天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

EF64-1052 EF81-151 寝台特急「北陸」

2011-12-18 | 車両【国鉄・JR】
14系に続き「さよなら北陸」セットに付属した機関車を小加工しました。

EF64-1000は、電気機関車の中で最も好きな形式です。
長い車体と武骨な表情がその理由なのですが、その武骨さを出すには、エアホースの取り付けが手っ取り早いと思います。
コック付きのエアホースは各社から製品化されていますが、手持ちが無く、お店にも無かったので、0.3mmの金属線で済ますことにしました。
プライマーを筆塗りし、艶消し黒を塗っただけのものです。
スカートのコック部分に穴を開け、黒く塗った金属線を差し込み、瞬間接着剤で固着します。



後は実物の写真をみてピンセットでそれらしい形に曲げ、不要部分をカットし、作業中に剥がれた部分を再塗装するだけです。
これだけでグッと印象が変わります。また、材料費もパーツと比較にならないほど安く済みます。



カプラーは、短い方のTNカプラー(JC6351)を使用しました。
このカプラーを使用し、客車側をボディマウントTNカプラーにすると、脱線してしまいました。
説明書にも、脱線する場合がある旨が記載されています。



脱線とは言っても、試運転している線路は、C280-15をS字に組んでいて、普通のレイアウトではありえない線形です。
これは、加工した車両がどこでも走れるようにと、わざと過酷な線形にしているのですが、また長いカプラーに変えると見栄えがだいぶ変わりますし、通常のC280エンドレスでは異常なく走行できるので、実験はクリアしませんでしたが良しと妥協しました。
今後、運転会などで脱線した場合は再加工しようと思います。



ちなみに、この実験線ですと

○通過 機関車(TN長)+客車(ボディマウントTN)
○通過 機関車(TN短)+客車(台車カプラーTN)
×脱線 機関車(TN短)+客車(ボディマウントTN)
○通過 機関車(TN長)+客車(台車カプラーTN)

という結果になりました。 

EF81-151の最大の特徴は双頭連結器で、製品でももちろん再現されています。
EF63で初めて製品化された双頭連結器ですが、当初はその機能に驚いたものの、あまりにもカプラーが大きく、また柄が長いので、どうしても好きになれませんでした。いつか改造しようと、EFE63は4機あるものの、加工せずにそのままにしています。

安易な解決策は、双頭カプラーの機能をダミーにして、密連か密自連かのどちらかで固定してしまうことです。
今回のEF81-151は、「北陸」無き現在では配給列車として電車を牽引する姿が雑誌等で取り上げられていますが、模型で廃車回送を仕立てるのも寂しいですし、模型では客車を牽引することをだけに活躍してもらうことにして、密自連での使用に限定することにしました。



そこで、EF64-1000でも使用したTNカプラーの短い方に、カットしたダミーの密連カプラーを瞬間接着剤で固定し、塗装してダミーの双頭カプラーを取り付けました。
柄が短いのでカーブの通過を心配しましたが、C280では問題無く通過してくれました。
これで印象は大いに変わり、連結間隔はかなり短くすることができました。
それなりに満足したので、EF63にも取り入れたいと思います。



加工前と後で、2mm以上変わりました。

最後に、キャスコの10両用ウレタンを加工して全編成がひと箱に収まるようにしました。
せっかくひと箱に収めたのに、ふた箱入る化粧箱を捨てるのがもったいないので、空いたもうひと箱には、これらの機関車に合う客車を詰めたいと思います。



購入してかなり経過しましたが、ようやく「北陸」の加工が終わりました。
平成23年3月のダイヤ改正で消滅した「北陸」ですが、奇しくも模型の加工最中に、平成24年3月の改正で「日本海」が消滅するという記事が新聞に載りました。寂しい限りです。
夜の長岡で見られた「北陸」「日本海」の並びも、記憶と模型の中で生きるのみです。

14系 寝台特急「北陸」

2011-12-18 | 車両【国鉄・JR】
「北陸」には下りに一度だけ乗車したことがあるはずですが、全く記憶にありません。
しかし、乗務時代には馴染みのある列車でした。

夜の金沢駅、大阪から雷鳥で1往復半して、ようやくあと富山まで少しという時に、向かいのホームに止まっていたり、引き上げ線に止まっていたりしたのを眺め、サボに記載された「上野」という文字を見ては、旅心をくすぐられました。しかし、実際には乗車時間の短い寝台列車です。
乗務列車がサンダーバードに変わると、金沢駅で8分間停車していたので、「北陸」の車内を間近で繁々と見学したりもしました。

