東京出張で夕方から翌日の15時まで、ポカンと時間が空くことになりました。何かしら有効活用が出来ないものかと、冬の臨時列車案内を眺めていますと、その日に盛岡発一ノ関行きの臨時快速『ジパング忘年ライナー』が運転させることがわかりました。残り少ない485系、このチャンスを逃すと後悔するのでないかと思い、この列車に乗ることを軸に旅程を組み立てました。
普段は伊丹から飛行機で行くことが多い時間帯の会議ですが、盛岡の往復切符になりますので全て鉄路です。最近、新大阪への移動は、おおさか東線を多様するようになりました。混雑する御堂筋線を利用するより、新鮮味があります。
7時過ぎ、京阪野江駅を降り、JR野江駅に着きますと、列車が来たようなのでホームに急ぎましたが、『直通快速』の通過でした。車内を見ますと、ちらほら立ち客がいる程度です。出勤にはまだ少し早いのかと思います。
少し待つと上下の201系が並びました。今や201系に乗れるのは、ここだけです。並びを撮影しましたが、暫くは見られるのでしょう。
新大阪駅で時間がありましたので、駅弁を覗きます。この日も仕事から直接移動していて、夜中に何かしら食べてますし、東京に着けばすぐ食事会なので食べなくても良かったのですが、初めて見る八戸駅吉田屋さんの『かに水産かに味噌ご飯』がありましたので、誘惑に負けて買いました。しかも、仕事前にも関わらずウイスキーまで。ダメですねー。
新大阪始発の不定期列車を指定していましたので、早めの入線ということもあり、停車中からお弁当を広げて楽しみます。濃厚なかに味噌と蟹の炊き込みご飯が楽しめる、贅沢なお弁当ですが、かに味噌をすくうときに蟹のカラを出したり置いたりしなければならなく、朝7時台には似つかわしくないお弁当でした。
停車時間が長かったこともあり、発車早々に食べ終わって睡眠につこうとしていますと、車掌さんから声を掛けられました。何事かと思いますと、なんと私が指定していたのはのぞみ306号で、この列車は10分前を走るのぞみ304号でした。まさかまさか自分がこんな間違えをするとは思っていなかったので、驚きました。B席なら空いているとのことでしたが、爆睡したかったので京都で下車し、10分後の所定列車A席ですぐ寝ました。
東京で仕事を済ませますが、かなり時間が押しましたので切符の変更をし、上野から盛岡を目指します。盛岡乗り換え時間が短いので、もしもの時のことを考え、余分に買い物をすることにしました。上野駅地上ホームのお弁当屋さんは、かなり広い範囲の駅弁があり、ありがたいお店です。
新幹線上野駅を降りたことはありますが、ここから乗るのは初めてでした。何となく哀愁漂う地下ホームは、かつての地上ホームの空気を運んできたかのようです。くすんだ色合いがそうさせるのでしょうか。東京駅乗り入れ前までは、東北へ向かう人は全てここに集まっていた訳ですから、それはそれは賑わったのではないかと想像します。
向かいのホームに引退間近のE4系が入線してきました。最期にゆっくり乗りたかったですが、叶わさそうで残念です。
やがて私が乗る『はやぶさ』号が入ります。さすが週末、よく乗っています。着席して、枕カバーをずらし、快適なポジションで落ち着きます。東海道新幹線にない素晴らしいサービスだと思います。
上野駅で購入した関根屋さんの『秋田比内地鶏いいとこどり弁当』を広げます。定番の有名弁当だけに、美味しいですねー。美味しすぎて、ついついお酒が進んでしまいましたので車内販売で補充します。ちょうどいいアテに明太子味の南部せんべいがありましたので購入。これがナイスチョイスでお酒が止まらなくなりました。南部せんべいは昔、全日空の機内販売でお土産として売られていたのを酒の当てに頂いた時に初めて食べたのですが、それが美味しくて、それ以来、売っているのを見ては買っていました。関西ではあまり見かけない気がします。
快適なシートでうまい酒とアテ。幸せな時間が流れます。しかし、本来の目的は今からです。もう結構ベロベロですが、気を引き締めて、盛岡駅ホームで煙草を吸い、在来線ホームに向かいました。構内売店は閉まっていましたので、上野で買い物を済ませて大正解です。
僅かな乗り換え時間で、ホームで撮影する時間はほとんどなく、今日のメインイベント臨時快速『ジパング忘年ライナー』に乗りました。肌寒く感じるはずで、路面にはうっすら雪が積もっています。
臨時快速『ジパング忘年ライナー』は4両編成で、先頭の1号車が指定席、他は自由席です。発車ギリギリでしたので、さっさと撮影して車内へ。いきなりインパクトあるデッキに驚いているうちに発車となりました。
1号車の椅子は全て窓向きにセットされていました。昔のクロ212系マリンライナーを思い出します。この座席で知らないオッサンと相席になれば嫌だなと思いましたが、指定席は私を含めて8人の乗車で、ゆったり座ることができました。
発車して早々に急ブレーキがかかり、停車しました。何でもこの先の踏切で異常を知らせる連絡があったとかで、確認まで停車とのことです。485系に長く乗られるなら、私はいくら停車していても構いません。
