杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

猛暑に想う

2010年08月21日 | 日記
今年の夏は、世相を反映するように、じめじめとした猛暑に
苦しめられた。

やりきれない事件が多発して、あどけない命が失われた。
自分の親に虐待されて苦しみながら命を絶った幼児を思うと、
胸が張り裂かれるような悲しみに打ちひしがれる。

我々が子供の頃、苛めにあっても我が家に帰って親の顔を見
ると、辛さが半減して、その笑顔に救われた。
幼子にとって、親ほど救いの神はないのである。

その、この世で唯一の存在である親に虐待される子供の心は、
如何ばかりの悲しみであろうか ?
その身にならないと判らないが ? 考えるだけで、その不憫さ
に胸が潰される。

私たちの小さな頃は、太平洋戦争が敗戦で終わったばかりの頃、
食べ物もない、腹をすかせて生きることに精一杯の時代である。
親は子供に構ってやれなくて、生きる糧を得るために必死になって
働いた。

だから、田舎においては隣同士が子供を支えあった・・・!
帰りの遅い親がいれば、隣の家で遊んで時間を潰したものである。
そうして、隣同士が助け合った。
苦しい時代は、互助精神が豊かに在った時代なのである。

戦後、徐々に身も心も豊かになって学歴社会の到来を迎えた、
競争社会の出現である、そこには助け合い労わりあいの精神が
廃れて、人を押しのけて学歴優位に立った者が人の上に立つと云う
いびつな社会が出現することになる。
だんだんと庇い愛の精神が失われていくことに為った。

戦前は悪、古いものを否定する風潮の到来である。
そこに、アメリカの日本人の精神荒廃を秘めた占領政策の思惑と
絡まって、日本人の道徳観念の堕落が始まるのである。
それと見逃して為らないのは、ある教育集団のいびつな教育方針
である、どこの国と云えど、国旗掲揚に反対し国歌斉唱を拒む国が
あるか、我が民族の精神を、その拠り所を奪ふ教育者があるか ?

自民党政権の弱腰が、今日の曖昧模糊とした政権に繋がったのである。
心ある人々が、警鐘を鳴らし続けている・・・!?
国民が、もうこの辺りで目を覚まさないと・・・
我が民族の未来はなくなる、他民族に圧迫される運命を辿ることに
なる。

幼児虐待の悲劇が国家規模で直面することになるのである。

現在の国民は、自分の生活が第一で、国家の行く末に思いをいたす
愛国心が欠落している。

国家の安定と安全が在ってこそ、個々の仕合わせが成り立つ原理を
忘れている。

それで、良いのですか、隣国の笑顔に隠された冷徹な国家の意志に
見て見ぬ振りをしていませんか・・・?

故郷の山河が他国に蹂躙される事態は避けなければならない。
今一度、国のために、愛すべき家族を守るために南海の海に散った
英霊の想いを汲み取らなければならない。

今、起こり有る事件を、他人の事とせず、我が身の悲劇と認識して
何を成すべきか、国民挙って反省しなければならない。

私は、試練に打ちひしがれそうに為った時、わが子らの泣き顔を想い、
親なし子等の寂しさを、我が身に置いて耐えて来た。

“ 子らのために必死に生きる親の後姿を、黙って見つめる人がいる。
我が身を信じ、我が身を見本とする、か弱き子等である。“

昨日の昼に、明日を託す希望の星 K先生とご一緒した・・・
学歴優秀と挫折をも経験された空に輝く星である !?

他の者は、変わり者と錯覚するやも知れないが ?
私には、その可能性を秘めた希望の星と見えるのである。
発展途上の若い人にこそ、我々年長者は手を指し述べて
うしろから、そっと肩を押してスタ-トの力を添えてあげ
なければならない。

日本の未来は、このような若者の肩に掛かっているのである。
国を親を先輩を敬う人が、ひとりでも多く増える国でありたい。

足元だけでなく、たまには外の世界に目を向けて下さい・・・。。。

                               合掌



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