森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

徳川家康的躾

2014年07月17日 23時43分02秒 | 日記
先日、ある職場で、入職後すぐの、若い事務員の退職のエピソードを聞きました。むろん本人にもいい分もあるだろうと思いますが、所詮、そういう理由は理屈としての後付けです。脳はその前にすでに意志決定しています。理由はあとで言語として自己を防衛するためのものです。その意志決定はあまりにも「今」だけの報酬に引っ張られたものです。つまり、我慢することで報酬を先延ばしせず、今、楽になりたいという線条体に基づいた行動であるのです。

今日は理学療法学科と健康栄養学科の合同の生命倫理の授業でした。この授業はオムニバスで1回きりの授業ですが、それまでの教員の授業がどうであったか、私の授業を通じて評価しています。健康栄養学科全体の講義は今回がはじめてで、もちろん私のことなど知らないし、そして私が厳格な態度で授業にのぞんでいることも知る由がありません。

いくつか私をしらない学生による倫理を疑う態度・行動によって、私の雷が落ちたことは言うまでもありません。しかし、彼らはこれまで、そうした行動に対して、そのまま放置し、見て見ぬ振りをする大人と多くつきあっているのかもしれず、それによって、このような行動に出ているといった被害者でもあると思うのです。

学生の予測が可能な注意程度だけでは、危機的感情を揺さぶることができないし、それでは記憶にはのこりづらいです。おおよそ自己責任をとらない大人は自分の感情としての言葉でなく、三人称的に注意を払うことばを与えます。だから、彼らは不快な情動を強く起こしません。顔を見ればわかります。「怒るときは百雷がなるように怒れ!」、それによって彼らの表情を変えないといけないと私は思っています。そして、その自分自身のこころを経験し、そして我慢し、報酬を先延ばしするということを学習させなければなりません。

先に歩いている大人は、言動、表情、しぐさにて社会的行動とは何か、自己責任とは何かを身を以て教える厳格な意識を持たないといけないと思います。軽く楽しく学生と遊ぶ・勉強するだけでは、「大人」を学習させることはできないと思っています。こうしたプロセスを通じて、仕事に責任を持ち我慢できる大人がつくられていくのだと思います。

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