天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

EF62 EF63

2014-04-22 | 車両【国鉄・JR】
私は1997年に大学へ進学しました。この時期に受験、引っ越し、新生活のスタートをしています。
よって、いわゆる「碓氷峠フィーバー」の時代は鉄道趣味から一番遠いところにいましたので、横川~軽井沢間の廃止への関心は薄かったです。

当時はTOMIXも大々的に碓氷峠を推してきていて、TNカプラーの強みを生かした双頭連結器の登場には驚かされました。
それには興味がありましたが、連結器が大き過ぎるのと、連結感覚が広すぎるので、当時は購入しませんでした。
それでも、189系「あさま色」は子供のころから大好きな車両でしたし、97年冬季からスキー学校の講師派遣で信越線を何度も往復する機会があり、その際に乗車した快速「信越リレー妙高号」の思い出もあり、いつかは碓氷峠を再現したいと思っていました。

その後、KATOからまさかのEF63発売がありましたが、連結車両はボンネット型の489系で、またこちらも連結器の大きさが気になるものでしたので、その機会も購入することはありませんでした。



ようやくEF63を購入したのは、ついに登場したkATOのEF62、そして客車急行「妙高」の発売時期でした。
これでしたら無加工で碓氷峠の在りし日の姿を楽しめる訳ですが、やはり再現したいのは189系「あさま」とEF63との組み合わせです。
いつかEF63をいじくりまわそうと購入していた宮沢のパーツもありましたので、捨て値で売られていたリニューアル前のTOMIX製品も購入し、EF62を加えて一気に碓氷峠の機関車5両を加工することにしました。宮沢のパーツを購入してから実に15年近く経ってからの加工です。

KATOから発売されたEF62は、ファン待望のアイテムとして歓迎されたと思います。走行性能・プロポーションとも申し分ないのですが、1つだけ残念だったのは採光窓が抜けていないことでした。
これはどうにかしたいところですが、窓をひとつひとつ抜く技術など私にはありません。ネットでは「みやこ模型」さんのサイトで、EF62の加工が紹介されていましたので、参考にしました。



試しに1つ、艶あり黒を採光窓に挿してみました。いきなりはみ出してHゴムを黒く染めてしまいましたが、他の個所とコントラストがついて、実感的になるのは確かでした。
はみ出しては拭いてグレーを挿し、はみ出しては修正するの繰り返しで、採光窓に艶あり黒を塗り終えました。

続いてカプラーを交換します。片方は「EF66ナックルカプラー」に交換して短くしました。もう一方は、密自連TNカプラーの根元に付属のスペーサー2つを瞬間接着剤でくっつけて箱状の根元を作り、成形した後に1mmのピンバイスで穴を空けたものを取り付けました。



KATO製のEF63は、ユーザー取り付けパーツが大変多い製品ですが、双頭カプラー周辺のごちゃごちゃした感じが再現できるので丁寧に作業しなければなりません。
まず車番インレタの取り付けを行いましたが、購入してから何年も経過しているからか、まったく車体にくっついてくれません。転写できたと思っても、番号はハラリと落下したりと、何度やってもスムーズにいきませんでした。
製品のインレタは諦めて、「くろま屋」さんのインレタを取り寄せました。同様のインレタはDF50にも付属していますが、こちらも購入からだいぶ年数が経っていますので、併せて注文しておきました。



横川側のカプラー交換です。1つは先のEF62同様に密自連TNカプラーに交換しました。もう一方はこれも同様にEF66ナックルを取り付けましたが、これに交換すると軽井沢側の機関車と干渉しましたので、製品のままにしています。
エアホースやケーブルはコックの下にピンバイスで穴をあけ、針金を通して瞬間接着剤で固着し、艶消し黒を塗りました。

軽井沢側のカプラーは大きいので交換してしまいます。
製品のカプラーは実車同様に首を振ることで密連・密自連に対応することができますが、このギミックこそがカプラー自体と連結感覚を大きくしている原因ですので、割り切って連結相手を限定してしまうことにしました。



先ずは3号機です。この車は軽井沢側をナックルカプラーに、横川側をTNカプラーにしています。
このナックルカプラーには、ダミーの密連カプラーを適当にカットして瞬間接着剤で取り付け、双頭カプラーのように見せかけています。もちろん、密連カプラーの機能はありません。