停車中に車内を回ります。自由席は7割以上は乗っているでしょうか、なかなかの乗車率です。ホームで『この列車に乗っても大丈夫なのかな?』と、停車駅や種別を確認するかたが目立ったのも面白いところです。この列車の20分後に一ノ関行きの最終がありますので、たまたまこの電車を知った方には『乗り得』感があるでしょう。列車名は『忘年ライナー』と賑やかな感じですが、停車中ということもあり、車内は静まり返っていました。私同様、8名程の鉄道マニアだけが静かに興奮しています。つまり、指定席はマニアだけでした。
結局、15分程停車して、異常は確認されなかったとのことで発車しました。
座席に落ち着いて、上野駅で買った老舗弁当店・斎藤松月堂の『平泉うにごはん』を広げます。今から一ノ関に行くのに、上野で購入した一ノ関の弁当を食べるのは妙な感覚です。東京駅の弁当店『祭』では、常に販売個数トップ10に入る大人気弁当です。これに上野から数えて4本目のウイスキー。朝から数えると、ランチミーティングでも飲んでますので、かなりの酒量です。しかし、酔っぱらう訳にはいきません。何せ今は485系の車内です。臭いや音、全身で485系を体感します。
列車は駅ごとに乗客を降ろし、ところどころ乗客を乗せながら南下していきます。『ジパング』自慢の展望スペースに陣取り、しばらくは暗闇を切り裂き進む全面展望を眺めていました。485系の全面展望。初めて体感したのは中学2年生の時の『スーパー雷鳥』でした。やがて乗務員になり、9503M『シュプール妙高志賀』の中間運転台で賄い弁当を食べながら楽しんだのもいい思い出です。そんなことを思い出しながら、後ろに流れる光の筋を眺めていました。
編成をおさらいします。上野方が1号車です。
◆1号車 クハ485-704(元 クロ485-4← クハ481-40)
1971年3月、クハ481-40として向日町に新製配置されました。クハ481系0番台のラストナンバーです。この事実だけで、もの凄い歴史を感じることが出来ます。
特急「雷鳥」の他、「うずしお」として宇野へ、「みどり」として大分へ、「はくたか」として長岡経由で上野へと、九州から北陸、関東までの広域を走り抜けていました。
1975年に鹿児島へ転属。ここからは「有明」「にちりん」として、これまでの広域運用とは一転、九州の中だけを走ります。
1984年12月、今度は未経験の地、東北は仙台に一旦転属し、翌85年3月に勝田へ転属。「ひたち」として常磐線を走ります。
1997年に新前橋へ転属。1999年3月にクロ485-4へと改造され、お座敷電車「やまなみ」としての活躍が始まります。
2012年3月に高崎から盛岡へ転入、座席車に戻され、形式をクハ485-704として「ジパング」の1号車となりました。
「ジパング」として東北本線を主に走行していますから、これほど日本中を駆け抜けた車両も珍しいのではないのでしょうか。
◆2号車 モハ485-3014(元モハ485-1014)
3号車 モハ484-3014(元モハ484-1014)
1976年3月、秋田に新製配置されます。「つばさ」「やまばと」「いなほ」としての運用をこなしました。
1988年3月に青森運転所へ転入。ここからは「はつかり」「いなほ」としての活躍が始まります。
1998年に3000番台へと改造。装いも新たに、「はつかり」として森岡~青森~函館間を走行しました。2002年からは新幹線新青森延伸に伴い「白鳥」「つがる」の運用になります。
2012年3月に盛岡へ転属し、塗装変更を行って「ジパング」の中間車となりました。
◆4号車 クハ484-704(クロ484-6←クハ481-34)
こちらの方は1号車よりももっと古く、クハ481-34として1969年に向日町へ新製配置されています。もう50年以上走り続けていることになりますね。すごいことです。
2年後にクハ481-40が配置されますが、とても興味深いことに、ここから「ジパング」として走る今日まで、全く同じ転属の人生を歩むことになります。485系ほど汎用性の高い車両で、ここまで運命を共にするのはドラマのようでもあります。
車番はクロ484-6へと改造され「やまなみ」に。2012年にクハ484-704「ジパング」の4号車となりました。
こうしてみますと、私が乗務した車両はありませんが、中間車は「雷鳥」としての運用がありましたし、両先頭車は凄まじい歴史の持ち主ということで、俄然乗る価値のある編成だということがわかりました。
北上を過ぎると車内はかなり閑散としてきましたので、自由席のモハに移動しました。この2年で『華』『きらきら羽越』『やまどり』と485系に乗りましたが、この『ジパング』の2・3号車ユニットがあたりまえですが最も原型に近く、ありし日の3000番台『新潟雷鳥』や『北越』の記憶を甦らせるに十分です。折しも、列車は遅れを取り戻すべく回復運転の真っ最中ですから、唸るモーター音がその記憶をさらに鮮明にしていきます。ここで非常食としてキープしていた崎陽軒の『シュウマイ弁当』を広げ、ぬるいウイスキーで流し込みます。幸せ、これ以上ないほどの幸せな時間です。いよいよ、485系ともお別れの時かもしれない、幸せと寂しさが交錯し、感情的になります。よくぞ令和の時代までこんな車両が残ってくれていました。一ノ関到着のアナウンスを聞きながら、残りのウイスキーを飲み干します。485系に、乾杯!
