天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

165・167系宮原電車区 急行「ちくま」

2022-03-13 | 車両【国鉄・JR】
年に一度、3家族合同で長野へスキーに行くのが私にとって一大イベントでした。
大抵は新幹線と特急「しなの」の組み合わせなのですが、指定席が取れなかった時は急行「ちくま」での移動もありました。
14系寝台、12系の夜行、165・167系の夜行、昼行と乗っています。大学に入ってからは383系でもお世話になりました。
この165・167系は「ちくま」「くろよん」だけでなく、「ホリデー号」や「国境スキー号」、修学旅行臨としても幅広く使用されており、関西人には馴染みの車両だったと思います。
「国境スキー号」はヘッドマーク付きで運転されていました。撮影した記憶があります。「ホリデー号」は、たしか「伊吹ホリデー号」だったと思います。米原より東へ乗り入れるので、「ちくま」で実績のあるこの編成が使用されたと記憶しています。これは、下り列車に偶然乗ったことがあります。また、私が高校2年生の時に行った修学旅行が関ヶ原の大雪で何時間もバスに缶詰め状態となったため、翌年は列車での移動に変更になったのですが、車両はこの編成でした。後輩たちが羨ましくて大阪駅の発車を見に行ったなんて思いでもあります。
TOMIXからこのセットの発売を知ったときは、まあなんと関西に住む私たち世代に狙い撃ちをした商品なんだととても驚き、もの凄く嬉しかったです。



コロナ禍で仕事の環境もガラッと変わり、また、この2年ほどで老眼がだいぶ進行してしまったこともあって、模型を手にするのは久しぶりです。
パーツがぎっしり入っていますね。先ず目につくのが空気配管付きのTNカプラーです。これ、むちゃくちゃ引き締まるじゃないですか。銀河モデルからパーツが発売されていますが、なかなかここまでやろうと思いませんので、完成品で標準装備されているのはとてもありがたいです。

説明書通り、タイフォンの取り付けから始めます。ネットで画像や動画を見まくりまして、両端の先頭車のタイフォンの形状を確認できたのは、K5編成とK6編成だけでした。
K6編成のクハ165-51がスリットタイプ、その他がおわん型のカバーです。
編成の両端にバリエーションを出そうと、西側をK6編成、東側をK5編成とし、タイフォンの形状とクハの形式の違いを両端にみられる組成としました。
タイフォンパーツの取り付けも私にはかなり難しく、爪楊枝にゴム系接着剤を塗って「とりもち」のような状態にしてパーツをくっつけて差し込みました。



ジャンパ栓、ホースの取り付けもとても大変でした。強くつまむと形が変わってしまいますし、弱いと取付穴にうまくはまりません。
加えてこの老眼。1回目の作業はほろ酔いで行っていたので、その日は諦めて、翌日、裸眼に拡大鏡を使い、何とか取り付けることが出来ました。
苦労はしますが、このパーツがあるとゴチャゴチャ感が増してたまらないですね。
中間に来る先頭車にホースを取り付けると走行に支障が出ると説明書にありますが、R280のS字カーブを難なく走行できたので、気にせず取り付けました。



シールは、美軌模型さんの「ちくま・みのり」という、接点が一時期だけ長野でありましたという組み合わせが面白い製品を使用しました。
キハ54系のステッカーもこの模型屋さんの製品を使用したと思うのですが、とても魅力的な商品展開をされています。ただ、今年に入って店主さんが入院されているようで、買い物が出来ない状態が続いているのが気になります。
「ちくま」のシールは、客車向けに作成されているようで、12系、14系、20系に対応していますが、ここから12系向けのものを使用します。
本当は「ちくま」「くろよん」に仕立てたかったのですが、「くろよん」のシールはどうやら製品化はされていないようです。
また、「ちくま」の行先サボも見つかりませんでした。ネットの画像や動画を見ていますと、国鉄時代には青地に白文字の「大阪行き」というものがあり、これなら客車用のサボで代用できないかと思いましたが、やっぱり私の世代だと白地のほうがしっくりきますので、やめておきました。
白地のサボでも「大阪ー長野」だったり「急行ちくま 大阪(中央線経由)」というものや、単に「大阪行き」だったり、いろいろあったようです。
鳳車輛製造さんから、しなの鉄道でリバイバル運転された「松本【急行ちくま】長野」というサボのシールは発売されているのですが、この、真ん中が赤い文字のタイプで実際の「ちくま」に使用されているのは見つけることが出来ませんでした。
KATOの165系東海地区セットで余った、文字がはっきり見えない(私の老眼で)サボシールを貼りましたが、号車札や種別サボに比べ色合いが薄かったので、メリハリをつけるためにレボリューションファクトリーの「急行アルプス」のシールを使用しました。真ん中に赤く列車名があって、起点と終点で挟むサボが「ちくま」にあったかどうかはわかりませんが、いつか使えそうなものを見つけたら貼りなおすとして割り切っています。



