われることもあって、最近そうした古き良き時代を思わせるような、ポスターを集めた展覧会がデパートで開かれているとか、テレビのニュースでやっていたが、どこのデパートだったか近くなら行ってみたいと思いながら、忘れてしまった。

 

 

ころで、江戸川乱歩氏は我が国の探偵小説の先駆者というばかりでなく、かのエラリイ・クイーン氏の二人も認めているように、ミステリー書誌研究者としても、収集家としてもその名は高い。
さらには本書で描かれているように、様々な奇癖の持ち主ということでも、伝説的に語られ続けている。僕はその真偽のほどは知らないが、久世氏は40代だった乱歩のある時期の数日間、ストーカーでもしていたかのように、彼の動向を詳細に描いているのだ。
そして驚くべきは、作中の乱歩に中編小説を書かせているのだ。そうした構成と、見事なまでに乱歩を蘇らせた作品が賞を取らせたのだろう。昭和初期の江戸川氏をはじめとした、探偵作家たちが実名で登場する本書は、僕のその時代への憧れを喚起するのだ。
そうした気持ちは、なんだかよくは解らないが、歳をとったせいばかりとも言えないようだ。なぜかというと、そんな傾向はもっとずっと若いころから持ち合わせているからだ。高校生になって、次第に探偵小説へ傾倒していった頃、探偵雑誌「宝石」の古い号を、神田の古書店街で見繕って買い込んでは、もっと早い時代に生まれたかったいう気持ちを抱いて、なおも古い号へとさかのぼっていったことを思い出す。
古い時代の「宝石」では、時折海外の作家特集として、1冊まるまるE・S・ガードナーの作品を掲載、などということをやっており、そうした号はもちろん単行本などを買うよりもずっと安上がりだったから、読者にも好評だったのだろう。僕とて同様に務めてそうした、例えばW・アイリッシュ特集号などを探しては買い求めていた。
今でもそうした古い雑誌を探せばあるのだろうか?こういう本を読んで、又僕の気まぐれは、昔の本をネットで探すのかな。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村