ホームに降り立ち、一ノ関駅に停車中の485系を、色んな角度から眺めて、在りし日の姿を甦らせます。さようなら、485系。
あまり長居してしまいますと改札が閉まってしまいますので、心の中で485系に最敬礼をし、一ノ関駅を出ます。賑やかな忘年会帰りの人々とすれ違いました。みな、タクシーや代行、家族が運転する迎えの車に乗り込みます。私はいつも千鳥足で終電に乗っていますので、ちょっと感覚が違うのでしょうね。
駅前のホテルでチェックインを済まし、部屋に行かずそのまま繁華街に向かいます。0時前ですが、まだまだ居酒屋もスナックやらも開いています。ひととおり歩いて、ちょうど4、5名が出てきたお店に入りました。
結構若い年代のスナックで、しまったと焦りましたが、私には年甲斐もなくサンタクロースの衣装を纏った感が強い(失礼)、お店のママさんが付いてくれました。良かったです。そして、今年大手企業が一ノ関から撤退した話しや、震災の時の話し、力を入れている地場産業の話しなど、一ノ関の今を知ることが出来ます。これだから出先のスナック訪問は辞められないんですね。大変有意義な時間を過ごし、ホテルに戻りました。
次の日は、早起きして乗り鉄するプランと、ぐっすり寝て東京に戻るプランを用意して就寝しますが、かなり疲れているにも関わらず何故かこーゆー時は早起き出来てしまうから不思議です。
みどりの窓口で切符の変更をして、新幹線改札口に向かいますと、バタンと扉が閉まって通れなくなってしまいました。駅員さんと今発券した切符を見直しますと、一ノ関から大阪への乗車券の他に、新幹線特急券にも乗車料金が含まれているのがわかりました。もう発車まで時間がなかったので、大阪で精算して下さいとのことでしたが、途中下車は全て有人改札口を通らなければならないようで、これは面倒なことになりました。
ホームに上がりますと、乗車する『はやぶさ』が入線するところでした。一ノ関から古川までの移動でしたので、てっきり『やまびこ』なのかと思えば、仙台からかっ飛びタイプ(この『かっ飛び』という言葉は昔の日食では当たり前に使っていましたが、通用するのでしょうか)のはやぶさでした。自由席も指定席も、よく乗っています。ぼんやり車窓をみているうちに、2駅目の古川で下車となりました。
ここで在来線に乗り換えますが、やはりいちいち説明しなくてはならなく、面倒なもんです。待合所に立ち食い蕎麦がありましたので食べました。弁当ばっかりだったので、久しぶりに温かいものを食べた気がします。何の特徴もない、ただの立ち食い蕎麦です。
在来線ホームに行きますと、キハ110系列が停まっています。この車両に乗るのは本当に久しぶりで、ひょっとすると学生時代に長野から豊野まで信越線で乗った以来かもしれません。今でも全く古さを感じさせない車内です。陸羽東線、ここから暫くディーゼルカーの旅です。この振動、音がたまりませんねー。
小牛田でさらに南下するための乗り換えです。ちょうど東北本線の列車が発車するところでした。本線らしく堂々の6連です。私が小牛田を普通列車で通過したのは28年前。その時はキハ40、58系列に50系客車が並び、今はキハ110系列に701系。当たり前ですが、まるで景色が違います。構内の奥の方に「びゅうコースター風っこ」と「みのり」が留置していました。東日本は見ものが多くていいですね。
小牛田からの石巻線もキハ110系列です。これで石巻を通り、乗り換えなしで女川まで行きます。
前谷地で気仙沼線の接続列車が停まっていました。気仙沼線は柳津と気仙沼の間はバス・ラピッド・トランジット(BRT)で運行されています。一部はこの前谷地までBRTでの運航になっているそうです。いつしか鉄道路線として復活するのかなと期待していたのですが、令和2年の4月1日で鉄道事業は正式に廃止されることが決定したようです。復旧には約700億円掛かるそうで、現在の利用状況を考えれば致し方ないことでしょう。気仙沼線には一度も乗ったことが無いのですが、このまま乗らず終いになりそうです。
車窓に新しい家が増えてきたなと思っていたら、石巻に着きました。被災され、建て直されたから新しくなっているだけで、どれだけのご苦労があったかと思うと胸が締め付けられます。
ここからは車窓の何を眺めても、どうしても震災のことが思い出されてしまいます。しかし、私のような旅行者が何を言おうが思おうが、何の意味も成しませんので書き綴ることはいたしません。
生まれ変わった女川駅とその周辺を少し歩いて回ります。大きな駅舎には温泉施設があるようです。乗ってきた来た列車の折り返しに乗り、再び石巻駅を目指します。
