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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

40歳前に想う事

2009年10月23日 09時37分45秒 | 過去ログ
昨日は学部生のデータ処理の指導をしつつ,
大学院修了生の前井さんの論文を校閲する.

午前中の授業は教育学部の「コミュニケーション心理学」
本日よりスタート.
台風により少々スタートが遅れたが,
教育実習にまだ入っている学生もいるので
遅れることは逆によい.
情報が先に進まないので.

コミュニケーションは進化の過程でどのような状況で生まれたのかということを話した.
情報伝達という視点だけでなく,
なぜ情報を伝達しなければならなかったのか?
という視点から,
自然,人類,意図・意思,種の保存,感情から話を展開した.
私たちヒトにはコミュニケーションが
いまあるこのような形で当たり前に存在しているのではなく,
環境によってつくられてきたものであるということを話した.
哺乳類として遺伝的に埋め込まれた種の保存というものを
環境に相互作用することでどのように応用してきたのか?
そういうスペクタルなことを話したが,
風邪症状から,私の身体が弾まないのも事実だった.

昼休みにゼミ生のデータを確認し,
PMは人間発達学の授業.
この日は胎児の発達について触れた.
基本的なシナプス結合やミエリン化なども加えて.
また乳児の可塑性においてもヒューベルらの実験を踏まえて話した.
話が飛びすぎ(意図的に注意・意識・感覚モダリティを操作しているのだが),
それにより,みんなは寝ずによくきいてくれるが,
本質的に大事なところの展開が不十分であり,
何を記憶しないといけないかがぶれてしまう.
私の講義のもっともの欠点である.

授業を終え,前井さんの論文を再度確認し,
そのまま教授会と大学院研究科委員会へ.
大学院研究科委員会では博士論文の審査基準がやっと決まった.
理系・文系統合型であるが,
原則,理系・医学系を踏襲した内容である.
博士課程の院生は襟を正して,進めてもらいたい.
国際的基準となる研究へ.
修士課程は臨床家の視点はフレキシブルでよいと思うが,
博士課程は臨床家の曖昧さは捨て研究者の視点が大切でもある.
それをすることで,臨床のフレキシブルさの大切さを知ることも
機能環の視点では重要だ.

研究を知らないやつが,それは臨床的でないという批判をするのは,
いささか,情動優先なものである.


18時半に会議を終え,
その後,院生の若田君,清水君,高木君が来室し,
高木君の研究計画を吟味し,
学部生のデータ処理をいろいろ試み,
そして,帰宅した.


執筆を3つほどしないといけないが・・・
上手く時間を見つけないといけない.
40歳前に体が動かないことを思うが,
気の持ちようで変わる.
こころは重要である.


松田優作生誕60周年
私淑してきた人物の1人でもあり、
私がPTジャーナルで28歳のときに取材を受けたとき、
40歳までには走り続けるということを話した。
その理由の一つは松田優作の人生でもある。

自分を演出する面白さを彼から知った。


彼の遺作「ブラックレイン」を映画館で観れた世代であることにうれしさを思う。



sfn奮闘記

2009年10月22日 15時45分13秒 | 過去ログ
sfn奮闘記

M2の河村(こうむら)君より頼もしいメールが.


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森岡先生

M2のこうむらです。

ただいま、シカゴにて発表が終わりました。

僕は都合、4名の方とやりとりしましたが、
言いたいことがまったく言えず
かなり歯痒い感じとなってしまいました。

しかし経験としては非常に得難いものであり、
これを糧に前に進んでいこうと思います。

また帰国しましたら改めて報告させていただきます。


グレーの標準偏差

2009年10月20日 17時51分35秒 | 過去ログ
日曜日は奈良から滋賀まで小旅行.
関西圏内であるが,2時間ほどかかる近江へ.

能登川駅で降り,畿央の教え子の宇野さんに迎えにきていただき,
近江温泉病院へ.

滋賀医療専門学校の隣であることに驚く.
よく高速道路からみていた.
のどかな日本の原風景のような場所だ.