先頭車に幌を取り付けると、ケースから出し入れするときにグンニャリ曲がってしまいましたので、カッターでウレタンを削りました。
説明書を読み続けていると、空気配管の一部を切り取るとあります。せっかくのパーツを切り取るのも勿体ないですし、どの車両のどの部分を切り取るかもわかりません。
本やネットの画像を見ていても自信が持てないでいたのですが、Youtubeで「みやこ模型」さんのズバリこの商品を組み立てる説明動画があり、そこに「モハの1・3位側(東京を向いて右側)を切り取る」とありました。欲しい情報がこうしてネットでわかる、本当にありがたいものです。東海道線上での海側を切り取るということですね。
写真が暗くてよくわかりませんが、加工してみると変化があって面白いものですが、パーツにせよシールにせよ、加えていく足し算の作業なのに対し、削っていく引き算の作業は、何だか違和感があります。
銀河モデルのパーツを取り付けていた世代ですから、今の贅沢な時代に馴染んでいないということなのでしょう。



最後のインレタの転写です。JRマークを貼り付けると、印象がまるで変ってきます。今の製品は所属表記やATS表記なんてものまで付いているのですね。驚きました。
加工し終わりあらためて眺めますと、サボなんかはかなりいい加減なものですが、単調な湘南色もステッカーとインレタでずいぶんメリハリがつき、思い出深い編成だけにかなり愛着がわくものとなりました。
2年間のブランクがありますが、これを弾みに溜まりに溜まった車両たちを加工していきたいと思います。


485系 スーパー雷鳥 分割編成

2019-06-22 | 車両【国鉄・JR】
私が中学1年か2年かの秋、週休2日制の試験導入ということで、第2土曜日が休みになることになりました。これを活かそうと、貯金箱と相談しながらいつも駅撮りで憧れを懐いていた『スーパー雷鳥』に乗ることにしました。
往路は満席でしたので自由席を選択。しかし、神戸始発の4001Mは大阪入線時に既に満席に近く、咄嗟にクモハ485系の中間運転台の助手席に座り、苦い1人旅のスタートとなったのを鮮明に覚えています。
乗務での思い出も沢山あるスーパー雷鳥。中でも『スーパー雷鳥・信越』で信越線に入り、あさま色の189系とすれ違ったのは忘れられません。



トミックスからは実車デビュー早々に基本7両が発売されました。やがて貫通10連を再現するサハ481-500番台(これがまたサロ481-1000番台塗り替えのなかなかいい加減なものでしたが、当時は基本セットのモハだっていい加減でしたのでこれで満足でした)組み込み増結セットが発売され、そして2006年にHG使用で待望のクモハ485系他、全てリニューアルされて発売されました。
10年以上も放置していた編成ですが、国鉄色10連のしらさぎ編成を仕立てた後の勢いで重い腰を上げました。ところが、多忙で結局半年もかかって整備することになります。

 


説明書通りにトイレットタンクなどのパーツをつけ、色指しをします。白い車体に墨入れは効果的です。ドアコックカバーなどはどうしてもはみ出しますので、乾いてから薄め液で拭き取るのを繰り返します。クーラーにも墨入れしていきますから、10両編成ですからなかなかの作業量です。
今まであまりやってこなかった、屋根の碍子にも色指しを施しました。賑やかな屋根上がさらに充実します。これはいいですね、他の交直流・交流車にもやっていきたいと思います。
種別サボと号車札はペンギンモデルのを、行き先サボはジオマトを貼りました。基本編成は『スーパー雷鳥信越・長野』を、付属編成は『スーパー雷鳥立山・立山』を貼り、思い出深い編成にします。