後方の貫通扉前に立って車窓を眺めていました。浦宿駅のホームに段差が見て取れます。この界隈一帯が地盤沈下をおこし、復旧の際にホームのかさ上げをする必要があったのだそうです。地盤沈下というと報道を見る限り千葉のイメージが強いですが、広範囲に影響が出ているのがわかります。
石巻駅も大きな被害を被りました。それでもこうして復旧し、石巻を第2の故郷とする石ノ森章太郎作品のイラストやモニュメントが随所に散りばめられていて、震災前の構想を今に引き継いでくれています。
私は「サイボーグ009」が大好きでした。大阪の毎日放送で夜中に再放送していたのですが、ちょうどその頃、石ノ森氏が石巻にマンガをテーマにした町おこしをするというニュースを見て、とても期待したものです。残念ながら1998年に石ノ森氏がお亡くなりになられ、その3年後に「石ノ森萬画館」が開館したとのこと。2003年には205系にキャラクターのシールを張り付けた「マンガッタンライナー」が仙石線にデビュー。2008年には「マンガッタンライナーⅡ」が登場しています。震災で漫画館は休館しますが、約1年半で再オープンし、今でも石巻を代表するスポットとして多くの観光客が訪れているようです。マンガロードをあわせて、一度ゆっくり訪れたい街です。
ここからは仙石線に乗車します。乗車するのはHB-E210系気動車、この列車は「仙石東北ライン」の仙台行きです。いつの間にか面白い路線が開通していたのですね、実はつい最近までこの存在すら知らなかったのです。
そしてこのハイブリッド気動車、というのでしょうか。独特の走行音で、とても魅力的です。東北本線と仙石線という両方とも電化しているのに気動車が走るのも面白いですが、交流と直流の間でデッドセクションがうまく設けられなかったのを車両面でカバーしたというのはウルトラCだと思います。また、この恩恵で非電化の女川まで仙台と直通運転されているのは素敵なことだと思います。
ただ、路線は津波の影響を全面に被った区間ですので、また色々と考えてしまいますが、4両編成の列車は常に立ち客がいる乗車率で、学生の利用も多いことから、益々の活躍を祈らずにいられません。
グーンと速度が落ち、一旦停止してガタンガタンとポイントレールを渡りますと東北本線。不思議な感じがします。乗りごたえのある、仙石東北ラインでした。
仙台駅在来線ホームに降り立つのも久しぶりです。これまた気になっていた、仙台空港行きの列車が停まっていました。これは飛行機利用でいつか乗るだろうと思いながら、結局今まで乗っていないので、気になっている路線です。
見渡しますと仙台駅在来線ホームも近代的な車両ばかりです。455系の快速「仙山」が懐かしい、、、
連絡橋に駅蕎麦があり、美味しそうな唐揚げのポスターに惹かれます。仙台駅の駅弁屋「こばやし」さんが経営する「立ちそば処 社」の鶏唐揚げ蕎麦は、結構有名なメニューなんだそうです。鶏唐揚げ蕎麦と言えば、常磐線我孫子駅を真っ先に思い出しますが、このお店は唐揚げ蕎麦をメニューにする際、我孫子のお店にわざわざ許可を得に行かれたとか。面白いエピソードです。ネットでの評判も良く、期待して入りましたが、この日はちょっと当たりが悪かったのか、私の食べた印象は残念なものでした。
そろそろ体と頭を仕事モードにしていきます、と、言いながら新幹線でもまた弁当を広げています。一ノ関駅「あべちう」さんの「あわびうに飯」です。そういえばこの日の出発は一ノ関でしたね。盛りだくさんで忘れかけていました。
もう仕事前なのでお茶をお供に頂きます。安定の美味しさです。
東京での仕事が終わり、最終近い新幹線で大阪へ帰ります。この後会社に戻らなければならなかったので、お酒を飲むことは出来ません。そこで、ちょっと食に贅沢をしようと、お値段なんと1850円の「東京弁当」を購入しました。
包み紙から容器から、いろいろ立派です。中身を製造するのは「浅草今半」やら「すし玉青木」やら、私でも聞いたことがあるお店の名前がズラーと並んでいます。デザートは舟和の芋羊羹。お値段は張りますが、これはとても美味しいお弁当でした。
盛りだくさんの1泊2日。485系「ジパング」は、ぜひとももう一度乗りたい列車ですし、東北地方もじっくり乗り回るために何度と行きたいと感じさせる、素晴らしい旅行となりました。
普段は伊丹から飛行機で行くことが多い時間帯の会議ですが、盛岡の往復切符になりますので全て鉄路です。最近、新大阪への移動は、おおさか東線を多様するようになりました。混雑する御堂筋線を利用するより、新鮮味があります。
7時過ぎ、京阪野江駅を降り、JR野江駅に着きますと、列車が来たようなのでホームに急ぎましたが、『直通快速』の通過でした。車内を見ますと、ちらほら立ち客がいる程度です。出勤にはまだ少し早いのかと思います。
少し待つと上下の201系が並びました。今や201系に乗れるのは、ここだけです。並びを撮影しましたが、暫くは見られるのでしょう。