講義前に挨拶をして,
脳科学からみたリハビリテーションの展開を話す.
高知医療時代の教え子でもある喜多さんにも久しぶりに会う.
私の最初の卒業生だ.

できる限り,病院スタッフなので,
学会・研修会講演で進めるようには話さず,
枝を豊富にしながら,臨床に置き換えながら話した.
それゆえ,脳科学のいろんな視点に脱線したことはいなめないが,
人を知るための脳科学であるために,
ただ単に機能回復や理学療法,作業療法などのための脳科学でないことを知ってもらいたかった.

脳を学ぶ前に,まずは自分を知ること,
自分の興味を知ること,自分の立ち位置を知ること,
そんなことが実は大事なのである.

脳を知ることは,自分を知ること.
自分を分析しようと生涯こころみ,反省する.
そんなことも大事である.

井の中の蛙にならないためにも.

うちの大学院生たちもよくやっているが,
職場に帰れば,いろんな批判を浴びているようだ.
「大学院に行って何になるんだ?」なんかや
「大学院で偉くなったと思うなよ!」など.
そういう意見に対して,情動反応を起こすのではなく,
そういう意見(出力)もどっかの情報処理によって生まれたものであることを理解し,
なんらかの擦れ違いがあるからこそ,と思わなければならない.
批判,否定するものだけが必ずしも悪いわけでない.

どこかの関係性(間主観性)でそういう情動が出力されたのであることから,
自分の振り返らないともいけない.

ただ,PTはそういう情動反応を示すものが特に多い.
体育会系システムが歪をつくってきたのだろう.

肩書きがつく立派な人たちも幼稚な部分も少なからずとも存在する.
若くして,役職がつくと,知らないうちに自分の知らない世界のものを否定している.
それは意図的でないと思うから,悪気はないと思うが,
無意識であるからこそ,逆に根深い.

人間関係とは実に面白い.
高度な霊長類しかない感情がわきたつから.
尊厳,嫉妬などの人間関係のもつ感情は高次脳機能である.

講義は16時半まで行い,
17時15分ぐらいの電車に飛び乗り,
20時前に奈良に帰りついた.

風邪は治らず,
鼻声のフィードバックは聴覚のみならず,体性感覚でもそのふがいなさを感じ取ることができる.

そのまま倒れるように眠り,
月曜日は大学院の授業を本気で行い,
院生の研究計画を聞き,いつもの日々を過ごした.
若田君の道具操作のイメージに関する研究,
そして,末吉さんの注意と脊髄・脳の興奮性の関係に関する研究を聞き,
大学を後にした.

本日はAM,一番近い学校である白鳳女子短期大学の特別講義を行った.
PT学科に対してであるが,
40名すべて女性であり,まあまあ新鮮であった.
脳をことを平易に解説し,
どのように臨床を組み立てるかについて話した.
目が輝いていた者も多く,まずまずの講義だったと思う.
畿央の学生にはしない内容を話した.

外面はよい先生である.

内ではなかなか自分の専門をしゃべれない.
そういう科目がないために・・・「もったいない?」

どこの学校であれ,いずれPT・OT・STになるんだから,
自分の学校だけを特別扱いできない.
未来のセラピストに未来を託す義務が自分にはある.
「必ず時代を良くしてもらいたいという」

13時過ぎに白鳳の講師で,私の研究室の博士課程の藤田君に大学まで送ってもらい,
「理学療法探求」原稿を仕上げ,郵送し,
そして院生の事務的な仕事を行い,
今から,博士論文審査基準に関する会議である.
結構,この会議は今まで難航している.
文系と理系が入り乱れる「健康科学」ではなかなか基準を見出せない.

原型は決めないといけないが,フレキシブルさは残す.
グレーとはいわれるが,それが人間同士であるのかもしれない.