15年も前の話ですが、14系座席車の「シュプール妙高志賀」に乗務した際、牽引にあたったEF64-1000の重連にすっかり惚れ込んで、銀河モデルのパーツを取り付けて初めてカマのメイクアップを行ったのですが、牽引する客車が14系座席車くらいしかなく、いつか「北陸」が模型化されればいいなと思っていました。
EF64-1000が牽引していて、比較的短い編成にも関わらず個性的な個室車両が多く連結されている「北陸」は、格好の標的でしたが、とても自作出来るものではありません。丁度その頃、レジン製のキットが発売されました(メーカーはボナだったと思います)が、2両で2万円くらいのものだったかと思います。手が出るものではありませんでした。

北陸新幹線の金沢延伸まで持ちこたえるかと思われましたが、残念ながら廃止になった「北陸」。
TOMIXから「さよなら北陸」セットとして発売されましたので、購入しました。

化粧箱に入り、小冊子が付いた豪華セットですが、1つ目のケースには機関車2両と客車1両、2つ目のケースに客車7両というアンバランスさには驚きました。機関車を入れるケースは必然的に全て発泡スチロールになるので、仕方ないのでしょう。

ブルートレインの割には短い編成ですし、15年間発売を待った製品ですから、いろいろと小加工することにしました。

今まで客車には、中間のカプラーをKATOのジャンパー管付きカプラーを使用してきました。これは、ボディマウントTNカプラーは長編成に向かない為でした。
しかし、近年スプリングの形状が改善され、長編成でも使用できるようになったので、客車で初めてTNカプラーを使用することにしました。
ボディマウントにしたことで、トイレタンクを取り付けることが出来るようになったので、165系用のトイレタンク(PZ-106)を取り付けました。

最近「N小屋」というメーカーから、車内の壁やインテリアを表現するシールが発売されていて、この「北陸」用のものも出たので、初めて買ってみました。印画紙に印刷された模様は眺めていてもなかなか楽しいものです。
裏に両面テープを貼り、カッターで切りだして貼り付けていきます。個室の通路側は大きくベタっと貼ることが出来ますが、その他は細かい作業の連続です。1両貼るのに小一時間掛かるものもありました。



階段の部分がグレーで印刷されていましたが、立体感が無くなりそうだったので、これは切り取って、実際の階段のモールドをグレーで着色しました。



個室の壁面だけでなく、開放寝台のベッド部分のシールもあったので、これも貼り付けました。寝台一つひとつに貼り付けていきます。根気のいる作業です。



苦労して貼り付けた後、ボディを被せましたが、通路側はその様子がよくわかるものの、狭い窓の個室側はまったく見えません。
本当にまったく見えません。



室内灯を入れたら少しは目立つかもしれないので、入れようかと思いましたが、いずれLEDの室内灯がTOMIXからも出ると思うので、今回は見送りました。
窓の大きいジョイフルトレインや、ロビーカー、サロンカーがある編成には室内の表現は効果があると思いますが、小さな窓の個室車にまでこの作業をする意味は薄いかもしれません。



開放寝台には、銀河モデルから発売されている「ハシゴ」を取り付けました。最近のKATO製品には取り付けられていますが、さすがエッチング製、よりリアルな見た目になります。これは効果が大きく気に入りました。



サボのシールは銀河モデルのハシゴに付いてきたものを使用しましたが、ドア上の等級表示はサイズが全く合わなかった(シールの方が大きく、文字が入り切らない)ので、艶消し白を色指ししました。これも結構目立つ部分で、引き立ったので気に入りました。



今までにやったことの無い作業を大いに盛り込んだ「北陸」。
気に入った加工は他の客車にも応用したいと思います。



阪神 5311系

2011-12-10 | 車両【私鉄】
あまり興味の無い阪神電鉄ですが、5000系は昔から好きな形式です。
小学生の時、初めて購入したキットが5000系でした。この頃は何も分からず、色も似た感じの室内用ペンキを筆塗りするという信じられないことをしていました。



なかなか完成品に恵まれなかった阪神車ですが、事業者限定鉄道コレクションでいくつかの形式が発売されました。
その頃は私鉄車は買うまいと思っていたので、発売されても見て見ぬふりをしていましたが、8000系も買ったことですし、今回発売される5311系は2箱で編成になるということで、発売日の朝5時に梅田駅で購入しました。

5311系ですが、そもそも阪神の青銅車は「5000系」というひとつの区分けだと思っていたので、このような形式があることすら知りませんでした。震災まで5311から5314までの通し編成があったようなので、素直にこの4連を組むことにしました。



製品は、他の鉄道コレクションに比べるとノッペリした印象です。塗装の具合がそう見えさせるのかもしれません。
連結器は特徴のバンドン式ですが、もう少し誇張していても良かったかと思います。