新大阪駅で時間がありましたので、駅弁を覗きます。この日も仕事から直接移動していて、夜中に何かしら食べてますし、東京に着けばすぐ食事会なので食べなくても良かったのですが、初めて見る八戸駅吉田屋さんの『かに水産かに味噌ご飯』がありましたので、誘惑に負けて買いました。しかも、仕事前にも関わらずウイスキーまで。ダメですねー。
新大阪始発の不定期列車を指定していましたので、早めの入線ということもあり、停車中からお弁当を広げて楽しみます。濃厚なかに味噌と蟹の炊き込みご飯が楽しめる、贅沢なお弁当ですが、かに味噌をすくうときに蟹のカラを出したり置いたりしなければならなく、朝7時台には似つかわしくないお弁当でした。
停車時間が長かったこともあり、発車早々に食べ終わって睡眠につこうとしていますと、車掌さんから声を掛けられました。何事かと思いますと、なんと私が指定していたのはのぞみ306号で、この列車は10分前を走るのぞみ304号でした。まさかまさか自分がこんな間違えをするとは思っていなかったので、驚きました。B席なら空いているとのことでしたが、爆睡したかったので京都で下車し、10分後の所定列車A席ですぐ寝ました。
東京で仕事を済ませますが、かなり時間が押しましたので切符の変更をし、上野から盛岡を目指します。盛岡乗り換え時間が短いので、もしもの時のことを考え、余分に買い物をすることにしました。上野駅地上ホームのお弁当屋さんは、かなり広い範囲の駅弁があり、ありがたいお店です。
新幹線上野駅を降りたことはありますが、ここから乗るのは初めてでした。何となく哀愁漂う地下ホームは、かつての地上ホームの空気を運んできたかのようです。くすんだ色合いがそうさせるのでしょうか。東京駅乗り入れ前までは、東北へ向かう人は全てここに集まっていた訳ですから、それはそれは賑わったのではないかと想像します。
向かいのホームに引退間近のE4系が入線してきました。最期にゆっくり乗りたかったですが、叶わさそうで残念です。
やがて私が乗る『はやぶさ』号が入ります。さすが週末、よく乗っています。着席して、枕カバーをずらし、快適なポジションで落ち着きます。東海道新幹線にない素晴らしいサービスだと思います。
上野駅で購入した関根屋さんの『秋田比内地鶏いいとこどり弁当』を広げます。定番の有名弁当だけに、美味しいですねー。美味しすぎて、ついついお酒が進んでしまいましたので車内販売で補充します。ちょうどいいアテに明太子味の南部せんべいがありましたので購入。これがナイスチョイスでお酒が止まらなくなりました。南部せんべいは昔、全日空の機内販売でお土産として売られていたのを酒の当てに頂いた時に初めて食べたのですが、それが美味しくて、それ以来、売っているのを見ては買っていました。関西ではあまり見かけない気がします。
快適なシートでうまい酒とアテ。幸せな時間が流れます。しかし、本来の目的は今からです。もう結構ベロベロですが、気を引き締めて、盛岡駅ホームで煙草を吸い、在来線ホームに向かいました。構内売店は閉まっていましたので、上野で買い物を済ませて大正解です。
僅かな乗り換え時間で、ホームで撮影する時間はほとんどなく、今日のメインイベント臨時快速『ジパング忘年ライナー』に乗りました。肌寒く感じるはずで、路面にはうっすら雪が積もっています。
臨時快速『ジパング忘年ライナー』は4両編成で、先頭の1号車が指定席、他は自由席です。発車ギリギリでしたので、さっさと撮影して車内へ。いきなりインパクトあるデッキに驚いているうちに発車となりました。
1号車の椅子は全て窓向きにセットされていました。昔のクロ212系マリンライナーを思い出します。この座席で知らないオッサンと相席になれば嫌だなと思いましたが、指定席は私を含めて8人の乗車で、ゆったり座ることができました。
発車して早々に急ブレーキがかかり、停車しました。何でもこの先の踏切で異常を知らせる連絡があったとかで、確認まで停車とのことです。485系に長く乗られるなら、私はいくら停車していても構いません。
停車中に車内を回ります。自由席は7割以上は乗っているでしょうか、なかなかの乗車率です。ホームで『この列車に乗っても大丈夫なのかな?』と、停車駅や種別を確認するかたが目立ったのも面白いところです。この列車の20分後に一ノ関行きの最終がありますので、たまたまこの電車を知った方には『乗り得』感があるでしょう。列車名は『忘年ライナー』と賑やかな感じですが、停車中ということもあり、車内は静まり返っていました。私同様、8名程の鉄道マニアだけが静かに興奮しています。つまり、指定席はマニアだけでした。
結局、15分程停車して、異常は確認されなかったとのことで発車しました。