石井さんのブログと吉良さんのブログに登場していることを複数のPTから聞いた。
恥ずかしいお言葉ありがとうございます。


パーマン1号・2号

2009年10月18日 09時02分57秒 | 過去ログ
木曜日は近鉄、新幹線、京急を乗継ぎ、
神奈川県立保健福祉大学へ。
一年ぶりである。

院生の上原君にお目にかかり、
そのまま菅原研究室へ。
菅原先生は私の学生時代の2つ上の先輩である。
いつも背中を見てきた一人でもある。

部屋に行って研究の話などをして、
うちの院生の研究の打ち合わせを兼ねて、実験室を拝見する。
菅原先生の代名詞でもあるTMSが研究室の真ん中に配置され、
Neuropackにテレメータシステム、そして、自作のトリガー装置が眼をひく。
工学的知識を持つ共同研究者がいると心強い。

東先生とも翌日のデモなどに関して軽い打ち合わせをして、
実験室を後にした。

その後、川村先生、内田先生、石井先生に挨拶をして、
長澤先生の研究室にレスポールが眼をひく。

そのあと、長澤先生、菅原先生、東先生、院生の上原君をまじえ、うちの院生を待ちながら懇親会をする。

院生の谷口君、末吉さんは、その前に産業総合研究所の村田弓先生の実験の視察をしている。
村田先生はサルの一次運動野に関する研究をしており、セラピストでは数少ない本当の基礎に精通している方である。
まだ20代のようだと思う。

谷口君、末吉さんが遅れてきて、
今後の研究に関してご助言をいただく。
いろんな意見交換ができ、さらには、研究者としての姿を菅原、東両先生からみたのではないだろうか。
畿央にはいない基礎を忠実に研究しようとしている人である。
私も襟が正されると同時に、
菅原さんからは、「おまえは基礎と臨床の間にいる人間なんだから、その接着、融合に心底仕事をしろ」と意見をいただいた。
「実験は実験屋に任せ、おまえは、その結果を解釈しつづけて、広く臨床家のために表現しろ」と背中を押された。



良い先輩に巡り合えた。

0時ごろに終え、ホテルに帰り着き、
その後目覚ましをセットし、
5時に起き、6時の横須賀初の電車に乗り、
7時の新幹線にのった。
京都を経由して、五位堂へ。
11時に駅で吉良先生をお迎えする。
PTでは数少ない代表取締役社長の一人である。

吉良先生は、私の近森リハ時代の同期生であり、
私の提唱する「ロマンティック・リハビリテーション」を実行している
訪問リハビリテーションのスペシャリストでもある。
元来、自分も訪問にこそ、リハビリテーションの本質があるとおもってきた。
概して、狭い範囲の理学療法に固執する人たちは、
家に行ったときに、何もできない。
家で「足を何百回曲げ伸ばししても」その人の人生・生活を操作することはできない。

彼と会い、「現場に戻ってこないか?」と温かいことばをもらった。
まだ現場の感覚が自分には残っているから、そのようなことばが出たのだと思う。

「自分の仮説を証明するためには、現場に戻るしかない」という答えをかえすとともに、
まだその仮説が70%ぐらいだ。
残りの30%の仕事を研究者としなければならないとも答えた。
それが見え始めてきたが、能力と時間がまだ伴っていない。
空白の時間をつくることも必要なのかもしれない。

よき友に巡り合えた。

吉良さんの講義準備を前岡先生に依頼し、
その後、飛び乗るように12時代の近鉄に乗り、
岡山へ。

岡山の朝日リハへ。
前期は授業を今年は断り、院生の信迫君にお願いしたが、
後期はある領域をお引き受けした。

14時過ぎから昼間の授業を行い、
18時から夜間の授業を行った。

教育とは「知・情・意」を教え育むことの意味について解説した。

第1印象はと聞くと「格好いい」と帰ってきた。
自分ではみすぼらしいと思いつつ、まだいけるのかな?と思った。
言ったのが男性ではあるが。

そのあと、教科書に選択している佐伯先生の本が難解であるとの意見をいただいた。
その理由として、「脳を学ぶ」というわかりやすく書かれた著者がなぜこのような難解な本を教科書に選定しているのか?という問いであった。