パンタグラフはトミックスのものを使用しました。
動力台車のパーツが入っていませんので、T車の台車を側面だけ残して切り取り、0.5㎜のプラバンを挟んで接着剤で動力台車に固着しました。

中間のカプラーはKATOのものをそのままカプラーポケットにはめ込みましたが、カプラーポケットが前後に大きく、遊びが大きいので、最も車体よりに持ってきて接着剤で固着しています。

運転台と反対側には幌が付いていないので、グリーンマックスのものをゴム系接着剤で取り付けました。

クーラーと客用ドアに墨入れをして、ジオマトリクッスから発売されているドアステッカーと車番のインレタを貼りました。
このインレタも気持ち良く転写してくれて助かります。
車番インレタを貼りましたので、艶消しクリアを吹き付けて表面保護をしました。
すると、質感がだいぶ変わって、けっこう落ち着いてくれました。嬉しい副作用です。

ヘッドライトパーツが奥まっていて目立たないので、パーツを外してフチと内側を銀色に塗りました。
これだけで顔が結構引き締まったと思います。



前面サボは「梅田―高速神戸」のシールを厚手のシールに貼り付けた後に貼りました。



キャスコのウレタンに詰め替えて、阪神シリーズは完成です。
赤銅車と青銅車が揃った光景は、作業の手間を忘れさせてくれるほど壮観なものです。

阪神 8000系

2011-12-10 | 車両【私鉄】
祖父母の家が苦楽園口近くだったので、私は幼少の時から阪急ファンでした。
ですから、阪神と言えばライバルのような存在で、敵視とまで言えば大袈裟ですが、乗る機会も少なく、撮影することもありませんでした。
祖父の車で外出した際、西宮付近の踏切待ちで阪神の車両を見ては、古い車が走っているなと思っていました。一枚ドアがよけいにそう思わせていたのかもしれません。今では西宮駅も高架になり、その踏切も無くなりました。

高校生になってから甲子園球場に通うようになり、阪神電車に乗る機会が増えますが、8000系の綺麗な車内と区分けされたロングシート、滑らかな加速を体験して、それまでのイメージは払拭されました。
それでも特に興味を抱く訳でもなく、今に至ります。

8000系がマイクロエースから発売され、運転会に阪神車が無いのもさみしいので購入しましたが、運転会で走らせたきり、取り出すこともありませんでした。
今回、鉄道コレクションの事業者限定品として5311系が出たので、合わせて小加工することにします。

製品は全体的に「のっぺり」とした印象です。塗装の具合やモールドの甘さから、おもちゃっぽさが大いにあります。



いつも通りカプラー交換からしますが、カプラーポケットにそのままKATOカプラーを取り付けると連結間隔がひどく開いてしまうので、アダプターパーツを取り付け、切り詰め加工をしています。この切り詰めも、相当短くする必要があります。アダプターパーツもカプラーも、限界かと思うくらいの短さにしました。固着は瞬間接着剤ですが、他のものより多めに使用しています。
もし走行中に解放するようなことがあれば、金属で補強しようと思います。


あまりに広い連結間隔


製品のアダプターにそのまま取り付けると、カプラーがかなり出っ張る


アーノルドカプラーと加工したものの比較

クーラーへの墨入れですが、これもいつもと同様にタミヤの墨入れ塗料を使用しました。しかし、モールドが甘いのでなかなか上手く流れてくれません。少しずつ「均す」ように墨を流し込みました。
側面ドアの中央部分や、前面の貫通ドア部分、乗務員室ドアにも墨を流し入れ、コントラストを出しました。
ジオマトリクスから発売されている「阪神ドアステッカー」というインレタがありましたので、各ドアに貼り付けています。
ドア窓の広告ステッカーは、いつかはやってみたいと思っていましたが、その手間の多さから敬遠していました。
少しでも賑やかにして「のっぺり」感を無くしたかったので、この阪神8000系で思い切って作業してみましたが、気持ちよく転写してくれますし、効果も大きいので気に入りました。
しかし、この8000系だけで36枚のドアに72枚のインレタを貼らなければならないという作業量は、なかなか大変でした。


ガラスパーツを取り外し、インレタ転写とサボへの色指し


スピーカーやドア部分に墨入れ

サボのシールは製品のものを使用していますが、薄くて目立たないので、あらかじめ白を色指ししておきました。
前面には「大阪ライナー」の副標を、ガラスの裏から貼り付けています。

安易な気分で購入した阪神8000系ですが、結局作業に1ヶ月ほど掛かりました。完成品では今までで一番手間を掛けたと思います。

阪急車と並べて昔の山陽電鉄線を懐かしみたいと思います。