インレタは最後までスーパー雷鳥分割編成として走り続けたクロ2004番を先頭とする基本編成と、クモハ202を先頭とする増結編成のものを貼り付けました。
こうしていつまで眺めても飽きの来ない、北陸線のクイーン『スーパー雷鳥』がようやく仕上がりました。模型の世界では永遠に羽ばたき続けて欲しいものです。

485系 しらさぎ

2018-11-05 | 車両【国鉄・JR】
1991年、七尾線和倉温泉駅までの電化と同時に誕生した「スーパー雷鳥」増結編成のクモハ485系200番台。
やがて、1997年に七尾線直通運用を681系が占めると、半数が「しらさぎ」系統に移籍します。そして、まさかの国鉄色を纏った姿に誰もが驚きました。
しかも、これがまた似合っていてカッコいいのです。フロントマスクを拝む機会はそんなにありませんでしたが、サンダーバードの乗務を終えて(確か4045Мだったと思います)夜の富山駅に降り立ちますと、向かいのホームで分割作業をしているのに何度か出くわしました。そこでフロントマスクを見ては、カッコいいなーと思っていたものです。



また、国鉄色10両編成というのも、見ていて迫力あのあるものでした。当時、向日町の車は9両編成で、増結時に11両編成となることはありましたが、それほど出現頻度は高くなく、国鉄色で統一されていて、かつ車両のバリエーションが豊富なこの編成は魅力的です。サロもキノコ型クーラーですものね。
しかし、2001年には、いわゆる「アオサギ」色、しらさぎ色に変更されてしまいましたので、国鉄色での活躍期間はそう長くはありませんでした。
クモハ485-200はトミックスから「スーパー雷鳥色」が発売され、183系となった「福知山色」、「しらさぎ色」と発売されてきましたが、いよいよ待望の国鉄色発売となりました。



国鉄色のクモハ485-200が注目される製品ですが、クハ489-300のボディ、クハ489-700のボディと床下は新規製作なんだそうです。トイレ窓の埋め込みは「雷鳥」シリーズで既に製品化されていますので、何がどう違うのかよくわからないのですが、助士席側の側面にある機器搬入口のことかもしれません。この金型を作ったということは、いずれ「電気釜」の「白山色」489系が出るのではないかと、俄然期待してしまいます。

キャスコの10両用ウレタンに移し替え、ペンギンモデルの号車札、特急用サボを貼り付けます。基本編成前方から1号車、付属編成クハが10号車で、6・7・8号車が自由席です。客用ドア付近のサボは、雑誌やネットの画像から青地の「自由席」にしましたが、禁煙車のサボがどんなだったかはわかりませんでした。行先サボはジオマトの「しらさぎ・富山」を貼り付けました。トミックスHG485系にジオマトのサボはピッタリと収まってくれて嬉しいです。
クーラーやドア周りに墨入れをして、一先ず完成としました。



ひと箱で300番台、200番台、クモハ200と3種類の顔が楽しめるのも面白いですし、初期型のサロで屋根のバリエーションも豊富なのも楽しいです。
親しみのあるはずの北陸線特急ですが、あれこれ買い集めてはいるものの、きちんとした編成で整備したのは久しぶりです。これからもどんどん整備して、百花繚乱の北陸特急群を楽しみたいものです。

14系200番台「シュプール妙高・志賀」

2018-05-18 | 車両【国鉄・JR】
思い出の乗務はたくさんありますが、その中で特にとなりますと、この列車は外すわけにいきません。
9515レ臨時急行『シュプール妙高志賀』号です。