なんだか、それを聞いてうれしく思った。
著者、その人の思考を知ろうとするその欲求は大切だ。

横須賀~奈良~岡山での一日の仕事を終え、


夜、風邪症状と格闘しながら、なんとか奈良に帰る。
熱はないが、風邪症状がひかず・・インフルエンザではないと判明したが、

喉、鼻、咳、寒気はとまらず、布団で帰還後は過ごす。

今日朝起きて、風邪症状はましになっていない。
心のなかは相当つらいが、
それでも自分のこころに鞭をいれ、
なんとか今日のスライドを構成した。

今から滋賀県で講演です。

「あなたには代役がいないんだから?」という堂々人生の声が染みる。

若いときは、自分の代役はいっぱいいたが、
年を重ねるにつれ、代役はへり、
そして、今は自分自身しかないと思ってきた。
これは自分が自分を評価している証でもあるが、
おごりにもなる危険性があるので、
そういう考え方を極力もたないようにしようと思う。

自分の代役なんていくらでもいる。
それは自分のおごりでしかないという志向性をもつことで、
自分に喝を入れ、新しい仕事を創造できるのだろう。


しかし、パーマン2号がほしいものだ(古いか・・・)。
こころ、からだから、「あ~~」とか「うあああ~」とか発せられている。

身体の声はアナログである。


無題という日

2009年10月15日 10時10分50秒 | 過去ログ
昨日は遅れている運動学習の原稿に手をつけはじめ、
雑誌「理学療法」の巻頭カラー原稿の修正をしつつ、
南江堂の初校原稿に赤を入れた。
さらに、院生から送られてきている英語の抄録を複数直した。

授業の構成を考えつつ、
16時より3年生のゼミを行う。

吉川さんより、運動学習と言語に関連する論文が取り上げられ、
4~5解明すべき問題を議論した。

また、楠元さんより、運動イメージと受傷予防に関する論文が取り上げられ、
相当の批判的吟味を加えた。
臨床研究だけでは、「科学的」エビデンスは得られない。
解明すべき問題をいくつもピックアップしてきた。
近々、この論文の著者を招き、議論を深めたい。

ゼミを終え、院生の大槻君と上原君が来て、
上原君は事象関連電位の操作に向かい、
大槻君の姿勢制御の研究のデザインの骨格を二人で決めた。

その後、院生の谷口君、湯川君、末吉さんが来て。
今週締切のWFNR学会のレジストレーションを行った。




自分は講演や卒業式とブッキングしていけない。
うちの研究室からは登録できれば最大で6演題エントリーする予定である。

学会マニアにならず、論文マニアに成長してもらいたい。

今から、横須賀に向かいます。


ライブ疲れが今になってきた。
だが、遠征は続く。


手の運動制御と運動学習

2009年10月14日 12時21分15秒 | 過去ログ
福岡ハンドセラピィ研究会主催  手の運動制御と運動学習
    講師:森岡 周先生(畿央大学 健康科学部 理学療法学科 教授)

    日程:2009年11月29日(日)
    時間:10:00~15:00(昼食1時間)
    場所:福岡国際医療福祉学院(福岡市早良区百道浜3-6-40)
    参加費:3000円 ※当日にお払い下さい

    応募方法:①氏名(ふりがな)、②施設名、③職種を記載の上、
         下記のメールアドレスにお申し込み下さい。
    ※1週間以内に参加受付の返信がない場合にはお手数ですがご連絡下さい。
    応募先:fukuoka_hand@yahoo.co.jp


人生を歩むのではなく,人生をつくるという視点

2009年10月13日 23時54分14秒 | 過去ログ
3連休の中日に朝6時に自宅を出て高知に向かう.
高知では奈良県認知運動療法勉強会の合宿が行われるために,
翌日のセミナーの打ち合わせをしたのち,
そのメンバー20名で「ひろめ市場」「日曜市」に向かう.
たまには息抜きも大事である.
バンドメンバー以外は,「高知城」「龍河洞」と観光名所をめぐったとのこと.

バンドのメンバーとは「焼きさば寿司」を頬張り,
スタジオに入る.
リハーサル前に曲の終わり方や,
曲と曲の合間をどうするかを演奏しながら決める.

16時にはx-pt入りする.
楽屋では他のバンドのメンバーたちと10カ月ぶりに再会する.