続いて6号機です。こちらは軽井沢側をTNカプラーに、横川側をナックルカプラーにしています。これも同様に、TNカプラーの横にダミーの密連カプラーを取り付けています。

←横川 6号機 + 3号機 + ナックルカプラーの車両(急行妙高など)
←横川 3号機 + 6号機 + TNカプラーの車両(TOMIX製ボンネット489系など)

この2機には碓氷峠アンテナを取り付けていませんので、時代を考えると国鉄時代になりますが、機関車の連結順序を変えることでナックルカプラーとTNカプラーの両方を連結することができるようになりました。

一方のTOMIX製品はリニューアル前のものですので、現在の製品と比べるとディティール面でやや劣ります。宮沢模型のパーツを使い、その分を補うことにしました。


横川側のカプラーを交換します。製品のものは使わず、TOMIXの密自連カプラーの根元にプラバンで箱状の取り付け部分を作り、瞬間接着剤を何度も塗った後に成形して取り付けました。
これによって連結間隔をかなり短くすることができます。画像は上が製品のままで下が加工後です。これだけでも結構引き締まって見えます。



軽井沢側の双頭カプラーも、KATO製品同様に一方をダミーとすることで小型にし、実感的になるように心掛けました。
189系「あさま」などの電車と連結する主役の機関車は、10号機に設定しました。
密連TNカプラーの根元にプラバンで箱状の取り付け部分を作り、適当なダミーの密自連カプラーを接着して双頭カプラーの雰囲気にします。



最初の改造ではカプラーを短くし過ぎて、電車と連結するとカーブを曲がれなくなってしまいました。取り付け部分のプラバンを足して、柄を長くしています。
ケーブルなどがごちゃごちゃある分、ある程度の連結感覚は仕方ないのだなと実感しましたが、それでも製品のままとでは随分と見た目が変わると思います。
ただし、常に密連連結器が中心にありますので、厳密にいえばこの姿で機関区と駅の間を走行することは間違いです。





相方は8号機にしました。この車は唯一トレーラー車です。
軽井沢側は密自連のTNカプラーにダミーの密連カプラーを取り付けています。横川側は同様の加工をした密自連のTNカプラーです。



ここから宮沢模型のパーツを取り付けていきます。
屋根は放熱通風器補強ステーを取り付け、黒で塗装しました。KATO製品にはこの表現が最初からあるのですが、TOMIX製品にはありません。
画像は上がKATO製品で、下が塗装前のパーツを取り付けたTOMIX製品です。



次に前面窓下、誘導員用、乗務員扉用、屋根上前橋の4か所の手摺モールドを削り、0.3㎜の穴をあけてエッチングの手摺を装着し、塗装しました。
左がKATO製品、右が加工したTOMIX製品です。手摺が取り付けられると、一気に現在の製品のクオリティに近づくと思います。
開放テコも取り付けましたが、これが大失敗でした。後から気付いたのですが、取り付けるエンドを逆にしてしまったのです。
しかし、気付いた時には既に固着し、塗装もしてしまっていたので、諦めました。



次の作業はEF63の「顔」を決定づける、ジャンパ連結器栓受の加工です。
KATO製品はパーツに塗装もされていて、ケーブルも付属していますが、旧TOMIX製品にはそれがありません。
栓受を新たに取り付け、穴をあけて付属のビニール線を取り付けるのですが、素材がビニールだけになかなか形が定まらず、上手く出来ませんでした。
そこでいつも通り素材を針金に変更して取り付けています。
台車にはATS車上子を取り付け、塗装しました。




EF63の特徴である全台車に取り付けられた空転検出装置はグレーに塗装後、取り付けました。速度記録装置も取り付けます。
空転検出装置は数がある分、目立ついいアイテムだと思います。
くろま屋さんの区名札インレタを使用し、EF63には「横」EF62には「篠」を張り付けましたが、これはあまり目立ちませんでした。
パンタグラフはカルグレーを吹き付けて落ち着かせました。