同じようなスジで、14系国鉄色の12連は上りだけ乗務したことがありましたが、黒姫駅を発車してすぐに戦場のような忙しさになりましたし、日も暮れてましたのでさほど満喫することなく、とにかく忙しかったなぁという印象でした。
その後、大糸線が大雨により橋梁が流され、長期の不通に追い込まれます。シュプール号は14系200番台6両編成の糸魚川行きを毎日運転としてバスで白馬方面へアプローチするほか、381系を名古屋回りで運転するなどしてフォローしますが、14系200番台は12両が余った状態となり、「妙高・志賀」に組み込まれることになります。さらにそこからレパートリーが生まれ、ハザ6+ハネ6だったり、『あかつき』のレガートシートを組み込む日も出て来ましたが、繁忙期の数本はオールハザの12両での運転でした。
単純に14系200番台は展望車付きの3編成とミニサロンの1編成が6両×4編成で組成されていて、この9515レは展望車編成+ミニサロン編成の貫通12連でした。それは、北陸トンネルの制約から、そうせざるを得なかった訳です。
乗務員の視点では、485系+583系の14連なら寝台車をワゴンで回ることは基本的に無かったので、楽でしたが、オールハザのこの編成はワゴンで全車両を回らないといけなかったので、かなりきつかった記憶があります。
では何が思い出の乗務かと言いますと、それは黒姫から直江津までの回送中のことでした。関山のカーブを通過するとき、白銀の中、快晴の下を行くEF64-1000の重連と14系12連という国鉄型14両編成のあまりにも美しすぎる勇姿を最後尾の車掌室窓から身を乗り出して見たときの感動が忘れられないのです。この仕事をしていて良かったと、心底思える時間が何十分と続くのでした。
さらに、ある日の上り列車では大事件が発生することになります。黒姫駅でブレーキ系統の故障が発生し、運休になったのです。これについては、いつか纏めてみたいと思います。



14系200番台の乗務は他にもありまして、夏季に運転されていた『リゾート白馬』、『マリン高浜』にも乗務しました。
そんな14系200番台の製品化がアナウンスされ、とても嬉しかったです。
ただ、最初に製品化されたのは晩年の『ムーンライト九州』をモデルとした編成で、両端がスハフでした。14系200番台が入った『シュプール』号のいかなる編成も、必ずオハフが入っていますので、さてどうしたものか、先ずは悩むことになります。ただ、展望車もミニサロンもない6両編成の『白馬・栂池』は1992年に運転された実積がありますので、スハフをオハフに脳内変換して楽しむのがいいかなと思っていました。ところが、それからまたしばらくして展望車を組み込んだ編成の発売がアナウンスされます!これも大いに喜びました。どうせ脳内変換するなら、いっそ12連の『妙高・志賀』として仕立てることにし、材料を揃え始めました。



先ずはブックケースです。キャスコから発売された『12両用ウレタンB』を用います。今まで発売されていたのは、右と左で編成の上下が逆になっているものでしたが、これは同じ向きに収納できます。ただし、KATO製には入らないとのことでした。開封したウレタンの不要部分を捨てると、本当にスカスカになります。買っていきなりほとんどがゴミになる商品ってのも不思議ですね。
案の定、21メートル級には無理があるようですが、ボディマウントTNカプラーにして、幌の部分をカットすれば使えそうなので強行しました。客車編成の中間部分までボディマウントカプラーにするのは費用的にもきついですが、収納スペースにも限りがありますのでやむを得ずといったところです。
試しに12両を収めてみました。これだけで壮観ですね。しかし、作業はここからです。



カプラーは密自連を使用します。トイレタンクはPZ-106を使用します。
両端だけはキハ58等に使われるJC6356を使用しました。デタラメですが、こっちのほうがカプラー周辺が賑やかになって気に入っています。
展望車側はスプリングを止める場所のギリギリまでカットし、ゴム系接着剤で固着しました。



編成は神戸側の展望車が1号車で、続くオハは200番台と250番台を交互に繋ぎます。200番台には飲料の自販機があり、それを補充するために、私達は始発の神戸へ向けて向日町から向かう回送列車に大阪駅から乗り込んでいました。車両の向きは、ネットの画像や動画から判断しました。
6号車のスハフが1号車と対を成していない方向を向いていて、車掌室同士が向かい合っていないのがご愛敬です。意味があったかはわかりません。
トイレをTとあらわすと、次のような感じです。