16時過ぎより逆リハを行い,
他のバンドの演奏を耳にする.
この重低音が体に響く.
野外などでは感じられない,ライブハウスのPAから出る音がやはりいい.
野外も開放感があり,いいが,
やはり閉鎖されたこの暗い怪しい空間が演奏を音に調和する.

自分は中学校1年の時,先輩のアマライブのチケットを無理やり買わされ,
高知の大丸付近の2階にあった「アメリカ広場」というライブハウスが最初であり,
その時の音の迫力は今でも忘れない.
その時から自分のアマ・バンド人生は始まった.

ライブの方は100名程度に来てもらい感謝します.

オープニングを飾った「Brain of Rock」のビデオがライブに花を添える.
編集したであろう,片岡にも感謝.
当日,会えなくて残念.
片岡抜きにライブは成立するか心配だった.

①バンド目の学生バンドもよかった.
初々しいというか,なんというか,若さを感じた.
円熟だけがすべてではないし,うまさ,盛り上げ方だけがすべてでもない.
そういう一生懸命さがよい.
木村カエラのコピーもよかった.

②バンド目は我が「The Cortex」
新生メンバーで若干不安もあったが,
メンバー一様に,時を忘れ,
ステージの上にたっていた記憶がないという.
それがライブだし,集中だし,なんというか高揚した感じだ.
感情がそのように記憶をも干渉してしまう.












演奏はまずまずではなかったかと思う.
冷静さが欠けており,ビデオを見るといくつも反省点が出てくるだろう.
声は喉のおかげでトレーニングできず,
50%ぐらいだったと思うが,
自分の野太い声はまだまだ大丈夫そうだ.
ミッシェルガンエレファントのコピーができたのだからまずまずかな.

みんなから「なぜ」ミッシェルなんですか?と問われた.
理由は一つではない,
いろんな理由が絡まって,最終的に直感で決めた.
別にむちゃくちゃ好きでもなかったし,
よく聞いていたわけでもなかった.
いろんな理由である.

バンドメンバーである,高知時代の教え子である越智(現,星城大学),
奈良の勉強会で知り合った乾(奈良リハセンター),
そして,畿央の教え子である大村(摂南総合病院),幸田(奈良リハセンター)に感謝したい.
これからもRollingしたい.

③バンド目は自分が27歳の時に高知医療学院を送り出した
穴吹らによる演奏.
レインボーがよかった.
久しぶりにストラトを持った「Richard Hugh Blackmore」になりきった穴吹を見た.
MACHINEGUNS の Tekkenもよかった.
ヘビメタを演奏し,歌う,理学療法士の教員である.

写真がなくて残念.
いつかyoutubeで・・・許可をもらった曲を.

④バンド目は自分が30歳の時に送り出した太場岡,34歳の時に送り出した森岡義治,そして33歳の時に入試面接をした明神らによるZepコピー.ドラムはタバオカの親戚のこやぶ.
歌って演奏できるPT集団である.



ジミー・ペイジに口をとがらせながら,そしてネックの持ち方までなりきった明神(もちろん演奏はお墨付き),ロバート・プラントを意識し随所で模倣したよしはる(もちろん歌唱力はお墨付き),ジョン・ポール・ジョーンズの安定した演奏力を彷彿させるタバ,そして,練習の虫になり,豆をつぶしジョン・ボーナムになろうとした「こやぶ」.

「Stairway to Heaven」をアマバンドであそこまで聞かせてくれたのは本当に感謝したい.

The Oceanでも今度はリクエストしようか.

模倣することがどれだけ大切か,
模倣することがどれだけ難しいかという原点をこのバンドの演奏を見ながら思った.
一見,馬鹿みたいにわれを忘れて当日は飛び跳ねていたが,
このブログを書いているとそれを思った.


21時過ぎにライブを終え,
奈良の勉強会のメンバーが待つ,「虚空」へ向かい,ビールを一杯いただき,
そのあと,かけ足で,バンドのメンバーが待つ「MIYATAYA」へ.
乾杯をした後,ロック談議に花を咲かせる.