座席に落ち着いて、上野駅で買った老舗弁当店・斎藤松月堂の『平泉うにごはん』を広げます。今から一ノ関に行くのに、上野で購入した一ノ関の弁当を食べるのは妙な感覚です。東京駅の弁当店『祭』では、常に販売個数トップ10に入る大人気弁当です。これに上野から数えて4本目のウイスキー。朝から数えると、ランチミーティングでも飲んでますので、かなりの酒量です。しかし、酔っぱらう訳にはいきません。何せ今は485系の車内です。臭いや音、全身で485系を体感します。
列車は駅ごとに乗客を降ろし、ところどころ乗客を乗せながら南下していきます。『ジパング』自慢の展望スペースに陣取り、しばらくは暗闇を切り裂き進む全面展望を眺めていました。485系の全面展望。初めて体感したのは中学2年生の時の『スーパー雷鳥』でした。やがて乗務員になり、9503M『シュプール妙高志賀』の中間運転台で賄い弁当を食べながら楽しんだのもいい思い出です。そんなことを思い出しながら、後ろに流れる光の筋を眺めていました。
編成をおさらいします。上野方が1号車です。
◆1号車 クハ485-704(元 クロ485-4← クハ481-40)
1971年3月、クハ481-40として向日町に新製配置されました。クハ481系0番台のラストナンバーです。この事実だけで、もの凄い歴史を感じることが出来ます。
特急「雷鳥」の他、「うずしお」として宇野へ、「みどり」として大分へ、「はくたか」として長岡経由で上野へと、九州から北陸、関東までの広域を走り抜けていました。
1975年に鹿児島へ転属。ここからは「有明」「にちりん」として、これまでの広域運用とは一転、九州の中だけを走ります。
1984年12月、今度は未経験の地、東北は仙台に一旦転属し、翌85年3月に勝田へ転属。「ひたち」として常磐線を走ります。
1997年に新前橋へ転属。1999年3月にクロ485-4へと改造され、お座敷電車「やまなみ」としての活躍が始まります。
2012年3月に高崎から盛岡へ転入、座席車に戻され、形式をクハ485-704として「ジパング」の1号車となりました。
「ジパング」として東北本線を主に走行していますから、これほど日本中を駆け抜けた車両も珍しいのではないのでしょうか。
◆2号車 モハ485-3014(元モハ485-1014)
3号車 モハ484-3014(元モハ484-1014)
1976年3月、秋田に新製配置されます。「つばさ」「やまばと」「いなほ」としての運用をこなしました。
1988年3月に青森運転所へ転入。ここからは「はつかり」「いなほ」としての活躍が始まります。
1998年に3000番台へと改造。装いも新たに、「はつかり」として森岡~青森~函館間を走行しました。2002年からは新幹線新青森延伸に伴い「白鳥」「つがる」の運用になります。
2012年3月に盛岡へ転属し、塗装変更を行って「ジパング」の中間車となりました。
◆4号車 クハ484-704(クロ484-6←クハ481-34)
こちらの方は1号車よりももっと古く、クハ481-34として1969年に向日町へ新製配置されています。もう50年以上走り続けていることになりますね。すごいことです。
2年後にクハ481-40が配置されますが、とても興味深いことに、ここから「ジパング」として走る今日まで、全く同じ転属の人生を歩むことになります。485系ほど汎用性の高い車両で、ここまで運命を共にするのはドラマのようでもあります。
車番はクロ484-6へと改造され「やまなみ」に。2012年にクハ484-704「ジパング」の4号車となりました。
こうしてみますと、私が乗務した車両はありませんが、中間車は「雷鳥」としての運用がありましたし、両先頭車は凄まじい歴史の持ち主ということで、俄然乗る価値のある編成だということがわかりました。
北上を過ぎると車内はかなり閑散としてきましたので、自由席のモハに移動しました。この2年で『華』『きらきら羽越』『やまどり』と485系に乗りましたが、この『ジパング』の2・3号車ユニットがあたりまえですが最も原型に近く、ありし日の3000番台『新潟雷鳥』や『北越』の記憶を甦らせるに十分です。折しも、列車は遅れを取り戻すべく回復運転の真っ最中ですから、唸るモーター音がその記憶をさらに鮮明にしていきます。ここで非常食としてキープしていた崎陽軒の『シュウマイ弁当』を広げ、ぬるいウイスキーで流し込みます。幸せ、これ以上ないほどの幸せな時間です。いよいよ、485系ともお別れの時かもしれない、幸せと寂しさが交錯し、感情的になります。よくぞ令和の時代までこんな車両が残ってくれていました。一ノ関到着のアナウンスを聞きながら、残りのウイスキーを飲み干します。485系に、乾杯!