←神戸 オハフT+Tオハ+Tオハ+Tオハ+オハT+スハフT+オハフT+Tオハ+Tオハ+オハT+オハT+Tスハフ 直江津→



号車札はペンギンハウス、方向幕はジオマトリクスデザイナーズインク、急行【指定席】サボは の製品を使いました。気の遠くなるボリュームですが、緑の指定席サボや青い『妙高・志賀』の方向幕はこの車体に目立ちますので、やりがいがあります。
トイレ窓は艶消し白を塗り、ルーバー、手刷り、クーラーに墨入れを施しました。
テールマークはうすめ液で落とし、これもジオマトに収録されていたものを貼りました。1号車と12号車は『妙高・志賀』で、6号車は『白馬・栂池』、7号車はそのまま『ムーンライト九州』です。これは、もしもこの先、ミニサロン付きのオハフ15-251が『ムーンライト九州セットC』として発売されたときに差し替えるためです。そうあって欲しいですね。
ようやく整備を終えた14系200番台『シュプール妙高・志賀』。乗務から20年以上の時を経て、ついに再現することが出来ました。
編成のバリエーションはたくさんありますが、先ずはEF64ー1000の重連に牽かせ、あの感動を呼び覚ましたいものです。



キサハ34 氷見線

2018-05-06 | 車両【国鉄・JR】
富山行きの『雷鳥』に乗務していますと、高岡駅では早ければ片付けが終わり、まったり車窓を眺めているなんてこともよくありました。駅に隣接して高岡鉄道部があり、そこに所属する城端線、氷見線の気動車郡を観察するのですが、塗装こそ旧高岡色が幅を利かせているものの、バリエーションは豊富で、キハ58,28はもちろんのこと、キハ52、キハ47にキハ40、さらにはキハ30と百花繚乱の様相を呈していました。その中でも異彩を放っていたのが、12系を改造したキサハ34でした。

小学生の頃、よく大阪駅に団臨としてきていたジョイフルトレイン『セイシェル』を撮影しましたが、それを彷彿させる両端を気動車に挟まれた珍編成。これが登場する1年前には北海道で急行『利尻』にスハネフ14が連結を開始していましたし、いつかは模型で気動車+客車の運転を楽しめたらなぁと思いながら、この編成を眺めていました。
七尾線電化による気動車・客車の大量の余剰車発生から冷房化率向上のために誕生した、このユーモラスな編成ですが、登場から4年、私が乗務員になってから3年でで姿を消してしまいました。理由は定かではありませんが、いくら平坦な氷見線とはいえ、3エンジンで4両では負担が大きかったのかもしれません。



模型のほうは『利尻』のスハネフ14組み込み編成がマイクロエースから発売され、最近ではトミックスからキハ183系『まりも』編成の製品化もアナウンスされました。どちらも話題になるアイテムでしたが、キサハ34は地味に発売され、そんなに騒がれることもなかった印象です。私にとっては待ちに待った商品化だったのですが、、、
先ずはパッケージ。この購買意欲を掻き立てるジャケットにワクワクします。蓋をあけて説明書とインレタを手に取り、『氷見』の行き先シールを探しますが見当たりません。ずいぶん手抜きだなと思っていましたら、透明のパーツに印刷された前面サボが出てきました。知らないうちに進化しているのですね。
ハイグレードシリーズですから、手を加えるところが見当たりません。幌をつけ、無線アンテナをつけ、排障器とスノープラウをつけ、インレタを貼って完成です。インレタの中にはドア上部に貼る『禁煙車』というものもあり、時代を感じさせます。
ただし、両端キハの先頭車に付いているスプリングTNカプラーは、他の車両と連結することもないので、ストックしていた旧式のピンタイプに交換し、スプリングタイプのカプラーは同時期に発売された14系200番台のスハフに移植しました。



実物の画像を見ていますと、結構前面の『架線注意』のステッカーが目立つなと思い、レボリューションファクトリーのステッカーを貼りました。
模型では小さすぎて思ったより効果がありませんでしたが、せっかくなので他の車両にもつけてみました。
すでに『北陸気動車』として収納していたキャスコのウレタンをこのケースに移植して、ひとまず完成としました。



ブックケースに纏めてみますと、なかなか賑やかです。あとは急行『能登路』で走っていた、アイボリーに青のストライプの車両が欲しくなります。黄色の『能登路』色や、ワインレッドの『新高岡色』はあまり印象に残っていませんので、そのあたりまでにしておきたいと思います。とは言え、贅沢な悩みですね。あらためて、キサハ34が製品化されたことの嬉しさが混み上がってきます。
運転そのものを楽しむより、駅の傍らに停まっているのが様になるような、そんな編成ですが、待ち焦がれたアイテムだけに、いろんな思い出が甦ります。