こういう年齢に垣根がなく,
少年になれる仲間に出会えたことに感謝したい.
年甲斐もなくとか,あるいは自分自身の忙しさに負けて,おれはもう無理とか,
言わない仲間は,腹を割って話せる.
自分も忙しさに負けてバンドをやめようとか,あるいはもっと落ち着いた曲をしようかとも若干思った時もあるが,
それこそ,好きでもないことをなぜ続けるのかということになる.
好きなことをする.
人生にとって,幸福極まりないこと.
これは堕落し,楽が幸せではないことを示している.

好きなことを続けることは楽することでも,堕落することでもない.
次はもっとこうしようとか,こうしたいとかを思うことは,
苦難の道でもある.
アマなので極めるとかはおこがましくて言わないが,
もっとこうしたいといった向上心や,このように見せようとかの表現力を高めようとすることは決して平たんな道でない.

ましてはプロであるはずの職業にそのようなことを思えなくなる方が問題でもある.
プロとは何か?


MIYATAYAを先に退散し,
ライブに来てくれたBar YORKのマスターお礼を言いに.
23時半より奈良の勉強会(奈良リハ・平成記念など)のメンバーそして大学院生らとYorkで合流し,2時過ぎまで飲み明かす.
自分はその後,朝の5時過ぎまでさまよう.
高知の夜は長い.
帰れば,いろんな店に帰っていることを報告しないといけない.
破滅型人生でもあるが,人は人に生かされているというのが私のモットーであるために,いろんな人を大切にしたい.
そういう人生を歩んでいるのはなく,そういう人生を作っているのである.

金のつながりでも名誉のつながりでもない.
個人のこころのつながりこそ,今一番大切にしないといけないものだと勝手に思っている.


翌日は8時に起き,勉強会のメンバーと高知医療学院まで.
10時より高知医療学院の高橋先生にセミナーを開催してもらう.
一つ一つが丁寧であり,今回のこのセミナーを高橋先生にお願いしてよかったと領収証を整理しながら思った.
とにかく,丁寧であり,彼の優しさが前面に出た講義であった.
豪快さが目立つ氏ではあるが,知られざる情にあつい部分が全面に出ていた.

12時にセミナーを終え,みんなに龍馬の背中を見せながら,
そして本当に青い海を見せ,感動してもらった.
桂浜はなんもないが,青い海だけでおなか一杯にさせてくれる.
自分は「ごっくん馬路村」をはこ買いした.









13時半にMIYATAYAに向かい,魚ばかりだったことから鉄板焼きを味わってもらう.
お好み焼きがあまり好きでない(こってり系が苦手な)珍しい関西人にも好評な味であった.
まさに「お好み焼き」革命.
革命を起こすといったマスターのことばが実になっている.

突然20名でいったのにもかかわらず,
温かく迎えてくれた.

お好み焼きを焼くのに相当に手をかけているということがガラス越しにわかったと同じテーブルの藤本君がいった.
手をかける,時間をかけるという当たり前のことが大切であることを感じた.

速さだけが求められる世の中に,いっけん忘れてしまうことでもある.

15時半に今回の勉強会のメンバー(セミナーに参加したもの)と一緒に高知を後にした.

とても充実した,相当に内容の濃かった勉強(ライブによる社会勉強も含む)だったと思う.

まさかあんなに大音量とは思いませんでした.
まさかあんなに激しいとは思いませんでした.

感動,感激はおどろきから始まる.

毎日に彩りを与える驚き.

驚くことが少なくなった現代人.
おどろくことが面倒になった現代のおとな.

こどものときは驚きが多かったはずである.

今の子供たちは,概念で生きてないだろうか?
おどろきが少なくなったようにも思える.

美しいものをみて,単純に美しく思える.
そんな純粋さがおどろきには欠かせない.


スパイスのきいた人生を自分で,いや仲間で演出しつづけたいものである.


ブログをよんでいる人!!!
驚きに,来年こそは,ライブに来てみませんか?

僕の本当の姿が見えます.
講演や大学教員は仮の姿かもしれません.


ライブを終え,やっと断髪できます.

イメージが大切でもある.

ロックは思想でもあり、政治でもある。
最近の好きだ好きだの恋愛ロックはもどきだ。
情けない。