こうして記事に纏めますとあっという間に完成したように錯覚してしまいますが、実際機関車を5台一斉に加工するというのは大変でした。
1日の作業時間は多くても30分程度で、それも毎日出来るわけではありません。
段取りの悪さもありますが、パーツが無くなったり取り付け位置を間違えたりと、何だかんだしているうちに完成まで3カ月も掛ってしまいました。
それでも、こうして勢揃いした勇敢な顔立ちのシェルパ達を見ていますと、その苦労も忘れてしまいます。



189系や489系のカプラー交換は終わっているので、1日も早くレイアウトで運転したいものです。
また、アンテナ付きのEF62と、アンテナ付きの密自連TNカプラーを軽井沢側に装着したEF63があれば、次は14系の「妙高」を楽しめるようになりますので、機会を伺っていたいと思います。
碓氷峠フィーバーに乗り遅れた分、今から存分に模型の世界で楽しみたいと思います。

大阪→香住→京都 北近畿ビッグX

2014-04-06 | 日記
3月に香住へ行ってきました。
去年の3月に京都から天橋立を通り、豊岡から和田山経由で播但線を抜けて神戸まで乗車しました。その時はまだ485系改造の183系や北近畿タンゴ鉄道のKTR001形が走っていましたが、今ではそれらの姿はありません。車両の楽しみは少なくなってしまったかもしれませんが、どのような旅になるでしょうか。

往路は大阪発の「はまかぜ3号」に乗って素直に香住まで向かうことになりましたが、吹田での仕事がなかなか終わらず、タクシーを新大阪駅まで飛ばして新幹線で姫路まで先回りすることになりました。
他のメンバーは予定通り「はまかぜ3号」に乗っています。飲料や氷、紙コップなどを買ってくるようにと連絡を受け、途中下車して姫路駅前のコンビニに向かいました。




中学生のころ、姫新線の50系客車や播但線の12系客車、混色のディーゼルカーなどを撮影するためによく姫路に来ていましたが、高架工事が行われ、その様子は一変していました。
少ない時間で買い物を済ませて急ぎ足で改札に向かいますと、コンコースは何やら騒がしくなっています。大久保駅近くの踏切でバイクとの衝突事故が発生したようで、山陽電車への振り替え輸送が開始されたようです。「現在停車中の大阪方面行は発車の見込みがたっておりません」「山陽電車への振り替え輸送を実施しています」と何度も放送していますが、多くの乗客はホームに入って新快速の車内で発車を待っていました。山陽電車に乗るよりも、復旧を待って新快速に乗ったほうが目的地に早く着くであろうと多くの人が思ったようです。
事実、20分程度で上り列車は発車していきましたので、神戸・大阪へ向かわれる人は正しい選択をしたのだと思います。



私の乗る「はまかぜ3号」も、その影響で明石~西明石間で足止めされていると乗車しているメンバーからメールがありました。
大量の酒や氷、つまみを手にしていましたが、ただ待っていても仕方ないので姫路駅をウロウロし、撮影を行います。



まだ列車が来る気配もなかったので、姫路駅名物「まねきの駅そば」を食べました。今では梅田の阪神百貨店でも食べることができますし、カップ麺にもなりましたが、昔は姫路でしか食べることが出来ませんでしたので、撮影旅行の合間や姫路駅始発の「シュプール号」に乗務した際は必ず食べていました。独特の素朴な感じがたまりません。



結局、「はまかぜ3号」は25分遅れで姫路駅に到着し、約30分遅れで発車しました。ここでメンバーと合流します。抑止の間、後続の快速と新快速にも追い抜かれたそうです。
他はあまり知りませんが、乗務員時代の経験もあって、JR西日本はあまりにも特急を軽視していると思います。
「はまかぜ3号」はカニシーズンということもあり、指定席はほぼ満席。自由席も満席です。この列車の前に普通列車が先行していることと、行き違いのこともあり、速度は遅く、各駅の停車時間も長くて遅れは増えていきます。急ぐ旅ではありませんので、姫路駅で買った「たこ飯」を食べながらお酒をいただき、生野越えを満喫しました。



香住には50分近い遅れで到着しました。陽が傾き始めた香住駅前は寂しさに拍車がかかって、寂れた建物がより浮だっています。産経新聞の販売店であっただろう建物は雨風に朽ち果て、みすぼらしい看板が今にも落ちてきそうな様相です。商店街の端にあるスーパーも、売り場面積は2年前の半分ほどに縮小されていました。ここでさらに酒とつまみを買い込み、海沿いの宿で泊ります。



