杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

悲恋筏流し

2010年01月02日 | 日記
暮れも押し詰まった31日夕方・・・
K弁護士宅へ車が到着したその時、
携帯電話の呼び出し音が鳴った。

なつかしい人の声だった !?
6~7年ぶりに聞くその人の声は、
若々しく張りの或る声で健在であることを
知らせてくれた。

私が、ずっと心の中で気にかけていた人である。
現在、同居人と一緒に生活している旨を伝えてきた。
都会の荒波に、愚痴を言わずじっと耐えて、
子供の教育・養育をやり遂げた人である。

心のやさしい、物事を善意に見る人であるだけに、
世の中の、薄情は耐え難かったと思うが、
暗さを表に出さないで、前向きにがんばった人である。

母の死、子供の結婚と、途絶えた時間には ?
いろいろ、有ったようであるが、
とにかく、元気で生きていたと判っただけで、
私は、何も望むものはないと思った。

その間の私には、死を見つめた闘病生活も有って、
生きて再び、声を聞くこと叶わぬと諦めていたのである。

正月間際、遅まきながら最高のクリスマスプレゼントであった。
「よかったな!」「よかったネ!」ふたりして出た言葉であった。

お母さんが6年前、その人の家で、その人の前で急に亡くなったと
自責の念に捉われているようだったが、
「自分の母を自分の前で看取ると言うことは親孝行なのですよ !」
私は、そのように励ました。

お互い生きる道は、それぞれ違うけど、
お互いの存在が、生きる糧、生きる道標になるのなら、
これほどの友情はない。

母を思う気持ちは、私には痛いほど判る ?
ましてや、その人のお母さんとは私がまだ20才過ぎの頃に
出合って、優しい言葉をかけてもらった記憶が有るのである。

苦労した人だからと涙声で話してくれたが、
それは、私の母も同じである。
子供のために寝食を忘れてがんばった・・・
昔の女性だった。

その一生は、苦労続きの人生で在ったかもしれないが、
人間として、ひとりの女性として、母親として、
最高の女性であったと私は誇りに思っている。
その人にも、同じ考えであって欲しいと思った。

日が明けて、新しいカレンダ-に替わって・・・
平成22年が始まった。
(正月元旦、どうしていますか?)
(どうお過ごしですか?)
その人に、更なる幸せが続きますように祈った。

時の流れ、人と人との触れ合い、
人生は、何んとドラマチックなものか !?

あの頃、流行った歌が有った・・・
春日八郎の「別れの一本杉」 !?

「私が21歳人生最大の悲恋に泣いた時 !?」

「筏流し」(高橋元太郎 唄 テレビの水戸黄門うっかり八兵衛役)
という歌がテレビの歌番組に流れて私の心を泣かせた。
今では、なかなか聞けないと思いますが一度聴いて見て下さい。

(私が、今まで誰にも言わなかった心の歌です。)

・・・・・・・・・・

私は、遠い追憶を呼び覚ましていた・・・。。。

                    合掌





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 元旦に想う | トップ | 正月によせて »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事