ホームに降り立ち、一ノ関駅に停車中の485系を、色んな角度から眺めて、在りし日の姿を甦らせます。さようなら、485系。
あまり長居してしまいますと改札が閉まってしまいますので、心の中で485系に最敬礼をし、一ノ関駅を出ます。賑やかな忘年会帰りの人々とすれ違いました。みな、タクシーや代行、家族が運転する迎えの車に乗り込みます。私はいつも千鳥足で終電に乗っていますので、ちょっと感覚が違うのでしょうね。
駅前のホテルでチェックインを済まし、部屋に行かずそのまま繁華街に向かいます。0時前ですが、まだまだ居酒屋もスナックやらも開いています。ひととおり歩いて、ちょうど4、5名が出てきたお店に入りました。
結構若い年代のスナックで、しまったと焦りましたが、私には年甲斐もなくサンタクロースの衣装を纏った感が強い(失礼)、お店のママさんが付いてくれました。良かったです。そして、今年大手企業が一ノ関から撤退した話しや、震災の時の話し、力を入れている地場産業の話しなど、一ノ関の今を知ることが出来ます。これだから出先のスナック訪問は辞められないんですね。大変有意義な時間を過ごし、ホテルに戻りました。
次の日は、早起きして乗り鉄するプランと、ぐっすり寝て東京に戻るプランを用意して就寝しますが、かなり疲れているにも関わらず何故かこーゆー時は早起き出来てしまうから不思議です。
みどりの窓口で切符の変更をして、新幹線改札口に向かいますと、バタンと扉が閉まって通れなくなってしまいました。駅員さんと今発券した切符を見直しますと、一ノ関から大阪への乗車券の他に、新幹線特急券にも乗車料金が含まれているのがわかりました。もう発車まで時間がなかったので、大阪で精算して下さいとのことでしたが、途中下車は全て有人改札口を通らなければならないようで、これは面倒なことになりました。
ホームに上がりますと、乗車する『はやぶさ』が入線するところでした。一ノ関から古川までの移動でしたので、てっきり『やまびこ』なのかと思えば、仙台からかっ飛びタイプ(この『かっ飛び』という言葉は昔の日食では当たり前に使っていましたが、通用するのでしょうか)のはやぶさでした。自由席も指定席も、よく乗っています。ぼんやり車窓をみているうちに、2駅目の古川で下車となりました。
ここで在来線に乗り換えますが、やはりいちいち説明しなくてはならなく、面倒なもんです。待合所に立ち食い蕎麦がありましたので食べました。弁当ばっかりだったので、久しぶりに温かいものを食べた気がします。何の特徴もない、ただの立ち食い蕎麦です。
在来線ホームに行きますと、キハ110系列が停まっています。この車両に乗るのは本当に久しぶりで、ひょっとすると学生時代に長野から豊野まで信越線で乗った以来かもしれません。今でも全く古さを感じさせない車内です。陸羽東線、ここから暫くディーゼルカーの旅です。この振動、音がたまりませんねー。
小牛田でさらに南下するための乗り換えです。ちょうど東北本線の列車が発車するところでした。本線らしく堂々の6連です。私が小牛田を普通列車で通過したのは28年前。その時はキハ40、58系列に50系客車が並び、今はキハ110系列に701系。当たり前ですが、まるで景色が違います。構内の奥の方に「びゅうコースター風っこ」と「みのり」が留置していました。東日本は見ものが多くていいですね。
小牛田からの石巻線もキハ110系列です。これで石巻を通り、乗り換えなしで女川まで行きます。
前谷地で気仙沼線の接続列車が停まっていました。気仙沼線は柳津と気仙沼の間はバス・ラピッド・トランジット(BRT)で運行されています。一部はこの前谷地までBRTでの運航になっているそうです。いつしか鉄道路線として復活するのかなと期待していたのですが、令和2年の4月1日で鉄道事業は正式に廃止されることが決定したようです。復旧には約700億円掛かるそうで、現在の利用状況を考えれば致し方ないことでしょう。気仙沼線には一度も乗ったことが無いのですが、このまま乗らず終いになりそうです。
車窓に新しい家が増えてきたなと思っていたら、石巻に着きました。被災され、建て直されたから新しくなっているだけで、どれだけのご苦労があったかと思うと胸が締め付けられます。
ここからは車窓の何を眺めても、どうしても震災のことが思い出されてしまいます。しかし、私のような旅行者が何を言おうが思おうが、何の意味も成しませんので書き綴ることはいたしません。