明けて翌日、他のメンバーは鳥取周りで帰ることになり、私は京都へ仕事に向かうため、香住で別れることになりました。
お互いの乗る列車が並び、鳥取行きが先に発車していきます。延命工事を行ったとはいえ、カラーリングも前面の形状も正真正銘のキハ40系列。山陰の旅情を掻き立ててくれます。
缶コーヒーを飲みながらのんびりと気動車に揺られ、至福の時間を過ごしました。



キハ47系を城崎温泉駅で下車し、福知山まで特急「こうのとり」に乗車します。「こうのとり」は381系でした。運用は全く調べていなかったので、これはラッキーでした。
国鉄型気動車から国鉄型電車特急への乗り継ぎ、こんな贅沢な旅がまだ出来るのだなと幸せに思います。休日朝の上りということもあるのでしょうか、自由席はガラガラで城崎温泉を発車しました。
化粧版が変更されていたり、ブラインドもなくなっていますが、それでも貴重な381系。乗り心地やモーター音をしっかりと体に染み込ませ、1時間の乗車を楽しみました。
福知山で「北近畿ビッグX」と大袈裟に謳われる乗り継ぎを行います。向かいのホームには、私が乗る京都行「はしだて2号」が停車していました。てっきり白い新型車両かと思っていましたが、かつて「タンゴディスカバディ」で乗務していたKTR8000形が止まっていました。これも時刻表を見ていれば簡単に気付くことなのですが、全く意識していなかったのでもの凄く得をした気分になりました。実は、新型特急であれば仕事を遅刻してでも381系に乗って大阪まで行こうかと思っていたのですが、停車しているグリーンの車体を見て、予定通り「はしだて」に乗ることにしました。



「はしだて2号」は豊岡始発で、久美浜まで快速として運転し、天橋立を経由してきます。かつての「大回りあさしお」と同じ経路を辿ります。そのために気動車特急となっている訳ですが、列車名が変わり、車両もキハ181系からTKR001形、KTR8000形と変更になってもその伝統が生き続けているのは驚きです。
列車は通常2両編成のようですが、今日は4両編成で、私は「自由席」と表示された3号車に乗りました。指定席も自由席もほぼ満席の状態です。車掌が放送で「自由席は2号車です」というので、おかしいなと思っていましたが、車内のLEDには「自由席」と書いてあるのでそのまま座っていました。



1996年、特急「タンゴディスカバディ」として登場し、私たちもこの列車に乗務することになりました。
福知山まで特急「北近畿」の後ろに連結され、大阪~福知山間はドアが開かなかったと記憶しています。終点の久美浜に着くと、間合い運用で線内急行「タンゴレインボー」として久美浜~天橋立間を一往復し、再び久美浜から上り「タンゴディスカバディ」として新大阪へ向かう行路でした。2両編成ということもあり、まあ暇な行路で、車内販売の売り上げはいつも1万円そこそこでした。「タンゴレインボー」は往復乗客ゼロの日もしばしばで、乗務員にとっても「行楽特急」でした。
一度、台風の影響で上り「タンゴディスカバディ」が福知山駅で運転打ち切りとなったことがあります。その時、北近畿タンゴ鉄道の車掌さんが、悔し涙を流しながら乗客に放送で説明していたのが印象的でした。それもそのはずで、普通列車や快速列車は定時に運転していたのに、JRは特急だけ早々に運転休止を決定しており、ここでも特急軽視のJR西日本であることがわかります。KTRの車掌さんはお客様を大事にしないJR西日本に対して憤り、あまりの悔しさから涙を流されたのでしょう。その恨み節を長々と放送で流されていました。私も荷物をまとめ、117系の快速で大阪まで帰りました。
そんな思い出があるKTR8000形。かつて指定席の運転台側にあった喫煙スペースは、今ではただのガランとした空間になっています。車内もややくたびれてきているなという印象でした。
次の停車駅、綾部では「北近畿ビッグX」2つ目のイベント、特急「まいづる」との併結を行います。自由度が高いKTR8000形ならではの運転形態です。これも、かつては183系で行われており、往年の「スーパー雷鳥」の分割併合を思い起こさせるものでした。もしこの先、新型特急とKTR8000形の併結運転が実現することがあれば、その性能をフルに活かした運用が可能ではないかと期待しますが、まあ無さそうです。

