森岡 周のブログ

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日記:日記からなぜか正の不確実性へ

2010年09月25日 06時16分40秒 | 日記
この1週間ほどほとんど奈良にいず,
全国を移動していましたが,
安全地帯のライブ,映画を2本と,
自由人でいることができます.
土佐の男から,自由を奪ってしまえば,
大事な創造性が抜け落ちます.
創造に欠かせないのが,イメージです.
どれだけ,未来志向なイメージをつくることができるか.
未来志向なイメージでなく,過去の記憶のイメージは
単なる記憶の再生です.
予測であっても,予期とはいえません.
これからの人生をある意味妄想できる人間は前向きです.
前向き志向は,記憶の再生による予測でなく,
記憶から得た経験,知恵を活かすように
自分のこれからのふるまいを決断していく,
そのようなプロセスであり,
そのイメージ,妄想は100%あっているとはいえず,
だからこそ,楽しいのです.
例えば,毎朝の出勤,あるいは学校への通学.
毎日同じパターンで繰り返す.
これはもちろん記憶を使って,モデルを形成し,
そして脳が予測を働かし,適切な判断を下し,
運動実行に至らせています.
しかし,この通勤に何か,期待していますか?
それに比べて海外旅行に行く時は不安もあるけど,期待という正の予期をも生むでしょう.
正の予期がうまれれば,楽しいに決まっています.


例えば,通勤列車に一目ぼれした人がいるとしましょう.
しかし,それは毎日のことでもないような気がする.
けれど,毎日,その人に会いたい.
この違いは,不確実性です.
すべてが確実だと,脳は全く報酬を得ません.
実に身勝手です.
しかし,不確実性は自分の予期を絶妙な水準で超えてくれます.
先の例では顔を見ることができるということが報酬ですし,
そのあと,前向きに,話すことができれば,と妄想を膨らませていきます.
実に芸能人に対しても人間は前向きに妄想をふくらませていきます.
しかし,これも報酬です.
その不確実性が,50%どんどん切っていって,負の確率,つまり,先の例では会う確率が下がってくると,人間は負の情動にむかっていきます.
妄想と現実の微妙なずれである不確実を楽しむことができない確率で,
裏切られてしまうということになれば,それは課題が高すぎることになります.
常にそういう負の情動の出現は,人間の本能的なものとして,
危険と察知し,回避するようにできています.
そうしないと自分を身体反応を落ち着かせることができないからです.
うまく回避することが経験を使うことですが,
経験がないと,時に攻撃したり,時に無視したり,と,最悪の場合はそれが犯罪に向かったりします.
すべてが不確実では精神が落ちます.
安全基地(安全地帯)が必要なのです.

私たちの脳に記憶が蓄えられ,そしてコンピュータとは違って記憶を消去できていくのは,
こうしたものをうまく回避していくためなのです.
それが回避できなければ,人間は苦しいし,もっと追い詰められていきます.
そうすれば,悪い予期しかおこらなくなってしまいます.
その予期と結果が結合すれば,とても悲しいし苦しい.
予期ぐらい明るい予期でありたいものです.
人間の最も発達させた脳のありようなんですから.

龍馬の予期は明るいものだったのでしょうか?
しかし,途中でその予期は暗いものに変わったのではないでしょうか?
最終的に暗殺される予期をもってしまったように.


よき報酬によって,正の予期を生み出すのは,
60~70%は成功する体験をしていかなければなりません.
しかし,100%成功でも報酬は生み出されません.
絶妙なずれをプラスの方で感じる.
そうすれば,またよき予期がつくられていく.
人間はそうすることで一つ一つ自分の階段を上っていくのです.

その予期の階段の水準が高いのが,スーパースターなのです.


話が土佐人からこんな話になってきましたが,
映画「君が踊る,夏」を観て,そのようなことを思いました.
県外に住む高知の人間にはご褒美のような映画でした(追伸:MIYATAYAも出てたよ).
これは一人称であり,関西で生まれ育った人はそのようなことは思わないと思います.
町の風景,川の流れ,そして,はりまや橋を見れば,
高校時代などの淡い恋,そして彼女とのよき思い出がよみがえってきました.
今となっては悪い記憶の再生はされず,
よい記憶のみが再生されます.
負の出来事もいっぱいあったと思いますが,
そのあとの経験が豊富なために,
よき記憶しか残していないのです.
実に人間ってすばらしいと思いました.
時が自分を浄化してくれるなんて.
しかし,あくまでもその後の人生経験が必要であり.
もし自分がそのように要所要所で前を向いて歩いてこなかったら・・・と思うと,
人生っていうものは出会い,そして新たな出会いっていうものがいかに大切なんだなと改めて思う次第なのです.

新たな人に出会うために生き続ける.
そして,その人の変化(たとえば,おじいさんであれば孫)を感じ取っていける.
人生っていうものはそういうものなのでしょう.
そうでないと,生物的に生きるために生きるっていうことになります.
生存のための脳の作動のみになります.
確かに,突然の災害などがおこれば,それが作動しますが,
安全基地があれば,前向きにいられる.
まさにそれがLa vie en Roseなのです.

追伸:生粋の土佐の人間にとって,「よさこい」というのは宿命なのだと感じました.
宿命というのは,根拠のない志です.そこに根拠をもたらしたら駄目だと悟りました.




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