生まれ変わった女川駅とその周辺を少し歩いて回ります。大きな駅舎には温泉施設があるようです。乗ってきた来た列車の折り返しに乗り、再び石巻駅を目指します。
後方の貫通扉前に立って車窓を眺めていました。浦宿駅のホームに段差が見て取れます。この界隈一帯が地盤沈下をおこし、復旧の際にホームのかさ上げをする必要があったのだそうです。地盤沈下というと報道を見る限り千葉のイメージが強いですが、広範囲に影響が出ているのがわかります。
石巻駅も大きな被害を被りました。それでもこうして復旧し、石巻を第2の故郷とする石ノ森章太郎作品のイラストやモニュメントが随所に散りばめられていて、震災前の構想を今に引き継いでくれています。
私は「サイボーグ009」が大好きでした。大阪の毎日放送で夜中に再放送していたのですが、ちょうどその頃、石ノ森氏が石巻にマンガをテーマにした町おこしをするというニュースを見て、とても期待したものです。残念ながら1998年に石ノ森氏がお亡くなりになられ、その3年後に「石ノ森萬画館」が開館したとのこと。2003年には205系にキャラクターのシールを張り付けた「マンガッタンライナー」が仙石線にデビュー。2008年には「マンガッタンライナーⅡ」が登場しています。震災で漫画館は休館しますが、約1年半で再オープンし、今でも石巻を代表するスポットとして多くの観光客が訪れているようです。マンガロードをあわせて、一度ゆっくり訪れたい街です。
ここからは仙石線に乗車します。乗車するのはHB-E210系気動車、この列車は「仙石東北ライン」の仙台行きです。いつの間にか面白い路線が開通していたのですね、実はつい最近までこの存在すら知らなかったのです。
そしてこのハイブリッド気動車、というのでしょうか。独特の走行音で、とても魅力的です。東北本線と仙石線という両方とも電化しているのに気動車が走るのも面白いですが、交流と直流の間でデッドセクションがうまく設けられなかったのを車両面でカバーしたというのはウルトラCだと思います。また、この恩恵で非電化の女川まで仙台と直通運転されているのは素敵なことだと思います。
ただ、路線は津波の影響を全面に被った区間ですので、また色々と考えてしまいますが、4両編成の列車は常に立ち客がいる乗車率で、学生の利用も多いことから、益々の活躍を祈らずにいられません。
グーンと速度が落ち、一旦停止してガタンガタンとポイントレールを渡りますと東北本線。不思議な感じがします。乗りごたえのある、仙石東北ラインでした。
仙台駅在来線ホームに降り立つのも久しぶりです。これまた気になっていた、仙台空港行きの列車が停まっていました。これは飛行機利用でいつか乗るだろうと思いながら、結局今まで乗っていないので、気になっている路線です。
見渡しますと仙台駅在来線ホームも近代的な車両ばかりです。455系の快速「仙山」が懐かしい、、、
連絡橋に駅蕎麦があり、美味しそうな唐揚げのポスターに惹かれます。仙台駅の駅弁屋「こばやし」さんが経営する「立ちそば処 社」の鶏唐揚げ蕎麦は、結構有名なメニューなんだそうです。鶏唐揚げ蕎麦と言えば、常磐線我孫子駅を真っ先に思い出しますが、このお店は唐揚げ蕎麦をメニューにする際、我孫子のお店にわざわざ許可を得に行かれたとか。面白いエピソードです。ネットでの評判も良く、期待して入りましたが、この日はちょっと当たりが悪かったのか、私の食べた印象は残念なものでした。
そろそろ体と頭を仕事モードにしていきます、と、言いながら新幹線でもまた弁当を広げています。一ノ関駅「あべちう」さんの「あわびうに飯」です。そういえばこの日の出発は一ノ関でしたね。盛りだくさんで忘れかけていました。
もう仕事前なのでお茶をお供に頂きます。安定の美味しさです。
東京での仕事が終わり、最終近い新幹線で大阪へ帰ります。この後会社に戻らなければならなかったので、お酒を飲むことは出来ません。そこで、ちょっと食に贅沢をしようと、お値段なんと1850円の「東京弁当」を購入しました。
包み紙から容器から、いろいろ立派です。中身を製造するのは「浅草今半」やら「すし玉青木」やら、私でも聞いたことがあるお店の名前がズラーと並んでいます。デザートは舟和の芋羊羹。お値段は張りますが、これはとても美味しいお弁当でした。
盛りだくさんの1泊2日。485系「ジパング」は、ぜひとももう一度乗りたい列車ですし、東北地方もじっくり乗り回るために何度と行きたいと感じさせる、素晴らしい旅行となりました。
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