連結作業を撮影し、再び3号車に戻ると、今まで「自由席」となっていたLED表示が「指定席」に変わっていました。どうやら、放送が正しかったようです。
この時点で「はしだて」「まいづる」ともに自由席は満席。今更席を変更することもできず、そのまま乗車し、KTR8000形の力走を楽しみました。
程無くして車掌の検札が始まり、私が切符を見せると車掌が「お客様、こちらは指定席ですので自由席に移っていただくか、指定席料金を頂くことになります」と言われました。当然です。しかし、誤表示をしていたのも事実ですので、「私は福知山から乗車しました。その時、表示は自由席になっていたのでこの座席に座りました。そして先ほど、指定席であることを知りました。指定席料金は払いますが、今後は気を付けてください」と告げると、車掌はお詫びし、今回は指定席料金を徴収しないが、もしこの席の指定券を持った旅客が乗車してきたら席を移ってほしいと言ってきました。私の検札が終わってからも、後ろのほうで同じように戸惑う人、中には大きな声で怒る人がいましたが、同様に対応していたようです。福知山駅で駅の放送を聞いていた人はわかっていたと思いますが、私のように「こうのとり」からすぐの連絡で乗車した人は、車内外の表示が重要な情報ですので、内規はどうなっているかわかりませんが、この車掌の対応は実に誠実だと思います。私がなまじ鉄道に詳しいので、気にし過ぎかもしれません。世間の常識からすれば当然のこととも考えられます。



多少いらないことも考えさせられましたが、気動車の乗り心地を満喫でき、二条駅で下車しました。ここから京阪三条へ向かいます。
183系が引退し、多くが新型特急に移り変わりましたが、旅を終わってみればキハ47系に381系、KTR8000形と、味わい深い車両に乗ることができました。
特に381系は、無くなる前にもう一度、できれば全区間乗りたいものです。


山セクション23

2014-04-04 | レイアウト
引き続き川の制作です。
川沿いは石垣であったり、コンクリート法面であったり、岸壁であったりします。
これらと水流との間に、小さな岩や石に見立てて小石を撒いていきます。



MORINのMODEL STONEという商品を使用しました。
同じような色調で纏められているものと、いろいろな色が混じっているものがあり、大きさも特大・大・中・小とバラエティに富んでいます。
適当に買ってきて適所に撒くことにしました。



木工用ボンドを塗って大きめの石を敷き、そこに中くらいの石を上から撒いて隙間を埋めます。
ここで一度ボンド水溶液をスポイドで垂らして乾燥させ、最後に小石をハケで寄せていって完全に隙間を埋め、再度ボンド水溶液を垂らしました。
川の流れに対して橋脚が有り得ない向きに立っているのがコンプレックスでしたが、石で中洲のような感じにすることで少しは辻褄が合ったよう思います。



川岸と水流の間が自然に繋がってくれたように思います。
木工ボンド水溶液は合計4回流すことで、大きめの石も完全に固着しました。
川の水をどのように表現するかまだ迷っていますが、水量はだいぶ少なくしないといけないように思っています。



橋の下の部分や川岸の斜面にターフを撒いてボリュームを出しました。
固着したカラーパウダーのペーストにハケで木工ボンド水溶液を塗り、ターフを撒いた後にスポイドで多めの木工ボンド水溶液を流し込みます。
ターフが水溶液を十分に吸い込むくらい流し、さらにターフを上から撒いて、乾燥後に掃除機で固着できなかったターフを除去しました。
ターフは緑色と明緑色を混ぜて使用し、乾く前にライトブラウンのカラーパウダーを撒くことで変化をつけています。



山の斜面にはフォーリッジを使用しました。
木工ボンドを塗ったところに引き伸ばしたフォーリッジを張り付け、上からボンド水溶液を垂らして染み込ませます。
その上からターフを撒き、こんもりとした茂みを作りました。
木の根元にもこの作業をすると、グッと自然な感じが増したように思います。

大量のボンド水溶液を使用しますので、乾燥までに時間がかかりますし、川の作業もまだまだですが、走行する列車を眺めていてもなかなかリアルな感じに見えるまでになってきました。